二歳前後の子が何もかもを「いやだ」と拒絶する通称「イヤイヤ期」は成長過程の一つと言われる。うまくできないもどかしさが反抗的な態度や言葉として出てしまう。それは絶対自分を裏切らない身近な他者=親への甘えでもあるのだろう。
本書『ルコネサンス』の主人公珠絵には生後間もなく母と離婚し離れ離れになった父がいる。二十六年ぶりに娘と名乗らずに会った父に恋愛にも似た感情を抱く。やがて同い年の恋人征太郎と結婚をすることになり、あらためて父と娘として二人は再会した。
父に対する名付けようがない思いの理由は、幼いころの記憶と、父から与えられるはずの愛が欠落してしまった恨みの裏返しにある甘えかもしれない。
大学院でサルトルの研究をする珠絵は、自分の父への気持ちもひとつの材とするように、自らの経験を小説化する。その作品は編集者の目に留まり、作家デビューを果たす。小説という装置はとても便利だ。作家自身の切実な思いを登場人物の言葉にすることで、自分も気づかなかった本心があらわになる。
珠絵は編集者に求められるまま作品を書き始め、そのうち誰の導きがなくても書き続ける。書かなければならない何かを見つけた証だ。
本書を深読みするのなら、珠絵も著者の思いの一部。研究対象のサルトルの言葉も過去からの箴言として響いてくる。
「人はそれぞれ、他人とはまったく違う人格を持つ。人が何を考えているのかほんとうのところはわからないし、自分のことも、人にはわからない。人と人は、原初的にお互いを理解できず、互いに疎外されている」
珠絵のサルトルに関するメモは、本書の主題ともいえる。彼女が「人と人をつなぐ」小説を書き、父を父として受け入れていく。
ラストの珠絵の心情に触れ、何かが一気に流れるカタルシスを得た。人の心には色も形も匂いもないけど、たしかにそこにあった。
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