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〈壱岐市・男子高校生死亡〉「里親には感謝の気持ちしかない」「デマ対応に追われ捜索できなかった」実父の反論180分。虐待疑惑・留学理由…すべて答えた!! 父と息子の絆の証拠LINEも

集英社オンライン / 2023年4月5日 18時36分

「隼都は会うたびに『壱岐は楽しい』と目を輝かせていた。里親のAさんにも感謝の気持ちしかありません」離島留学制度を利用して壱岐島(長崎県)の里親の元で暮らしていた壱岐高校2年、椎名隼都さん(17)が3月1日に失踪、約3週間後に遺体で見つかった問題で、里親Aさんに続き、今回は実の父親(43)が集英社オンラインの取材に応じてくれた。

一部報道に「色々と書かれて(捜索の)邪魔をされた」

一連の経緯を巡って、一部報道では里親の虐待疑惑や実家のネグレクト疑惑が報じられたが、里親は疑惑を否定。壱岐の地元関係者や留学制度事務局なども揃って「疑惑」に首を傾げていたことは♯1♯2で伝えた通り。



さらに、隼都さんの実父も「報道やSNSで世間に広まった誤解をきちんと解いておきたい」と集英社オンラインの取材に応じ、インタビューは約3時間にも及んだ。

取材場所でもある茨城県の実家で、実父の椎名さんは一軒屋にひとり暮らし、仕事は医療従事者で昼夜問わず懸命に働いてきた。

リビングの壁や天井には、生前の隼都さんが集めたというポケモンのぬいぐるみが20個以上置かれ、中央のテーブルの横に設置された祭壇には菓子やぬいぐるみとともに微笑む隼都さんの遺影が飾られていた。
実父は記者の質問に対して一つひとつを噛み締めるように丁寧に答えた。

寄宿先で誕生日を祝ってもらう隼都さん

――これまでの報道やSNSなど「世間の反応」へ憤りはありますか?

捜索当初からSNSでAさんや自分が攻撃されて、その対策会議を壱岐市の教育委員会と先生方が何度か行っていて、呼ばれました。早朝や日没後です。

隼都は人目を避けて、実際はそうした時間帯(早朝や日没)に行動しているんじゃないかと思っていて、本当はその時間帯を一番重点的に探したかった。それを、世間への(誹謗中傷やデマ情報への)対応で削られてしまったのがすごく悔しかったです。

警察も虐待から逃げたという可能性も考えて子供たち全員に聞き込みをしていましたが、週刊文春の記事やSNSの書き込みの影響で「虐待はなかった」と判断するまでに、時間がかかってしまったんだと思います。

心ない中傷に、みんな精神的にも参ってしまって、Aさんの奥さんも不眠やめまいが続いて泣き出すなど、気持ちが不安定になってしまいました。捜索に専念したいのに、色々と書かれて邪魔をされたと感じています。

インタビューに応じてくれた椎名隼都さんの実父

3月3日からは島内放送を使って捜索をしました。隼都は目立つのが嫌いで、その性格を考えると余計隠れちゃうんじゃないかという不安もあったけど、命の安全を重視しようという事で放送することを決めたんです。

そういう細かい所も気遣いながら捜索していたのに、島内のある人がSNSに「隼都が逃げたのは里親が虐待したからだ」と隼都の顔写真付きで投稿したんです。無事に見つけ出せたとしても、隼都は将来生きにくくなるんじゃないかとか、いろんなことを考えて動いていたのに、その人は自分やAさんや教育委員会など、どこにも相談せず勝手に載せた。

隼都が壱岐からは出ていないというのは捜索当初からわかっていたので、あえてネットには流さず、ビラを使って島内で捜索していたんです。なのにネットに出してしまったら一生残ってしまうので許せなかったです。

その方のSNSでの投稿内容は一方的で、ウラもとれていないAさんへの攻撃的な内容ばかりで、それに隼都が利用されて、自分もとばっちりを受けています。

隼都さんと仲良く作業をする里親のAさん

――Aさんの虐待をとりあげた記事をみてどう思いますか?

