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「汚い・臭い・暗い・怖い」というボクシングジムのイメージを覆した元ボクシング王者の緻密なジム経営。年下の上司から呼び捨てにされながら下積み、借金2000万円で開業するが数日経っても入会者は来ず、「もうダメか」と思ったそのとき…

集英社オンライン / 2023年4月13日 7時1分

ボクシングジムは「汚い」「臭い」「暗い」「怖い」というイメージがある。20年前にそんな常識を打ち破り、国内最大級の会員数を誇るボクシングジムグループ「BOXING CLUB」を作り上げた異色の会長に、ジム経営の喜びと厳しさについて聞いた。

年下の上司から呼び捨てにされる元東洋太平洋王者

元世界王者のプロボクサー・村田諒太は3月に行った引退会見で、こう言った。

「アスリートは20代や30代で夢が叶ってしまう。僕もそうですし、それゆえにそのあとのキャリアで悩んでしまう状況はものすごく理解できる。でも、競技だけが人生ではない」



東京・埼玉・大阪で全9店舗のボクシングジム「BOXING CLUB」を運営する今岡武雄氏は、1999年に引退した元プロボクサーである。10代からリングに上がり、プロ戦績は27戦23勝4敗。東洋太平洋王者のタイトルを奪取して4度の防衛中は、ボクシングファンの間では世界タイトル挑戦が期待されていた選手の一人だった。

「でも、ボクシングファン以外は誰も自分のボクシング経歴なんか興味がありません。引退後に就職したケーブルテレビの営業職では、年下の上司からも呼び捨てにされて当初はビックリしました。社内にはボクシングに詳しい人がいたんですよ。この人なら知ってくれているだろうと思ったら『(今岡氏と同じジムで人気選手だった)渡辺雄二なら知ってるよ』って言われました」(今岡さん、以下同)

1997年、プロボクサーとして現役で東洋太平洋王者時代

元王者の経歴はアテにならなかった。それでも将来事業を始める野心があった今岡氏は資金を貯めるために社内の誰よりも働き、入社2か月目からトップセールスマンとなった。

「現役中は朝のロードワーク後に肉体労働していたので、仕事中に足が痙攣することもあるくらいしんどかったんですよ。でも引退したら走り込みもないし、減量もないし、コンディション調整もないし。これで給料がもらえるのかと感動しました。

あと社内で契約数がランキング形式で掲示されるんです。それがボクシングと同じで燃えました。ボクシングの経歴はよく体力だけが武器だと思われがちですが、相手の心を読む心理的な駆け引きは営業にも応用できて、成果も出せました。契約社員として営業職を任された時代は月収100万円を下ることはなかったし、1年も経たないうちに正社員転換となりました。
パソコンもまともに使えないところから、最終的には新人研修などの管理職を任されて、経営戦略会議に参加していました。このときの経験は本当に今のジム経営に役に立っています」

2年半後、節約を続けて800万円の自己資金が貯まった。飲食業やマッサージ業も検討したが、やはりボクシングジムを選んだ。

「BOXING CLUB」代表の今岡さん

「その会社員時代に、宴会用に用意したグローブが社内に置かれていたんですよ。ある日上司から休憩中にミットを持ってくれと頼まれたので応じていたら、次の日も次の日もお願いされて。さらに評判を聞きつけた社内中の社員も行列を作るまでになって、『あ、こんなに喜んでもらえるんだ』と。自分が力を発揮をできて、ビジネスとしてお金を稼げるのはボクシングジムが一番近道だろうとそのとき思ったんですよ」

スパルタの恩師から「俺の真似はするな」と指導

いざ開業。しかしジム開業のために見積りを取ると、2000万円ほど資金が足らないことに気付いて青ざめた。

ここで念のため説明しておくと、世の中のすべてのボクシングジムに3000万円近くの開業資金が必要なわけではない。コストがかさんだのは現役時代に所属していた会長の教えを守ったからだ。

