戦争の記憶もまだ生々しい沖縄から、「元敵国」に向けて旅立った若者たちがいる。アメリカ陸軍省の資金による奨学金を得て、ハワイやアメリカ本土の大学や大学院で学ぶため海を越えた学生たちである。一九四九年から一九七〇年代初頭までに、こうしてアメリカに留学し、帰郷後さまざまな形で沖縄社会をリードしていった一千名余の人々は、沖縄で「米留組」と呼ばれる。
この時期、日本本土からも、フルブライト奨学金などによりアメリカに留学した学生や研究者は数多くいる。しかし、住民の四人に一人が亡くなったとされる沖縄戦を経験し、アメリカ軍政府の統治下に置かれ、日本復帰運動が高まる沖縄において、アメリカ留学はとりわけ複雑な意味を持っていた。親米エリートといった揶揄の意味合いも込められた「米留組」という呼称がそれを象徴している。本書は、この時期のアメリカ留学経験者約四十名への丁寧な聞き取り調査、そして公文書などの分析をもとに、「米留組」にとってのアメリカ・日本・沖縄の意味、そして沖縄社会にとっての「米留組」の位置付けを探ったものである。
米留制度は、アメリカ政府の沖縄統治、そして冷戦構造下における文化外交の一環として設立されたもので、そこには多分に政治的な意図があった。しかし、「米留組」は決してアメリカを無批判に賛美する「親米派」ではなかった。「米留組」がアメリカに旅立つまでの「沖縄」における位置付けも、アメリカ留学を目指す動機も、体験した「アメリカ」も、そして留学から学んだことを沖縄社会に還元してきた道程も、ハッとするほど複雑で多様である。
著者の山里絹子さん自身、「米留組」の孫弟子として琉球大学で学んだ後、ハワイ大学で学位を取得した、いわば米留第三世代である。ときには雄弁に、ときには訥々と、「アメリカ」「日本」「沖縄」と自分を語る「米留組」のライフストーリー。「米留組」を歴史と政治の構造の中に位置付け、冷静な分析をしながらも、あくまでも当事者の声を尊重し、真摯に耳を傾ける山里さんの姿勢。それらが鮮やかに織り成された文章が、脳を刺激し、心を打つ。