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茨城でインド人が聖なる「ビヒダスヨーグルト」を作っていた? ヒンドゥー化する北関東【急増する異国の信仰施設】

集英社オンライン / 2023年4月11日 8時1分

近年、在日外国人が急増したことにより、日本全国でさまざまな国の人たちが自らの国の宗教施設をつくるようになった。とくに茨城県では、在日インド人がスーパーや工場の跡地にヒンドゥー教寺院を建てているという。北関東で、いま何がおこっているのだろうか。

2004年に公開された映画『下妻物語』(中島哲也監督)をご存知だろうか。深田恭子演じるロリータファッションの娘と、土屋アンナ演じるレディースの二人の女子高生が織りなす、ゆがんだ青春の物語である。上映された当時は作品と深田・土屋がそれぞれ複数の映画賞を受賞するなど高い評価を得た名作だ。とにかくフカキョンのロリータ娘役が異常なほどのハマり役だった記憶がある。



この作品で描かれた北関東の田舎町が茨城県下妻市だ。県内では内陸部の、栃木県に近い鬼怒川沿いに位置する人口4万人ほどの街である。主要幹線や高速道路からは外れており、関東鉄道という私鉄の単線区間がわずかに通る。

東京都心からはわずか50キロ程度で、小田原や熊谷とほぼ同じ距離の場所にもかかわらず、「辺鄙」な雰囲気が漂う。『下妻物語』の原作小説を書いた嶽本野ばらは、そういう場所だから物語の舞台に選んだのだろう。

往年の名作『下妻物語』。だが20年後の下妻ではインド物語がはじまっていた

そして、あれから約20年。令和の現代において、下妻はよりいっそう不思議な空間に変貌していた。

無人駅の前で謎のインド人パレードが

「なまあしばーよ、なまあしばー。ざじゃあそほーげー●×△#$*※○◆……!!」

2023年3月12日11時過ぎ、関東鉄道常総線の無人駅である宗道駅前のロータリーで、耳慣れない掛け声とともに太鼓の音が響いていた。その場にいるのは十数人のインド人の男たちだ。一人はオレンジ色の貫頭衣に白い布をまとったバラモンで、さらにインド国旗を持つ人や民族楽器の太鼓を叩く人。他のインド人男性たちも、手を叩きながら盛んに「なまあしばー」を唱え続けている。

関東鉄道の無人駅(宗像駅)前で、シヴァ神を讃える在日インド人のみなさん

後に彼らに尋ねたところ、「なまあしばー」と聞こえた言葉は、どうやらシヴァ神に対する讃歌らしかった。この日は彼らの月に1回のお参りの日なのだが、なんと群馬県の大田市から3日かけて神様に祈りながら歩いてきて祭礼に加わった若者2人がおり、ゆえにいっそう場が盛り上がったようである(若者たちがこうした行動をとった理由は、祈って歩く行為が宗教的な実践だと考えられているためだ)。

男たちは太鼓の音とシヴァ讃歌とともに、宗道駅から住宅街に向けて歩きはじめた。近所の人が怪訝そうな表情で顔を出すと、隊列からすかさず、代表者のセパン・センさんが飛び出し、「今日は祭りの日なのです」と流暢な日本語で説明する。近隣住民はなんとなく納得しているようであった。

センさんに限らず、この日の祭りに参加しているインド人の多くは、日本での滞在歴が長く日本語が上手な人が多かった。隊列を率いるバラモンは39歳でパンジャーブ州出身のアヌポムさんである。日本では別の仕事と兼業しながら、同胞たちの間での聖職者として暮らしているという。

スーパーマーケット居抜きのインド寺

隊列の行き先は、宗道駅から数百メートル先にあるSHREE RAM HINDU TEMPLEというヒンドゥー寺院だった。もとはキダストアーというスーパーマーケットだった施設の土地と建物を、実業家であるセンさんが買い取って、同胞のための寺と集会場にした。開山は1年ほど前だという。

