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〈追悼・坂本龍一×忌野清志郎〉奇跡のコラボ対談を振り返るー「オレたちなに友だちっていうの?」

集英社オンライン / 2023年5月2日 7時1分

3月28日、音楽家の坂本龍一さんが逝去した。そして5月2日は忌野清志郎さんの14回目の命日である。日本が誇る偉大なミュージシャンである2人は過去にコラボレートもしていた。坂本龍一の名を一気に国際的なものにした映画『戦場のメリークリスマス』が公開される1年前の1982年、伝説の芸能情報誌「週刊明星」では、その楽曲のリリースに合わせての対談が行われていた。その内容を振り返るとともに、偉大な2人に追悼の意を表したい。

2023年3月28日に71歳で永眠した坂本龍一さん。

「教授」の愛称で親しまれてきた坂本さんは1952年生まれ。幼い頃から作曲を学び、東京芸大在学中にスタジオミュージシャンとしても活躍。1978年にはYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成し、翌年には日本レコード大賞編曲賞を受賞。


また、俳優としても出演した1983年公開の『戦場のメリークリスマス』では、作曲したテーマ曲「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」が当時の全英チャートにランクインするなど、世界のサカモトとしての地位を高めていった。

多彩なジャンルにわたって数多くの名曲を世に送り出した坂本氏だが、ロックミュージシャンの忌野清志郎さんとコラボレートした、1982年リリースの資生堂のCMソング、『い・け・な・いルージュマジック』もそのひとつだ。

『い・け・な・いルージュマジック』(ロンドンレコード)。忌野清志郎と坂本龍一とのコラボレーションシングルは、忌野の実質的なソロデビューシングルであるというから驚き。作詞作曲はもちろん両名が担当。メイクを施した2人が登場するレコードジャケットやPVがおしゃれすぎると男女問わず話題となった

週刊誌芸能デスクが解説する。

「作詞・作曲も清志郎さんと坂本さんが担当したCMソングで、本来は資生堂が提示した仮タイトルは『すてきなルージュマジック』だったが、お二人が独断でタイトルを変えてしまったのは有名な話。
リリースから2か月で50万枚以上を売り上げ、プロモーションビデオでは突然、清志郎さんが坂本さんに熱烈にキスしたことも大きな話題になりました。偶然か運命か、坂本さんの死が明らかになった4月2日は清志郎さんの誕生日でもあります」

また、本ナンバーのリリースされた1982年に芸能週刊誌「週刊明星」(1991年休刊/集英社)にて2人の対談企画も行われている。当時多忙を極めたであろう2人の奇跡のようなツーショットと、ミュージシャンとして互いにリスペクトしあう心が伝わってくる貴重な企画だ。

「週刊明星」1982年 3月11日号より。撮影/今津勝幸

「週刊明星」で撮り下ろされた見開き写真は、おどけた表情で座禅を組む若かりし頃の坂本さんと清志郎さん。
対談では、お互いの第一印象についても語られおり、互いに「オレたちってヘンかなァ?」と言いながらも、親しげな様子が伺える。

坂本 オッ、元気でやってる?

忌野 ウン、げ・ん・き!

坂本 なあ、オレたちってヘンかなァ?

忌野 ヘンじゃないかッ!

坂本 そうか…やっぱりヘンなんだなァ(笑)。声もそうだし。

忌野 でも教授(坂本)はいい声してると思うヨ。

坂本 声コンプレックスなんだけどね。ホラ、唇が多くて歯にすきまがあってサ。

忌野 レコーディングの時のコーラスは感じるところがあったよ。もっと歌えばいい。

坂本 コーラスはボクもそう思ってたんだ、フヒヒ。でもキミの声はすごくセクシーだよ。RC(※RCサクセション)のステージも最高! あのカンジをもっと出したい、ってボクなりに考えていたんだ。

忌野 それで今度の歌ができたんだよ。初めて会ってスグにね。以前、教授に曲を頼まれた時はツアー中でダメだったし。

坂本 去年テレビでライブを見て、なにか一緒にやれたらナ、と思ってたんだ。

忌野 やっとそれが実現して良かったよ。一緒にやっててとても自然だったし。やっぱりオレたち、通じるところがある。

「週刊明星」1982年 3月11日号より抜粋

『い・け・な・いルージュマジック』はいかにして生まれたか

かねてより清志郎さんは坂本さんとの共演を望んでおり、『い・け・な・いルージュマジック』は3年越しの願いが叶った合作だった。

その忌野清志郎さんが2009年5月2日にがん性リンパ管症のため、58歳でこの世を去ってから、早14年が経とうとしている。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを牽引し、独自のロックサウンドを展開。その圧倒的な存在感と、RCサクセションのライブアルバム「THE KING OF LIVE」(1983年)にちなみ、“ザ・キング・オブ・ロック”の異名を取った。

高いサウンド力もさることながら、その作り出す歌詞のメッセージ性において、ファンやリスナーのみならず、世間まで巻き込んだことも一度や二度ではない。
中でも、1988年、RCサクセションの洋楽カバーアルバム『COVERS』の発売中止騒動から、清志郎とよく似たZERRYという人物がザ・タイマーズを結成して、さまざまな人物のライブに飛び入り参加したという逸話は今なお伝説のごとく残っている。

間違いなく日本が世界に誇れる2人。奇跡のコラボレートには感謝の気持ちしかない。数えきれない名ナンバーたちをありがとう。
「週刊明星」1982年 3月11日号より。撮影/今津勝幸

オレたちなに友だちっていうの?

坂本さんと清志郎さんは、この対談での終盤、互いに才能を認めあい、「友」と呼び合った。
「二人は何友達か?」との質問に対する坂本さんの回答は、実にユーモアに富んだものだった。

坂本 オレたちなに友だちっていうの?

忌野 うん。友だちダ。

坂本 良い子友だち、ホメアイ友だち……。キヨシ、ステージとかLPどうする?

忌野 ぜひやりたいヨ。

坂本 絶対やろうぜ!

「週刊明星」1982年3月11日号より抜粋

貴重な芸能情報や撮り下ろしが満載だった芸能週刊誌「週刊明星」。1991年に休刊している。1982年3月11日号

2009年5月9日には、東京・青山葬儀所で清志郎さんのロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が行われた。弔問客は4万3000人にものぼり、竹中直人、甲本ヒロト、大竹しのぶらが弔辞を読んだ。
大竹が涙を流しながらファンに向かって「愛し合ってるかい?」と清志郎さんおなじみの問いかけを繰り返していたのも印象的だった。もちろん『い・け・な・いルージュマジック』も大音量で鳴り響いた。

あれから約14年、天国で再会を果たしたであろう清志郎さんと坂本さんは、ジョークを飛ばしあいながら、久しぶりのセッションを楽しんでいることだろう。


文/集英社オンライン編集部ニュース班

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