1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

5000万円でAVオファー、鬼のように届くパパ活の誘い、会社員時代には激務で失禁…日本人女性として2人目のプロゲーマー・たぬかなの理不尽な誹謗中傷に負けない生き方

集英社オンライン / 2023年4月1日 15時1分

日本人女性として2人目のプロゲーマーとなったものの、2022年の炎上騒動で所属するプロゲーマーチームから契約を解除された元プロゲーマー・たぬかな。約1年の沈黙を経て、今年1月に「Twitch」での配信をスタートすると、炎上上等の歯に衣着せぬ発言で話題となっている。そんな、たぬかなさんにAV出演のオファー、ブラック企業に勤めて失禁した過去、誹謗中傷への思いについて語った。(全3回の2回目)

「サセ子にはなるなよ。勘当するぞ」という父の教え

――炎上で所属チーム、スポンサーと契約解除になった直後、いきなりAVのオファーがあったそうですね。



クビになったと発表された次の日に某友人のゲーマーから「知り合いの社長が雇いたいって言ってるから、面接行ってみて。すぐ来てほしいって言ってるから」と連絡があって。秘書を探していると聞いて事務所に行ったら、AVの話をされました。

事務所はマンションの一室で、社長から「今から大きなビルにいっぱいAVのプロダクションが入ってるところにオーディションのために行くよ」と言われて「いや、行かんわ」みたいな(苦笑)。たぶん注目度があるうちにAV出せば、高く売れるから急いでたんでしょうね。最初は5000万円で1、2本の撮影とか言ってました。

社長は「今、AV女優はなりたい子がいっぱいいるけど、なれない人気職業なんだよ」「今のAV女優って、もはやアイドルだよ。三上悠亜ちゃんとかいるでしょ」みたいなこと言われて、いや、うるさいわって(笑)。ちゃんと断りました。

その後もそのゲーマーは「僕がマネージャーやるんで『BreakingDown』のオーディションに出ましょうよ」と言ってきたり、同じような怪しい案件を2、3回送ってきたので、共通の知り合いのどぐらさん(有名プロゲーマー)にキツく言ってもらって、ブロックしました。

――たぬかなさんは断りましたけど、同じように精神的に弱っている人だと判断力も鈍るので、そうした言葉に転びやすいかもしれない。

私もめちゃくちゃ弱ってましたけど、AVはほんまに何があっても出るつもりがなくて。おとんがそっち系はほんまにダメで「サセ子にはなるなよ。勘当するぞ」とずっと言われてたので。AVは考えてなかったし「パパ活しませんか」みたいな誘いもすごい来ましたけど、そういうのもしてません。

仕事の帰り道で道路を歩きながら失禁!?

――ちょっと過去に遡りたいんですが、そもそも、たぬかなさんはどんな子どもだったんですか。

小学校の頃はめちゃくちゃ喧嘩っ早くて、男子とずっと喧嘩してました。でも小4くらいで背が止まって、体格的に喧嘩で勝てなくなって絶望したのを覚えてます。でもゲームだったら身体的ハンデがなくて、面白いなと思ってハマりました。

小4の頃は男子に交ざってサッカーをしていた

ゲーセンに通い出したのは高校生の頃。うちは建築の高校で、生徒はほとんど男子だったんですけど、当時「鉄拳」が流行っていて。男の子がみんなゲーセンに寄るので、一緒に行って教えてもらっていたら、私が一番強くなった。そこからは別のゲーセンに行ったりとコミュニティを広げていきました。

私、初めて出た「鉄拳」の大会で優勝したんですよ。みんなが手加減してくれて(笑)。当時はほんまに“オタサーの姫”マックスでしたね。年も結構離れてるからか、みんな娘みたいに可愛いがってくれて、“オタサーの娘”ぐらいかな。

――高校卒業後はどういった進路を?

本当は大学に行きたかったんですよ。勉強はできる方だったので。でも、家計的に苦しくて総合建設業の設計部に就職しました。

田舎の総合建設業なんてどこもそうだったと思うんですけどね、まあ、すごかったですね。帰るのは夜の11時とかが普通で、でも残業代が1時間150円でした。「これって大丈夫なんですか」って課長に聞いたら、「建設業はみんなどこもそういうもんなんよ」と言われて。新卒だったんで、そうなんやと思って。土日休みは隔週で、しかも家が建った時には完成見学会というものがあって、休みを潰されたりしていました。