ヒンドゥー教寺院「SHREE RAM HINDU TEMPLE」。もともとはキダストアーという下妻のローカルスーパーだった

このあたりはつくば学園都市が近いので、インド人の研究者や理系人材が多くいる。のみならず、寺ができてからは東京からわざわざ参拝に来る人も多くいるという。東京から来るインド人たちは、御徒町の宝石商や葛西一帯のITエンジニアなどが目立つ。

「インド人も日本人もここに来てください。貧しい人、旦那さんのDVで逃げた奥さん、子どもたくさんいるシングルマザー、来てくれたら私たち、施しをします。私たちの教えですから、施ししたい」

センさんはそう話した。実際に下妻(宗道)まで施しを受けに来る貧しい日本人がいるかはさておき、寺はそうした理念で運営されている。インド人の寺院はどこでもそんな感じだ。

赤だるま、謎の経緯でインドへの出戻りを果たす

寺にはすでに、40~50人ほどのインド人の男女が集まっていた。子連れの人も多く、子どもたちはヒンドゥー語と日本語のチャンポンで話す。寺は現在、かつてスーパーの売り場だった広大なスペースがシヴァ神を祀る本堂として整備されつつあり(まだ7割方は工事中だが)、往年はスーパーに付属する手打ちそば店だったらしき離れの棟も、シヴァの妻であるドゥルガーを祀るお堂になっている。

ドゥルガー像の前で手を合わせる、寺院の代表者センさん。職業は会社経営者で、長年日本に在住

ドゥルガー堂はすでに完成している。本来は飲食店用だったはずの広大なキッチンでは、男たちが昼食用に大量のベジタブルカレーを作っているところだった。厨房内には手打ちそば店時代の神棚がそのまま残っており、茅葺三社宮の隣で日本風の赤ダルマ3体と、インドの象頭神ガネーシャが仲良く祀られている。

ちなみに日本人にはお馴染みのダルマさんの起源は、天竺(インド)出身の禅僧である菩提達磨(達磨大師)である。厨房の赤ダルマたちは、自分たちが置かれていた建物が身売りされてヒンドゥー教寺院に変わったことで、再び故郷の人たちの信仰対象に変わってしまっていた。

写真の右上にあるのは手打ちそば屋時代からあると思われる神棚。3体の赤ダルマの前に、小さなガネーシャ像が祀られている

厨房の男たちからチャイをごちそうになったところ、日本国内で飲むチャイとは思えないほど美味しかった。茶飲み話のついでに、その場にいる人たちの出身地を尋ねてみると、グジャラート州、パンジャーブ州、ムンバイ、リシュケシュ……と、ムンバイ以外はインド北部の州や街の出身者が多いようだ。

「南の地方は言葉も文化も違うからね。むしろ北インドに近いネパール人のほうが、寺に来るよ」

話を聞いた一人はそのようなことを言った。14億人以上の人口を抱えるインドは南北の文化の差が大きい。南部のヒンドゥー教は同じ宗教だとは言え、神像のつくりからして大きく違うのだ(総じて南部の方がカラフルで、肉感的な神像が用いられがちな印象である)。

聖なる食物になってしまった

やがて本堂で法要がはじまった。座敷の中央に置かれたリンガを中心にインド人たち数十人が祈りを捧げはじめる。リンガはシヴァ神の男根を象徴したもので、ヒンドゥー寺院では広く見られるものだ。だが、慶事であるためか、背後には日本の紅白幕が張られていた。

リンガにヨーグルトを塗る様子。この儀式によって「ビヒダス プレーンヨーグルト」は聖なる物になった

祈りの儀式のなかでは、ミルク・ヨーグルト・蜂蜜などをシヴァ神に捧げる……。すなわち、参拝者がみずからの手でそれらをリンガに塗りたくる。ミルクとヨーグルトは近所のスーパーで買ってきたものらしく、容器にはそれぞれ「酪農牛乳」と「ビヒダス プレーンヨーグルト」と書かれていた。