記事は、信用できない証言を大々的に取り上げている感じはします。証言をした子は、もともとAさんの行動を全部疎ましく思っていたのでしょう。

例えば、Aさん宅の食事はオードブル形式で好きなものを取って食べるんですけど、彼の好みに合うものが少なかったから「食事が少ない」という表現をしたのかなと。

Aさん宅ではオードブル形式でたくさんの食事が提供されていた

湯船に浸かれずシャワーの時間が「5分だった」と文春の記事に書かれていましたが、別の記者には「3分」と伝えていて、証言がコロコロ変わっている。それにどう考えても言い過ぎだし不可能じゃないですか。さらに、文春は私に対しても「Aさん宅で虐待があったことについてどう思いますか」と決めつけて質問をしてきたので、呆れてしまいました。

中国語を勉強したくて中学卒業後も壱岐に残ることを決意

――隼都さんを里親に預けて離島留学させるようになった経緯を教えていただけますか?

隼都は小学生の頃から、内気で引きこもりがちで運動神経も良くなかったせいか、自信のない子になり、ゲームに依存するようになりました。

隼都が中1の時に私が離婚をして2人暮らしになると、その傾向が顕著になった。一緒にいる時は良い子なんだけど、私が夜勤で家を空けると、夜中や朝方までゲームをして、学校をサボりがちになり、勉強も疎かになっていきました。

ただ自分が家にいる時は大丈夫だったので、誰かの目が届いていれば改善するのかなと思ったのがきっかけです。

「いきっこ留学制度」なら寝る時も2人とか3人だから常に他人の目がある。隼都自身にもゲーム依存症の自覚があって、自ら「頑張りたい」と言ってくれたんです。環境が変わることで友達作りも上手くなってくれるかなとか、親心としてはいろんなことを経験してほしかった。そして中2の夏休みに壱岐に見学に行って留学を決めました。

壱岐に見学に行った際のフェリー内の隼都さんとお父さん

――壱岐に見学に行った際に、隼都さんとお父さんの再婚相手の2人で学校を見に来ていたと報道されてますが、その時のことでしょうか?

その頃、お付き合いしていた女性がいて、文春で報じられたのはその方のことだと思います。
しかし、壱岐に見学に行ったのは自分も含めた3人で、その女性と隼都の2人きりではありませんし、そもそも再婚もしていません。

その方は隼都が帰ってくるという話をするとあまりいい顔をしなかったので、隼都が中3のときに別れています。思い出したくもないのに間違った情報で掘り返されて、それがどんどん広がってしまってうんざりです。

――島に来てみて隼都さんはどんな様子でしたか?

隼都は見学の時点ですでに壱岐を楽しみつつ、新しい環境に少し不安も感じていました。それでも「自分を変えたい」と留学を決めました。

本当は私の方がひとりでいるのが苦手なタイプなので、隼都とは一緒にいたかったんですよ。だから高校生に上がる時には、内心は茨城に帰ってきてほしくて、茨城の高校に相談して願書までもらっていました。

でも隼都は壱岐に残ることを決めました。中国語の勉強をしたくて、壱岐高校にはアジア・中国語コースがあるからそこに通うと決めたんです。

通っていた壱岐市立郷ノ浦中学校の卒業式でも、将来の夢として中国語関連の仕事を挙げていた

Aさんと親子のような関係を築いていて、そこにまだいられる安心感もあったと思います。だから無理に帰ってこいとは言えませんでした。

壱岐高校でもテニス部に入ったと聞いて、自分が直接教えてあげられないのが辛かったです。私も中高生時代はテニスをやっていて、隼都にテニスを教えたいというのが父親としての夢でしたから。

――壱岐に留学をして隼都さんは変わりましたか?

