【坂本龍一×福岡伸一】「ここで終わりじゃないんだ、次はあそこに行かなければいけないんだ」対話の末にたどり着いた人生観
集英社オンライン / 2023年4月10日 17時1分
3月28日に亡くなった音楽家の坂本龍一氏と生物学者・福岡伸一氏は、20年来の親交があり、2人が拠点とする東京とN Yでたびたび対話を重ねてきたという。独自の音楽論、生命論をベースに、それぞれの仕事や生き方にも言及した二人の対談書籍『音楽と生命』から一部抜粋、再編集して紹介する(前後編の前編)。
山に登らなければ次の山は見えない
坂本 福岡さんとは、同じニューヨークを拠点にしているということもあって、2〜3ヵ月に1度ぐらいの割合でお会いしていますよね。食事をしながら、「最近、何を研究しているんですか?」「どういう本を書いているんですか?」などとその時々の話題を話していると、あっという間に4時間くらい経ってしまうんですが、お互いの関心が向かうところがとても近いので、不思議な感じすらするほどです。
僕も聞きかじっただけの生物学の知識で話をさせてもらったりして、毎回、とても面白い話ができますね。
福岡 音楽と生物学と分野は違っているのに、私たちが目指すゴールというか、見ているビジョンは同じという感じがするんですよね。
坂本さんの華々しいキャリアと並べるのはおこがましいんですけれども、坂本さんは「音楽とは何か」、そして私は「生命とは何か」ということを、それぞれのなりわいを通じて探求しています。音楽という芸術と生物学という科学は非常に違う営みのように見えるけれども、この世界の成り立ちが一体どうなっているのか、それを捉えたいということにおいては、どこか重なるところがあるのかもしれません。
坂本 そうなんですよね。実際には、科学者である福岡さんと僕とでは、やっぱりずいぶん違うなと思うところもあるんです。たとえば、福岡さんは論文を書き慣れていることもあって、話をするときも、いつもイントロから中盤、結論という見通しをきちんと設計されていますよね。テーマに沿ったノートを作ってきていただいたりして、まるで贅沢な個人教授を受けているような気持ちになります。
一方、僕の性格は本当にランダムで、ただ、その場その場の思いつきでやってきただけなんですね。今、「華々しいキャリア」とおっしゃいましたが、一直線の時間の流れに乗った美しい曲線を描くという感じではまったくないですし、作るアルムも毎回、大きく変わってしまうんです。ある意味、飽きっぽいというか、変わりたいから前とは違うものをやるということを続けてきて、今日に至っています。 思いつきであっちに行ったり、こっちに行ったり……自動筆記のようなものですね。
言い換えると、何かのゴールに向かっていくというより、ゴールがどこにあるのかさえわからないのに、ただ歩くのが楽しいという感じなんです。そういうところは、僕が作る音楽にも反映されていると思います。彫刻家が粘土をいじったり、石を削ったりするのと同じで、自分が見つけたたくさんの素材を「これはいいね」なんて言いながらいじっていたら、何らかの何かができるというだけなんです。
そんなふうに対照的であっても、福岡さんと話していて興味が尽きないというのは、今おっしゃったように、やはり共通する大きな疑問をシェアしているからだと思います。しかもそれは、お互いにかなり大事な本質的な部分だということが多いですね。
一歩踏み出さないとどこがゴールかわからない
福岡 今、坂本さんが「一直線に進んで来たわけじゃない」とおっしゃったことで、今西錦司のことを思い出しました。彼は著名な生物学者であるとともに山がとても好きで、生涯に1500以上の山を登ってきた人なんですね。
「なぜ山に登るのか」という問いに対する答えでは、エベレスト初登頂を目指したイギリスの登山家ジョージ・マロリーの「そこに山があるからだ」が有名です。一方、今西錦司の答えは、なかなかふるっています。「山に登るとその頂上からしか見えない景色があって、そこに、次の山が見える。だからまたその山に登りたくなるということを繰り返しながら、自分は直線的ではなくてジグザグに進んできた」と、彼は言ったんですね。
坂本 山の上をジグザグに、ですか。今西先生がそのようなことをおっしゃっていたんですね。
福岡 そうなんです。この今西錦司の言葉で大事なところは、そこに行ってみないと見えない風景がある、ということですよね。音楽の探求者としての坂本さんと生命の探求者としての私も、やはりいろいろなプロセスを経ながらその場所に行って初めてわかったことがあると思います。
坂本 そうですね。実は『async』というアルバムを作っていたとき、8ヵ月ほどの製作期間の中盤から後半ぐらいは、まるで山登りをしているようだなぁ、と思っていたんです。曲作りをしていて、作り出してみないとどこが山頂かわからないという感覚がありました。
言ってみれば、地図のない登山をしているような感じで、登ってみないとその山がどのぐらいの高さで、どのような経路があって、どういう景色が見えるのか、そしてどこがゴールか一歩踏み出さないとわからない。それがある日、「あっ、これがゴールだ」と実感した瞬間があって、今まで見えていなかった次の山が見えたんですね。「ここで終わりじゃないんだ、次はあそこに行かなければいけないんだ」と思いました。