「儀式により、これらの食物はブレス(bless)されました」

見学している私の隣りに座っていたインド人男性が教えてくれた。森永乳業のビヒダスヨーグルトは、インド人たちの手によって聖なる食物になってしまった。礼拝後は昼食の時間で、みんないっしょにカレーをいただいたが、当然のようにものすごく美味であった。

礼拝後には、参加者全員にカレーがふるまわれる

新しく寺を作るには6000万円

その後、下妻市から南西に十数キロ離れた坂東市のヒンドゥー教寺院「SHRI RAM HINDU TEMPLE」にも足を伸ばしてみる。田んぼのなかにある、タマゴ屋の工場だという建物がまるごと1棟、ヒンドゥー教寺院になっており、屋根には日の丸とインド国旗がはためいていた。

坂東市の「SHRI RAM HINDU TEMPLE」。たまご工場の建物の一部を借りているようだ。今年5月に移転予定

同日の日中、寺ではホーリーというインドの春祭りが開かれて、170人ほどの参加者たちが盛んに色のついた粉をぶっかけ合って無礼講の大騒ぎをおこなったという(そういう祭りなのだ)。残念ながら夕方に私たちが到着した時点では祭りが終わりかけていたが、色の粉まみれにならずに済んだので、それはそれでよかったような気もする。

粉まみれになっていたバラモンのアンノプさん(28)に寺の事情を聞いたところ、こちらの施設は6ヶ月ほど前にできたそうだ。現在の建物は借家で、2023年5月に新しい寺が完成するのでそちらに移転する予定らしい。寺の建設には6000万円くらいかかったようだが、インド人のほか外国人(なぜか中国人の出資者もいたらしい)や日本人の寄付も集まったので、建てることができた。

ホーリーに参加した在日インド人のおじさんたち。本来は色水をかけ合うのだが、日本は寒いので色素の粉だけにしているそうだ

他の粉まみれのインド人たちからも事情を聞くと、やはり坂東の寺も、北インド出身者やネパール人の参拝者が中心で、自動車関連業の経営者やITエンジニアなどの高度人材が多い。日本で数十年暮らしていると語る人が何人もいた。その1人は話す。

「在日インド人はけっこう人数が多いのに、これまで集まる場所がなかった。最近、(パキスタンやバングラディシュ・インドネシアなどの)イスラム教徒の人たちが、モスクをたくさん作るようになって、みんな集まっているでしょ。私たちも集まる場所ほしい。なので、みんなでインド寺を作ろうと考える人が増えた」

モスクが増えるとインド寺も増える

前回の記事でも書いたように、近年の日本では在日外国人の増加にともなって、イスラム教の信仰施設であるモスクが急増している。全国のモスク数は2021年10月時点で113施設におよび、10年前と比べて約1.6倍も増えた。

ここ1年で下妻と坂東に在日インド人が集まるヒンドゥー教寺院が続々とできた背景についても、おそらくモスクの増加が間接的に関係しているようだ。2022年6月時点で在日インド人は約4万人、在日ネパール人は約12.6万人いる。もちろん彼らのすべてがヒンドゥー教徒ではないにせよ、それでも潜在的にインド寺に集まり得る人たちは、日本国内に数万人もいるのだ。

「2019年からはインド人の技能実習生の受け入れがはじまってる。これから、インド人がもっと増えると思う。お寺も増えると思います」

そんな話も出た。インド人の技能実習生は、現時点ではコロナ禍の影響もあって人数が伸び悩んでいるそうだが、従来の外国人労働市場では最大勢力だったベトナム人が、自国の経済発展や日本経済の停滞を理由に日本での出稼ぎから徐々に離れつつあることを考えると、今後はインド人技能実習生が増える可能性もある。結果、日本に一定期間滞在するインド人の数は、もっと増えるかもしれない。

インド人の多くは、宗教なしでは暮らせない。今後はモスクの増加のみならず、ヒンドゥー教寺院の増加も注目するべき話題になるのではないか。

取材・文/安田峰俊 撮影/Soichiro Koriyama

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