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〈壱岐市・男子高校生死亡〉隼都さん実父告白180分「遺灰になってから離したくなくてずっと抱きしめた」「事故死という考えを貫きたい」世間に今、一番伝えたいこと…

集英社オンライン / 2023年4月5日 18時36分

「SNSなどで捻じ曲げられて伝わった誤解をきちんと解いて、本当の隼都のことを知ってほしい」長崎県・壱岐島に離島留学中の3月1日に失踪、約3週間後に遺体で見つかった茨城県出身の椎名隼都さん(17)。彼の実父(43)は、3時間にわたって愛する息子のことや深い信頼を寄せる里親Aさん、息子とともに学び暮らした壱岐の仲間たちのことを語った。♯3よりインタビューを続ける。

「将来は中国語の先生になりたい」と夢を語ってくれた

――留学中の隼都さんとの思い出を教えてください。

隼都さんの実父(以下、同)
中学の卒業式に行ったときは「壱岐に来て良かったよ、壱岐に連れてきてくれてありがとう」って手紙を読んでくれて、すごく嬉しかったです。


そのときに壱岐の島巡りをしたんですけど、隼都は清石浜、鬼の足跡、猿岩、小島神社、壱岐市立一支国博物館、はらほげ地蔵、他にもいろんなところに案内してくれました。
Aさんにすごくたくさんのところに連れて行ってもらっているんだなと思いましたし、釣りをした話も聞いて、茨城にいた時より楽しんでいるなと感じました。
隼都が職業体験でお世話になったパン屋さんにも行きました。
隼都はずいぶん背も伸びていたので、最終日には成長に合わせて洋服をたくさん買いました。ただ動きやすいからか、普段はジャージばかり着ていたようですが。

中学の卒業式での隼都さんとお父さん

生活面では食器洗いや洗濯、料理を手伝ってよく褒められていたみたいで、帰省したときも家事をたくさん手伝ってくれました。
Aさんにも「畑の手伝いもしてくれてすごい助かってたんだよ」と聞きました。隼都も必要とされていることが嬉しかったんだと思います。

――最後に隼都さんと連絡を取ったのはいつですか?

普段はスマホを触らないようにしてましたけど、テニスの遠征とかがあれば持ち歩くんです。ただ冬休みに会って以降はそのタイミングがなくて、最後に送ったラインも既読になってなかった。
コロナで壱岐の隔離施設にいたときは、毎日ラインでお互いに面白いと思った動画を送りあったりしていました。
テニスの試合の結果も逐一送ってくれていたので、「おめでとう、頑張ったな、1勝でもしてくれて嬉しい」などと返信していました。

お父さんと隼都さんとのLINEのやりとり

――最後に会った冬休みには、隼都さんとどんな会話や過ごし方をされたんですか?

夏のころから聞いていましたが、冬休みにも「中国語を勉強できる大学に行って、将来は中国語の先生になりたい」と夢を語ってくれました。
それを聞いて「寂しいから、頼むから関東の大学にしてくれ」と、条件に合う関東の大学も探したりしました。関東圏なら一人暮らしでも週末に会えるかなと思ったので。
庭で一緒にテニスの練習もしました。うちでもテニスの練習ができるように、球を打ったらゴムで返ってくる道具を作ったんですよ。

お父さんが茨城の自宅につくったテニス練習用の道具

それで練習している写真は捜索用のビラにも使いました。
新年には私の実家に連れて行って祖父母に会わせたりもしました。いろんな外食に連れ回すのも隼都が帰ってきたときの楽しみで、焼肉やカレーの食べ放題とか、壱岐にはないという回転寿司にも連れて行きました。

里親のAさんをそこまで信じる理由は?

――隼都さんにはどう成長していってほしかったですか?

