「撮らないで…」藤原紀香さんにヒントを得たトレーニングで倒れた栗城史多氏が、その様子をカメラに撮らせなかった理由
集英社オンライン / 2023年4月14日 11時1分
従来の登山家のイメージには収まらない型破りな活動を続け、話題を呼んだ栗城史多氏。2018年に亡くなった彼の活動には、一方で激しい毀誉褒貶もついて回り、いわゆる「困ったちゃん」の一面を見せることもあった。文庫版『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』から一部を抜粋、再編集して紹介する。
トレーニング中に倒れた「困ったちゃん」
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写真はイメージです
2009年の2月と3月、私は栗城さんと頻繁に会っていた。彼がスポンサー回りや講演で留守にするとき以外は、毎日だったと思う。丸一日取材した日もあれば、営業の途中に街中で十分だけ、という日もあった。
私がBC(ベースキャンプ)まで同行することは全国放送の企画が頓挫した時点で諦めていたが、番組にしてセールスをかけなければならなかった。《もうあんな失敗は許されない》という思いもあり、私は彼の登山の進捗を逐一把握しておきたかったのだ。
「メール事件」以後、栗城さんの態度は明らかに変わった。
それまで私は、取材の突然の変更やキャンセルを彼から何度も食らっていた。最初のうちは、多忙なのだなあ、と同情すらしていたが、あまりに頻繁だ。何カ月も前からお互いのスケジュールを調整しあってセットした、Aさんとの婚約を祝う食事会まで当日の朝になってキャンセルされると、さすがに首を傾げざるをえなかった。
私はいつしか栗城さんを「困ったちゃん」と呼ぶようになっていた。もちろん面と向かってではない、自分の心の中でだ。
しかしこの時期の栗城さんは、ドタキャンがなくなった上に、私が以前から出していた撮影のリクエストに応えようとしてくれた。
栗城さんと出会って1年近く経過するのに、私たちは彼のトレーニングの様子を撮影していなかった。事務所や講演先ばかりで、同行するカメラマンも「登山家を撮ってる気がしません」と半ばキレ気味にこぼしていた。
「今度、冬山に登りますから撮ってください」
私たちは栗城さんの言葉に小躍りした。山まで行く日程は結局取れず、近場の支笏湖周辺での訓練に変更された。酪農学園大学山岳部の先輩、森下亮太郎さんが一緒だった。湖畔の林道に車を置き、スキーを履いて15分ほど登ると凍りついた滝があった。
この滝をヒマラヤの氷壁に見立てて登るという。私たちが登るには森下さんにロープで補助してもらう必要がある。全員だと時間をロスするので、カメラマンだけ上げてもらった。
5時間ほどの訓練が終わると、栗城さんが真っ先に下りてきた。
「絶対いい画が撮れたはずですよ」と、ニッコリした。
「藤原紀香さんがやってるのを見て『これだ!』って」
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写真はイメージです
3月の頭には、フィットネスクラブに私たちを誘った。
「栗城のトレーニングなんて、ちょっと撮れないですよ」と自分で言うところが彼の「らしさ」だが、私は好意的に受け取った……《やはり番組が流れたことを、彼なりに、申し訳なかった、と思っているようだ。面と向かって「すみませんでした」と言えないタイプの人間なんだろう。根は悪いヤツじゃない》。
観察モードの私が応援モードに再び舵を切ることはなかったが、彼への不信感は少しずつ鎮まっていった。
フィットネスクラブで栗城さんは、まずランニングマシーンに乗った。他の利用者と明らかに違うのは、彼の口が黒いゴムのトレーニングマスクで覆い隠されていたことだ。肺活量と持久力を高めるマスクだという。
ズー、ファー、ズー、ファー。
シリコンのレギュレーターから映画『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーの吐息のような音が漏れてきて、私は呆気に取られた。
やがてフロアに下りてマスクを外すと、彼は自ら考案したという「凍傷にならないための訓練」に移った。両手を顔より少し上に上げ、強く握ったり開いたり、あるいは左右の手でザイルを手繰り寄せるような動きをひたすら繰り返した。苦しそうに喘ぎながら、この訓練について解説してくれた。
「全身の、フー、毛細血管に、ハッ、血が、流れていく、ウッ、様子を、イメージしながら、クー、やる、んです」
栗城さんは二の腕と足の付け根に、左右とも黒いバンドをはめていた。加圧バンドだ、と教えてくれた。
「誰かに教わったんですか?」
この日の栗城さんは精悍なアスリートの顔をしていたが、私がそう尋ねた途端、表情が崩れた。
「藤原紀香さんです。テレビで加圧トレーニングをやってるのを見て、『これだ!』って」
栗城さんはマットの上で腹筋運動を始めた。ところが、わずか数回で動きを止めてしまう。フラフラした足取りで更衣室の方に向かったのだ。
なかなか戻って来ない。心配になって覗きに行くと、栗城さんはロッカーの前で倒れていた。ウッウッウッ、と声を漏らしながら、苦しそうに全身をくねらせている。
このとき、私は呼びに行こうとした……ジムのスタッフではない、カメラマンを、だ……。苦しんでいる栗城さんを「撮らなければ」と思った。だが、彼と目が合ってしまった。私は栗城さんに近づいて、こう聞いた。
「大丈夫ですか? ジムの人、呼んできますか?」
栗城さんは、私の心を見透かしていた。
「撮らないで……」
なぜあのとき、「いえ、撮ります!」と言わなかったのか、私は後からとても悔やんだ。
かっこ悪いと栗城さんは思ったのだろう。《テレビの撮影を意識してついやりすぎた》……苦痛と混乱の中で「撮らないで」と発したのだと想像する。
だが、かっこ悪いから、かっこいいのだ。やりすぎてぶっ倒れるドジなところが愛おしいのだ。栗城さんのためにも撮っておくべきだった……。
オッチョコチョイだったり、危なっかしかったり、かわいく思えたり、腹が立ったり、呆れるしかなかったり……この人は本当に「困ったちゃん」だ。
文/河野啓
デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場
著者:河野 啓
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/04/11013056760927/400/3.jpg)
2023年1月20日発売
825円(税込)
文庫判/384ページ
978-4-08-744479-7
第18回開高健ノンフィクション賞受賞作
「夢の共有」を掲げて華々しく活動し、毀誉褒貶のなかで滑落死した登山家。
メディアを巻き込んで繰り広げられた彼の「劇場」の真実はどこにあったのか。
両手の指9本を失いながらも〝七大陸最高峰単独無酸素〟登頂を目指した登山家・栗城史多氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ注目を集めたが、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。彼はなぜエベレストに挑み続けたのか? そして、彼は何者だったのか? かつて栗城氏を番組に描いた著者が、綿密な取材で謎多き人気クライマーの真実にせまる。
外部リンク
- 日系ブラジル人ギャングが語るコカインの単価、隠し方、送り先、売り方…。「ヤクザは覚醒剤、不良のガキどもは大麻、俺ら日系人が扱うのはコカインって棲み分けができてる」
- 異色の登山家・栗城史多氏の“高額な遠征”を大学時代からバックアップしていた「資金調達の指南役」と「北海道政財界の面々」
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