福岡 ああ、なるほど。そこに来て初めて見えたということですね。
坂本 そのとき、登ってみないと向こうは見えないのだということを、とても強く実感しました。
福岡 今西錦司はダーウィンの進化論を批判したのですが、そのことで大変な論争を巻き起こしました。しかし私は、今西錦司は非常に優れた生物学者だったと思っています。
彼が発した言葉の一つひとつを振り返ってみると、今の進化論的な言葉やロジック、あるいは進化論のロゴスというものでは回収できないビジョンを見ようとした人であったということが伝わってきます。ロゴスとは、言語、論理、アルゴリズムなど人間の脳が作り出した世界のイデアのことであり、これに対するのがピュシス、つまり自然です。
「進化というものは、変わるべくして変わるのだ」という今西の進化理論は、ロゴス的には漠然としていて見えないものであるため、現在の科学では否定的に捉えられていますが、これは今回の対談の一つのテーマになってくると思っています。
内なる自然(ピュシス)に気づく
坂本 よく思うのは、僕たちが住んでいるニューヨーク、あるいは東京という大都市では、大きなビルは硬い頑丈なガラスで自然が遮断されてしまっているし、見渡すとほとんど人工物しかなくて、申しわけ程度に木が立っていたりするけれども、自分自身は人間が作ったものではなくて、木と同じ、丸ごとの自然なのだということです。一番身近な自然は海や山ではなくて自分自身の身体なんです。
福岡 そうですよ。人間も自然生命体、自然物です。
坂本 自分自身が自然だということに気がついてから、僕はいつもそのことが気になるようになりました。自分の身体は自然物なのでコントロールできない。毎日変化するのが当たり前で、風邪も引きますし、病気になりますし、生まれたら死ぬわけで、やがては崩壊していくことになる。これはもう、絶対のエントロピーの法則に従っているわけなんですね。
福岡 そうです、そうなんです。
坂本 ところが、はたしてどれだけの人がそのことを意識しているのか、ということですよね。まるで自分も人工空間の中に生まれ育ったかのような感覚で生活し、仕事をしているという人はとても多いと思います。
福岡 そう、自分の身体は制御可能だと思っているんですよね。本当は、ピュシスである自分自身にロゴスが侵入しないよう、我々は気をつけないといけないんですけれどもね。ロゴスはピュシスをコントロールしようとするものなのですから。
坂本 人間という生き物には、エントロピーの法則に抗って崩壊させまいぞと頑張るというところがありますよね。
たとえば、都会の風景を埋め尽くしているような、非常に反自然的な人工物を作るだけではなく、作った人工物はなるべく崩壊しないようにしたいと、人間は考える。崩壊するということは壊れて自然物に戻っていくことですけれども、それは嫌だと言って、なるべく長持ちさせたいと抗っているわけです。
でも、エントロピーの法則の力が強いので、どんなに抗ってもいつかは崩壊していくことは避けられない。だとしたら、とりあえず自分が生きている間は保ってくれればいい。こういう抗い方が、人間の世界認識というか、ものの癖のようなところの根本にあるように思いますし、そうやって抗うことを繰り返すということを、人間は20万年ぐらいやってきたわけですね。
福岡 坂本さんは音楽で、ロゴスのレンガを積み上げていくというのとは違った、次に何がくるのか予測できない、反アルゴリズム的な作品を作られていますけれども、そうやってロゴスとピュシスの間で引き裂かれながら、ロゴスに振れ過ぎたものをピュシスに戻していく試みを続けていくことが大切なのだと思います。
坂本 そもそも、言葉で言い表せない世界があるから音楽をやっているわけですね。SのサウンドやNのノイズだけではなくM、ミュージックが必要だというのは詩的(ポエティック)であることと同じかもしれないけれども、どんな種類の芸術においても、言葉で言い表せない部分が大事なんですよね。
写真/zakkubalan ©2020 Kab Inc.(坂本氏) 稲垣純也(福岡氏)
音楽と生命
著者:坂本 龍一 福岡 伸一
2023年3月24日発売
2,200円(税込)
四六判/192ページ
978-4-08-789016-7
「教授」と「ハカセ」──長年親交のある二人による初の人生論
80年代、テクノミュージックで一世を風靡した「教授」こと坂本龍一。
以来、常に第一線で活躍し続けてきたが、近年は電子音楽とは対照的な自然の「ノイズ」を取り入れたサウンドを次々と発表。
一方、「ハカセ」こと福岡伸一も、分子生物学者としてDNA解析に象徴される要素還元主義的な科学を追求してきたが、その方法論に疑問を抱き、生命現象を一つの「流れ」として捉える独自の生命哲学、動的平衡論を確立。
20年来の付き合いという両者が、さまざまな挫折を経験しながら現在に至るまでの道のりを語り合う。
コロナ・パンデミック以降、死生観が劇的に変わる今だからこそ、私たちの生を輝かせることに目を向けたい。
音楽、アート、哲学、科学など、多方面に造詣の深い二人が、対話を重ねた末にたどり着いたものとは──。
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