やりたいことを応援したいけど、私が寂しいから関東の大学に進んでくれとだけ願っていました。あと1年で隼都が帰ってきてくれるというのが私の生きる目標にもなっていました。
帰省の度に何かしらの楽しみを考えておくんですが、春休みには卓球をやろうかなと思って道具も買って待ちかまえていたんです。
それにゲームも、1人でやるものじゃなくて、みんなでやるものならいいかなと思って、隼都が小学生低学年の頃によくやっていたテレビゲームをやろうと思っていました。
親子2人で思い出にふけりながら。ゲームソフトも当時のものを用意していたんですが……。

――お父さんがAさん夫婦を信頼してる理由はなんですか?

Aさんの家にいる子達はみんな楽しそうでイキイキしてるんですよ。食器洗いや掃除など家事の手伝いをちゃんとやらせてくれるのも、子供たちにはすごくいいことだと思います。
隼都が高校に上がるころには、留学生の受け入れのために家の改築もしています。費用負担もかなりのものだと思います。

それにAさんはみんなでどこに行ったとか、イベントがあったとか、ほぼ毎週、画像つきで連絡をしてくれました。
例えば、壱岐のマラソン大会が控えた時期には、隼都の練習に付き合ってくれて、ランニングコースや走った距離など、細かいことまで画像付きで報告がありました。

ランニングをする隼都さん

頻繁に連絡も取ってくれるので、預けている実親さんたちも不信感を抱くはずがありません。
私自身、Aさんの家に預けていて何の不安もなかったし、隼都の捜索中にも実親さんの1人が手伝いに来られて、食事を準備していただいたおかげで、捜索に集中させてもらいました。

Aさんの人柄の良さは、捜索中に島の人と接していてもすごく感じました。捜索には消防団と警察に加え、Aさんのお知り合いの方々が休みも返上して手伝ってくれたんです。
本当に心強かったです。

――Aさんによる虐待がなかったと信じるのもそれが理由でしょうか?

それもありますけど、隼都からも虐待や暴力、理不尽に怒られたなんて話は聞いたこともないし、Aさんを貶す言葉が出たこともまったくありません。
むしろ隼都はAさんを慕っていて、とにかく壱岐での生活が楽しいと会うたびに言っていたんです。昔に比べてとても明るくなったし、問題なく生活してるんだと感じました。

里親のAさんは里子たちのために様々なイベントを企画していた

※Aさんがラインで送ってくれた日々の報告や写真の中には、食事の風景も多数あり、椎名さんはその様子を見ながらこう答えた

捜索している間の3月2日から、茨城に隼都を連れて帰るまでの約20日間、Aさん宅にお邪魔していたので食事の様子もわかっています。
そのときに他の留学生たちと話をしました。隼都はかくれんぼが得意だったらしくて、遊びでも本気で隠れるのが上手いから今もなかなか見つからないのかなとか、小さい子とはよくオセロで遊んでくれたとか、卓球が上手かったとか、いろんな話をしてくれてみんな慕ってくれてたんだなと思いました。

料理といえば、隼都はいくら食べても太らない体質なんですよ。私も同じなので遺伝かもしれませんが、小さい頃からガリガリでした。
写真を見て、痩せてるからご飯をちゃんと食べさせてもらえてないんじゃないかと誤解していた人もいたみたいですが、隼都は留学生の中でも一番たくさん食べていたそうです。
隼都は身長176センチで体重48キロで、以前自慢げに「クラスで一番背が高くて一番体重が軽いんだ」と話してました。

親子そろって華奢な体形であることがわかる

あまりに細いので、留学を始めたころは、実家でご飯を食べさせてもらってなかったんじゃないかと同級生からも勘違いされていたそうです。

自殺より事故死と思っていたほうが、少しでも気持ちが楽になれる

――失踪を知ったときはどんなお気持ちでしたか?