中学に転入してすぐの頃は学校に慣れるまで大変だったみたいですけど、高校はすごく楽しいみたいで笑顔も増えたし、自信を持つようなってきました。

テニスをしている時の写真を見ても、すごくいい笑顔なんですよ。また誰にでも優しくて敵を作らない子でしたから、部活では先輩にかわいがられるだけじゃなく、後輩の面倒見もよくてすごく慕われていたみたいです。留学の目的の一つだった友達作りは上手くいってたんだなと感じました。

高2の夏休みに茨城に帰省したときは、テニスコートを借りて2人でテニスもして、私の願いが叶いました。隼都は非力なので、下から打つ跳ねないサーブを特訓していたみたいで、すごくうまくなっていました。ラリーはまだまだでしたが、サーブは私でも拾うのが大変なくらい上手でした。

お父さんとテニスに興じる隼都さん

高2の冬休みに帰ってきた時も元気で、思い悩んでいるようには見えなかったので、クラスでもうまくやっていたんだと思います。文化祭でも派手な仮装をしてクラスの人気者になれたみたいで、本人はすごくうれしかったようです。Aさんの家でもハロウィンとかクリスマスに、この仮装をして笑いを取っていたそうです。

文化祭で仮装する隼都さん

「ネットでの中傷はまったくの憶測です」

――隼都さんが茨城にいた頃はどういう子どもでしたか?

『星のカービィ』とか『ポケットモンスター』が好きで、いろんなアニメにもとても詳しかった。家にあるポケモンのぬいぐるみも隼都が集めたものです。

小さなころから感受性が強く、ちょっと怒られただけですごく落ち込んでしまうので、怒らずにたくさん褒めることにしていました。人前で喋ることもできないほどおとなしくて、小学生に上がっても友達は少なくて、休みの日に友達と遊ぶこともあまりありませんでした。

小1の時に初めて買ったゲームはテレビゲームで、そこからひとりでも没入できる3DSやパソコンゲームにハマっていきました。

幼少時代の隼都さんとお父さん

小4で不登校になったんですが、中学生になってようやくその理由を「実はいじめられてた」と話してくれた。自分の中でかっこ悪いと思ったことを人に言えない子でした。茨城時代の中学は部活にかなり力を入れていたので、そこでも周りと自分を比べて自信を持てなかったこともありました。

Aさんも、隼都が自分を叩いたりして自虐するという話をされていたと思うんですけど、あれは幼稚園や小学生くらいの頃からありました。丸くなって縮こまって自分の頭をコンコン殴るんです。私もそれを見た時は止めさせて抱きしめました。自分の気持ちを人に言えないので、気持ちの消化ができずに自分を責めちゃうんだと思います。

他の里子たちとも楽しそうに過ごしていた

――留学中に隼都さんとは会っていましたか?

中学の時に電話は何回かしましたけど、ずっと一緒にいた隼都がいなくなったことで自分の方が余裕なくなって、どうしたらいいかわからなくなっていた時期があり、中学の卒業式でやっと会える心境になりました。

そのときは壱岐に5日間滞在しました。高校の入学式は1日しか休みが取れなかったので、日帰りで島に行きました。高1の夏休みは部活の大会で忙しく会えなかったのですが、冬休みに1週間、春休みに2週間、高2の夏休みは11日間、冬休みは17日間、茨城で一緒に過ごしました。テニスやアニメ、昔好きだったゲームや漫画の話など、たくさん話してくれました。

新しい家族のために捨てたとか、厄介払いしたとかネットで中傷されていましたが、まったくの憶測です。いつでも帰ってきてほしかったくらいです。


壱岐高校テニス部の先輩たちが作ってくれたというアルバムには、隼都さんの写真がたくさん貼られていた。テニスのプレー中にハイタッチをしたり、遠征先で友達とはしゃいでいる姿や、文化祭で仮装を楽しむ模様など、どれも笑顔にあふれている。

テニスにも一生懸命取り組んでいた

「隼都が自ら死を選ぶ理由がない」と語る実父のインタビューは後半♯4に続く。

※「集英社オンライン」では、今回の事件について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。
メールアドレス:
shueisha.online.news@gmail.com

Twitter
@shuon_news

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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