「生きるというのは、一つの長い呼吸のようなものだと思うんです」坂本龍一さんが語っていた“限りある「いのち」との向き合い方”
集英社オンライン / 2023年4月10日 17時1分
福岡ハカセの修行時代
福岡 現在、私が客員教授を務めるロックフェラー大学との関わりは、遡ること 30年ほど前になります。理科系では、大学に四年、大学院に五年行くともう20代後半になってしまうんですけれども、一人前になるには、その後、ポスドク(任期付きの研究員)という修業期間を経なければなりません。
私がポスドクを始めようとしていた1980年代の終わりごろは「日本にはポスドクの制度がないので、とにかく外国に出て修業してこい」という雰囲気がありました。当時はまだメールもネットもない時代ですから、「自分を受け入れてほしい」という手紙をあちこちの海外の大学に送ったんです。
そういう手紙は世界中から来るので、ほとんど捨てられてしまうのですが、たまたま、ここの大学で受け入れてくれる先生がいたので、柳行李一つでニューヨークにやって来たというわけですね。……実際には、スーツケース二つぐらいでしたけれども。
坂本 ロックフェラー大学には、どなたかお知り合いがいたんですか。
福岡 いや、全然いませんでした。たまたま空きがあったということで、運良く拾ってもらえたんですね。
私のポスドク時代はだいたい3年ぐらいでしたが、せっかくニューヨークにいても、自由の女神にもエンパイア・ステート・ビルディングにも行かず、ただただ、ボロアパートと大学を往復する日々でした。というのは、ポスドク生活というものは、今の言葉で言うとブラック企業にいるようなもので、朝から晩まで本当にボロ雑巾のようにコキ使われるんです。
特に日本人の私の場合は、言葉の壁も文化の壁もある中で、自分が曲りなりにも仕事ができるということを、とにかく体を張って示さないといけませんでした。そんなふうにがむしゃらに日夜を問わず働いても非常に薄給でしたから、最低限の生活費を払うと何も残りませんでしたね。
坂本 福岡さんにもそういう時代があったんですね。
福岡 当時の私は、まだ何者にもなれない「nobody」で、精神的にも経済的にもまったく余裕はありませんでした。でも、今から思うと、自分の好きなことだけをやっていればいい、人生最良のときだったとも言えます。
それから時を経て、今度は客員教授として、この大学に再訪するチャンスをいただきました。一応、昔よりも精神的にも経済的にも余裕がややあるということで、少しは、ゆっくり生物学というものを見直してみようかなという感じで過ごしています。
というのは、私は分子生物学という、ロゴスの極みのような研究をずっとやってきたわけで、要するに、機械論的な生物学にどっぷりハマっていた人間なんです。
坂本 でもそれは基礎学力のようなもので、そこを通らないと、その先に行けないですからね。
福岡 そうそう。この前おっしゃっていたように、その山に登って、初めて、次の風景が見えるわけなので……。
坂本 まず登ってみないと、ということですよね。
福岡 私はそんなに大発見をしたわけではないんですけれども、細胞をすり潰したりマウスを解剖したりして、一つひとつの遺伝子に名前を付けるという地道な作業を続け、いくつかの小発見をすることができました。けれども、今から10年ぐらい前に、少し考えるところがあって、ロゴスの生物学から方向転換をしたんです。
20世紀の生物学はウイルスの実態やあらゆる情報を検出できるようになったけれども、それによりあまりにも生物を情報として見過ぎたのではないか、それが今に続く私の問題意識になっています。
作ることよりも壊すことを
福岡 私が主張する生命の「動的平衡」とは、絶え間のない合成と分解を行うことですが、そこでは合成、つまり作ることよりも分解、壊すことのほうを絶えず優先しています。
しかし、20世紀から21世紀にかけての生物学の大きな流れを見てみますと、21世紀はやはり作ることばかりを一生懸命見てきたわけですね。
生物学者は、その細胞の中で、どうやってタンパク質が合成されるか、DNAがどうやって複製されるかといった、構築の設計的なメカニズムを研究してきました。たしかに、それらによって、作るための非常に精密な仕組みは解明できました。それは大腸菌からヒトに至るまで、たった一通りの方法で、DNAの情報がRNA(リボ核酸)に写し取られて、その情報を基にタンパク質が合成されるという、情報の流れだけで作るやり方だったわけです。
ところが20世紀の終わりぐらいから今世紀にかけて、その「作る」ということばかり見る研究の潮目が変わり始めました。特に、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生のオートファジー研究は、「生命は、作ることよりも、壊すことを一生懸命行っている」ことを明らかにした画期的なものです。
オートファジーとは自食作用のことで、大隅先生のチームは酵母という微生物をモデルに使い、定常的・恒常的な細胞内分解システムとしてオートファジーが働くメカニズムを解明しました。大隅先生の研究により、生命現象は作ること以上に壊すことをやめない、どんなときでも、作ることに先回りして壊しているし、しかも、壊すやり方は何通りもあるということがわかったわけです。
坂本 DNAの中に、壊す命令を担っている設計が必ず入っていますよね。
福岡 そうなんです。だから、壊すことの重要性や積極的な意味についても、ちゃんと認識しないといけないと思います。壊すことが先行して起きるから、初めて作ることもできるんです。
生命体では常に、酸化、変性が起こり、老廃物が発生しますから、これらの「ゴミ」を絶え間なく排除しなければ、新しい秩序を作ることはできません。だから、細胞は一心不乱に物質を分解しつつ、同時に再構築するという危ういバランスと流れを必要とするのです。
坂本 死ぬことによって生きる、ではないですけれども、生きるために先回りして壊すというエネルギーの流れは、まるで何かの武道の理論のようですね。
人間は、寝ているとき以外は無意識に、倒れないために常に神経を使っていますが、それは、その人の意識の問題ではなくて、生命として、倒れることを極端に恐怖しているからだそうです。だから、武道で、わざと倒れることを持ち込むと、それはあり得ないことなので、相手が認識できないということが起こるという考え方があるんですね。
いのちとの向き合い方
坂本 生きるというのは、一つの長い呼吸のようなものだと思うんです。吸って吐く、この一つの循環。そしてその流れが止まる――すなわち、「息をひきとる」とき、その生命は死を迎えるわけです。
この動的平衡には抗えないし、また逆らわないほうがいいと思っています。ただし、少しでも長く生きていたいというのも、偽らざる思いです。そのときになってみないとわかりませんが、思想や理屈でコントロールできる問題ではないと思います。
そして僕が死んだとき、僕の体は地に還って微生物などに分解され、次の世代の生物の一部となって「再生」することでしょう。この循環は、生命が誕生してから何十億年と続いてきましたし、これからも続いていくはずです。僕という生命現象は、そうした気の遠くなるような循環の一過程なのだと捉えています。
福岡 死をどのように受け止めるかによって、いかにいのちと向き合うかという生命観の根幹が問われますね。個体の死は本人にとっても、まわりの者にとっても悲しいことですが、避けがたいことでもあります。
天国に行くとか生まれ変わるとか来世があるとか考える方法も一つの死生観ですが、私は死を、――ヒト以外のすべての生物がそうしているように――できるだけ自然に受け入れたいと思っています。
早かれ、遅かれ、すべての生物体に寿命が来ます。それはエントロピー増大の法則に対して抗し続けてきた動的平衡が、ついには、エントロピー増大の法則に凌駕されてしまう瞬間のことですが、死は敗退ではなく、ある種の贈与です。つまりそれまで自分の生命体が占有してきた空間・時間・リソースといったニッチを誰か他の若い生物に手渡すということです。それゆえそこでまた新しい生命の動的平衡が成立します。自分の個体を構成していた分子や原子も環境の中に戻っていきます。
こうして生命の時間は38億年の長きにわたって連綿と引き継がれてきたわけですね。ですから個体の死は最大の利他的行為といえます。身近な人の死を受け入れることは耐えがたいほどの苦しみを伴いますが、このような観点で見れば、自然の摂理によって迎えられた死は、悲しむべきことというよりも寿ぐべきことであり、日本語の寿命という言い方にも通じます。
それから、個体の生命が有限であることが、すべての文化的、芸術的、あるいは学術的な活動のモチベーションになっていますよね。誰もがなんとか生きた証を立てたいと願います。有限であるからこそいのちは輝くのです。そしてその有限のいのちが閉じるとき、また別の生命へと動的平衡がリセットされ継承されます。このようにして生命系全体は連綿と続いてきたし、これからも続き得るのだと思います。
写真/zakkubalan ©2020 Kab Inc.(坂本氏) 稲垣純也(福岡氏)
音楽と生命
著者:坂本 龍一 福岡 伸一
2023年3月24日発売
2,200円(税込)
四六判/192ページ
978-4-08-789016-7
「教授」と「ハカセ」──長年親交のある二人による初の人生論
80年代、テクノミュージックで一世を風靡した「教授」こと坂本龍一。
以来、常に第一線で活躍し続けてきたが、近年は電子音楽とは対照的な自然の「ノイズ」を取り入れたサウンドを次々と発表。
一方、「ハカセ」こと福岡伸一も、分子生物学者としてDNA解析に象徴される要素還元主義的な科学を追求してきたが、その方法論に疑問を抱き、生命現象を一つの「流れ」として捉える独自の生命哲学、動的平衡論を確立。
20年来の付き合いという両者が、さまざまな挫折を経験しながら現在に至るまでの道のりを語り合う。
コロナ・パンデミック以降、死生観が劇的に変わる今だからこそ、私たちの生を輝かせることに目を向けたい。
音楽、アート、哲学、科学など、多方面に造詣の深い二人が、対話を重ねた末にたどり着いたものとは──。
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