「私が現役時代に所属していた齋田ボクシングジムは、昔ながらのいわゆる選手育成を目的としたスタイルでした。

そんなジムの齋田会長にボクシングジム開業について相談に行ったら『俺の真似はするな』と。つまり、一般会員さんをたくさん集めてジム内は清潔にして、サービス重視で、フィットネス路線にしろというんです。会長はボクシングに関しては鬼のように厳しい人でしたから、驚きましたね。

また、そのために重要なのは立地。食っていくためには郊外に構えるのではなく、『人通りが多い山手線沿線に出店しろ』と」

現在、店舗は賃料を抑えるため路面店ではなく空中階や地下にあるが、1階にはジム内の様子がうかがえるようモニターや立て看板を配置

プロ選手に対しては齋田会長はスパルタな一面があった。一方で別の事業で財を成した方であり、聡明で先見の明があることも今岡氏は知っていた。

いい加減な助言をするはずがない。当初は西武池袋線の大泉学園駅で出店予定だったが計画は中止。次の日から毎日、一緒に事業を始める約束をしていた現役時代の後輩と山手線に乗車して、何時間もぐるぐると回った。

「テナントの空きを探すために、お前は右側のドアから外を見ろ、俺は左側のドアから外を見るからって。で、電車に乗っているとワタナベジム(日本屈指の会員数を誇る大手ジム)が目に入るんです。ああ、賃料が高い路面店より、駅のホームや電車内からは空中階の方が中の様子が見えて、かつジムは動きがあるから人の目に止まりやすいんだ、と思いました。

宣伝広告費も別途かけなくていいし、そこに気付いていた渡辺会長(ワタナベジム会長)はさすがだなと。後になって冗談交じりに『今岡君、真似されちゃ困るよ』と渡辺会長にチクリと言われましたが(笑)。

あとから気付きましたが、齋田会長はご自身の方法ではボクシングジム運営だけで食っていくのが大変なことを知っていたんですね。自分はボクシングで儲けなくてもいい。でも弟子達はそうであってはならない。その上で、アドバイスしてくださっていました」

2021年にオープンした赤坂店も清潔感を重視。床は5回コーティングし、換気面も特注のシーリングファンや通気口を設けてこだわった

中学時代の木工セットで開店DIY

人づての紹介もあり、渋谷駅から徒歩1分のテナントに決まった。周辺相場は1坪数万円以上も珍しくない立地に52坪。一般的にボクシングジムは25坪前後の広さが多いなか、この広さはチャレンジだった。家賃交渉は途中二度破談になったが、最終的には大幅な値下げに応じてくれた。

「ただ一方で不足する開業資金の2000万円は、何としても準備しないといけない。国の制度融資や、日本政策金融公庫など受けられる融資は全部お願いし、友人の家に半年間も居候させてもらって節約の日々です。開業資金を抑えるため、前のテナントの解体工事はドン・キホーテで寝袋を買ってきて、中学のときに使っていた木工セットを使って、現場で寝泊まりしながら小中学校時代の友人と作業しました」

こうして2003年10月にジムは何とかオープンする。しかし、数日経っても入会者はいなかった。

テナントの場所が悪かったのか、宣伝が足りなかったのか。山手線を一緒に回った後輩のトレーナーと二人、ジムで待っているとようやくふらっと人が訪れて、そのまま入会申込書に名前を書いてくれた。

入会手続きが終わった後、控え室で後輩トレーナーと抱き合って喜んだ。

第1号店オープン当時のスタッフと。右から2番目が、山手線で一緒に空きテナントを探した齊藤一人さん(現:中野サイトウボクシングジム会長)写真提供:山口裕朗/boxing-zine

「今考えたら誰もいない部屋で二人抱き合うのは気持ち悪いんですけどね(笑)。でも、そこから社会に評価されたり喜んでもらったりすることで感じてきた充実感や達成感は、現役時代の初勝利や東洋王者戴冠のときと同様、あるいはそれ以上の経験だと思っています」

後編では、ボクシングジムとしては異例ともいえる店舗数を拡大できた理由と、ビジネス戦略について紹介する。

取材・文/田中雅大 撮影/寺島佑(fort)

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