3月1日の夜、Aさんからの電話で隼都の失踪を知りました。警察に連絡するかどうかの相談も兼ねての電話でした。
とにかくびっくりしましたが、今思えば、同室の子がゲームをしているのを見て隼都も楽しんでいて、その子が出て行ったことで隼都の心にぽっかりと穴が空いて、隼都もゲームを我慢できなくなってしまったんじゃないかと。
用事もないのに上がるなと言い聞かせられていた2階に上がるようになったのは、そこで隠れてスマホに触ってゲームをするようになってしまったんじゃないかなと思ってるんです。
隼都が2階に上がる理由をちゃんと説明できなかったのは、自分のかっこ悪いことを隠すためで、そのせいで変に思われていることに居心地が悪くなって、どうしていいかわからなくなって逃げてしまったのかなって。

ゲームが大好きだった隼都さん

実は中学の時に、テレビゲームをやめない隼都を叱り、一旦は納得した表情をするのですが、その晩に家出をして探すということが3回ありました。そのうち2回は家の物置の中に隠れていたのを見つけましたが、1回だけ探しても見つからず朝方に帰ってきたことがありました。

だから今回も、次の日の朝に出てくるんじゃないかと期待しましたが、まずは自分も向かわなければと思って、すぐに飛行機のチケットを予約して、2日の朝の便に乗って、昼ごろに壱岐に着いて、詳しい状況や失踪するまでの流れも聞いて捜索に加わりました。
捜索中に他の実親さんや島民の皆さんも励ましてくださいました。
でも文春の記事を読んで虐待のことを疑っている人もいて、「あれはデマです」と伝えても納得してない様子でやりづらかったです。

――結果的に悲しい再会になってしまいました。

20日に警察から連絡があり、発見された隼都の写真だけ見せてもらいました。
警察署の安置室で、やっと隼都に会えましたが、骨一つ折れていないものの、遺体は傷んでしまって顔の判別はできませんでした。
着ていた服は間違いなく隼都の服でしたが、警察に触ってはいけないとも言われて、どうしていいかわからなかった。本心は抱きしめてやりたかったです。

21日に隼都を警察から預かって、そのまま火葬場に行きました。遺灰になってからは、もう離したくなくてずっと抱きしめた状態でAさんの家に帰りました。
22日には壱岐高校のテニス部の子たちも一人ひとり手を合わせに来てくれて、中でも隼都とペアを組んでいた子が号泣していたのが印象に残ってます。
24日に茨城に連れて帰り、26日に茨城でも葬儀を済ませました、その時はマスコミに知られたくなかったんで家族葬で済ませました。

隼都さんが所属していたテニス部の部員から送られた追悼のメッセージ

――隼都さんの死は、事故だとお考えですか?

逃げている中での事故死の可能性が高いと考えています。隼都は身軽で木登りも得意だったので、足場の悪いところでも行けてしまうんです。
しかし、以前にAさん宅で空腹のときに、めまいやふらつくなど低血糖症状が出たことがあるようです。今回、何日も食事を摂っていなければ、同様な症状が起こりえます。
自分から海に入ったことも否定できませんが、2〜3日歩き回って、岩礁やテトラポットでふらついて転落した可能性はあると思っています。
自殺より事故死と思っていたほうが、少しでも気持ちが楽になれるとおっしゃってくださる方もいますし、自分も事故死という考えを貫きたいです。

学校の友達とも里子仲間とも充実した日々を送っていたという

今回一番お伝えしたい事は、隼都が行方不明の間、壱岐の島の多くの方々に捜索の協力をしていただいたことへの感謝です。
警察や消防はもちろんのこと、島の消防団、他の里親さんの方々、隼都が通った学校の先生方も夜中まで捜索をしてくださり、高校の同級生やテニス部の仲間たちも個人で捜索を手伝ってくれました。
捜索用のビラを何百枚も、一軒一軒配ってくれました。島内放送を聴いて自宅の敷地内の建物を確認してくださった方もたくさんいらっしゃいました。土地勘がない私が捜索を続けることができたのも、Aさん始め里親さんの人柄で協力してくださる方がたくさん集まってくれたからです。

3月21日、隼都は私たちの元に帰ってきてくれました。一番望まぬ結果ではありましたが、見つかってくれたことがせめてもの救いだと思っています。
協力してくださったすべての方々に感謝を申し上げます。

※「集英社オンライン」では、今回の事件について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。
メールアドレス:
shueisha.online.news@gmail.com

Twitter
@shuon_news

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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