仕事自体は楽しかったんですけど、体力的にきつくて体がぶち壊れて、病院行ったら「鬱ですね」って言われました。

そのころにはストレスがかかりすぎて、もう髪の毛もすごい禿げてたし、失禁し始めたんですよ。尿意がないのに気づいたら出てるし、止められない。仕事中に漏らしたこともありますね。とりあえずうまいことパンツだけを替えてことなきを得たんですけど。

一番全部出たなという時は、仕事の帰り道で道路を歩きながらブシャーッて失禁して。それでもう、さすがにちょっと限界だなと辞めました。

プロゲーマーの夢を追ってユニクロを離職

――その後はユニクロに入られたんですよね。配信で障がい者の同僚との話もされてましたね。

ユニクロで3年くらい働きました。めちゃくちゃ楽しく働きました。

仲良くしてたのは、こずえちゃんですね。身体障がい者の方で、半身麻痺でうまくしゃべれないんです。しゃべるのも時間かかるし、聞き取るのも時間がかかるから、店でもしゃべる人もほとんどいないし、ご飯もこずえちゃんとだけ一緒に行かない雰囲気になっていて。そういうのが嫌いだったんで、私はご飯食べに行こうよと誘って、仲良くなってユニクロの内情とかを聞いたりしてました(笑)。

私はいじめっ子だったこともあるので、すべてのものに優しいわけじゃなくて。ただ障がいが理由で、その人が酷い目に遭ってるのは見たくないんです。

――ユニクロで働いている頃は、ゲームの腕前はどうだったんですか。

その頃にはだいぶ強くなって、有給を使って大阪や東京に遠征とかもしてました。そこで顔を売ったりオフ会に出てたりして、ちょっと男漁ったりとかしましたね(笑)

その時は黒髪ロングで化粧っ気もあんまりない、田舎っぽい感じの外見だったんですけど、そういう女の子の方がなんか逆にモテたりするじゃないですか。「俺でも相手にされそう」って。だからモテましたよ。

ユニクロで働いてる時に、大阪で鉄拳のプロゲーマーの募集があったんです。それに応募して受かって、プロゲーマーになりました。

ユニクロは本当は辞めたくなくて、兼業ができないか相談したんですけど、それは無理って言われて。当時のユニクロの店長には「何、プロゲーマーって?」とめちゃくちゃ引き止められましたけど、「私は夢を追います」といって辞めて。店長は「はあ?」ってなってたと思います(笑)

日本人女性2人目のプロゲーマーとして

――それが2016年頃ですね。その頃からeスポーツの知名度も上がっていきます。たぬかなさんは、日本人女性として2人目のプロゲーマーでビジュアルも整っているので、メディアとしては重宝されたのではないですか。

オファーはかなり来ましたね。ただ、それが嫌われる原因にもなってました。

私は女性で取り上げられやすい分、私より先輩で実績ある人が、実力はあるのに注目はされない。「俺より弱いのに女ってだけでたぬかなは仕事をいっぱいもらってる」「俺より高い金をもらってる」と嫌われましたね。やっかみに近いんですけど。

当時は若かったし「どうして」「私は頑張ってるだけなのに」と、なんで嫌われとるのかもよくわからなかった。可愛い時代でした。

――女性プロゲーマーというだけで理不尽な誹謗中傷も多かったそうですね。

勝ったら「裏で男が代打ちしてる」と言われて、負けたら負けたで誹謗中傷される。ゲーム社会自体が女にとってはやっぱり生きづらくはありましたね。誹謗中傷に対して、今ほど達観はできていなくて、いちいち怒って、いちいち反論してました。

――今はそうした誹謗中傷にはある程度は耐性がついているんですか。

今はブスとか言われても怒らないですね。ただ「俺は正しい」と思ってるやつがめっちゃ多くて「なんで、この世の中って頭の悪い人がこんなにたくさんいるんだろう」ってけっこう絶望してます。ストレス解消でやってるかもしれないんですけど、その心の小ささに。

スシローで炎上した高校生の通う学校に電話するのはいきすぎた正義感じゃないですか。私が炎上した時も実家にすごい電話がかかってきた。しかもおとんや弟が出たら電話を切って、おかんやバアちゃんが出たら怒鳴って、電話口で謝罪させるんです。

自分が正義だと主張して気持ち良くなるために、そういうことをするのが本当に気持ち悪い。ちょっと頭が良ければ、絶対そんなことしないんですけどね。やってることが気持ち悪いって自分でわかるから。

子供の頃から可愛かった、たぬかなのアザーカット

取材・文/徳重龍徳 撮影/石垣星児

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください