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〈陸上自衛隊石垣駐屯地にミサイル搬入〉「地球上から消え失せろ!」抗議する住民を機動隊が排除し、ミサイルが搬入された一部始終

集英社オンライン / 2023年4月14日 19時1分

軍事活動を活発化させる中国を念頭に、石垣島(沖縄県石垣市)に3月16日、陸上自衛隊の石垣駐屯地が開設された。2日後の18日には抗議する市民を機動隊が強制排除し、とうとうミサイルが搬入されることとなった。その一部始終をレポートする。

ミサイル配備後にスピーチをする山里節子さん(85歳)。これからも反対を続けていくという意志を示した

駐屯地開設でまたひとつ「分断」が

3月16日、数々の問題を抱えたまま石垣島に自衛隊駐屯地が開設された。

その朝は8時から駐屯地のゲート前で抗議集会が開かれていた。集会に駆けつけ、まず感じたのは抗議する市民たちの数が半減していることだった。2019年3月の着工時に集まった人数は80名ほどだったが、この日は半分ほどで報道陣の数の方が多いように見えた。



この4年、建設工事が続く中で、いくつもの分断がこの島にもたらされた。人口5万人の島だ。親類や知人にこの基地工事に関連する人物がいない方が珍しい。軋轢を避けるため、基地の話題がタブーになっていく。人々は消耗していた。反対の気持ちがあってもこの場所に来たくない、駐屯地を直視したくないという島民の感覚は、痛いほど伝わってきた。4年前の工事開始時には、まだ集会で時折、笑顔を見ることがあったが、その日は誰の笑顔も見ることはなかった。

抗議・要請書を手渡しに行く市民。応対する自衛官は自動小銃を装備している

この日、市民たちが手渡した抗議・要請書に記されていたのは、

・周辺環境の破壊や敵基地攻撃能力の有無など、地域住民への説明が不十分なまま建設工事がなされ、「開設説明会」さえも開設後に行われることへの抗議。
・ミサイル配備の日程やルートを公表すること。
・訓練や排水、交通量の変化などによる駐屯地開設後の環境被害や市民生活への影響への懸念と市街地での迷彩服の着用を控える要請。

地域住民として当たり前の抗議・要請内容であると感じたが、この動画をSNSにアップすると多くの誹謗中傷が寄せられた。自衛隊は今、この国のタブーになりつつあるのかもしれない。自国の「軍隊」に類する組織に対し、批判や疑念を表明することも許されない風潮がすでに蔓延しているとしたら、それはつまり78年前の日本軍に似通った構造になりつつあるのではないか。大きな不安がよぎる出来事だった。

自衛官たちの自動小銃が鈍く光っている

自衛隊が配備された於茂登地区の元公民館長で、農業を営む嶺井さんのスピーチが胸に刺さる。

市長は5年前「断じてミサイル基地ではない」と演説して当選

彼らの親の世代は、65年前に嘉手納基地に生活の場を奪われ、琉球政府計画移民としてこの場所に移動してきた。水も道路もない、岩だらけの厳しい土地を開墾し、水を引き、畑を切り拓き、先人たちは生き抜いてきた。於茂登、開南、嵩田、川原、これらの集落はそうした先人たちの血のにじむ苦労の積み重ねの末、今ではパインやマンゴーの実る豊かな耕作地帯となり、石垣の農業を支えている。

そんな場所に再び、地域住民への説明も合意もないまま自衛隊基地が作られた。環境への影響が公表されるかどうかも不明瞭だが、水源地である場所を47ヘクタール(東京ドーム約10個分)も切り拓き基地を作ったのだ。環境や生態系への影響がない方が不思議である。土地に根を張り生きてきた農家にとって、土地を汚され奪われる、その怒りや無念さは計り知れないものだ。

駆けつけたある島民男性は苛立ちを隠さずに言う。

「なんで今になってマスメディアがこんなに来るのだろう。たくさんの問題が起こってる時も来なかったメディアたちが、なぜ完成した今になって来るのだろう」

空には何台も何台もヘリコプターが飛び交い、駐屯地を空撮していた。これらのヘリが飛ぶべきだったのは、環境アセスを逃れて着工した時だったはずだし、住民投票を市議会が否決した時だったはずだ。
今日飛んでいるヘリは、自衛隊駐屯地開設おめでとうと祝っているようだったが、マスメディアの仕事とは果たしてそれでいいのだろうか。

人数が減っても抗議の声を上げる市民たちを見つめながら、私は無力感にさいなまれた。いくつもの理不尽や民主主義を破壊するような行為を目のあたりにしながら、それらは日本社会に問われることなく、森は切り拓かれ基地は建設された。私自身も取材者の立場として打ちのめされていた。

人々の顔に焦燥感が漂う。住民たちはメディアからの取材に疲れ果てていた。何度も何度も同じ話を繰り返し質問され、ため息をつく住民たちにマイクを向けることは私にはできなかった。

それとは対照的に市街地の観光客たちは何も知らなかった。何も知らされていないことに憤る人々と、何も知らされていないことすら知らない人々、この絶望的な対比を私は眺めていた。

この日の石垣市議会で野党議員から市長へ、敵基地攻撃能力を持つミサイルが将来的に配備される可能性についての質問が飛んだ。しかし中山市長はのらりくらりと「現時点では答えることができない」と繰り返し、ゼロ回答だった。議会制民主主義の崩壊は、中央の国会から、今や地方議会までに及んでしまったと感じた。

彼は2018年の市長選の際「防衛省が石垣に計画しているのは自衛隊駐屯地です。そこは断じてミサイル基地ではありません。ミサイル基地というのは直接、他の国の国土に攻撃できるものがミサイル基地です。もし石垣島への自衛隊基地がミサイル基地だったら、私は反対します。ミサイル基地は絶対許さん」そう演説して当選した人物である。

そもそも彼のミサイル基地の定義が欺瞞的な解釈であることに気づく。今回、石垣駐屯地に配備されるミサイルは12式地対艦誘導弾で、射程は200km前後。他国には届かないが石垣から166kmの尖閣諸島には届くものだ。中国側が尖閣を自国の領土と認識していることを踏まえると、このロジックは危うくなる。

また、昨年の安保3文書改定により、政府は専守防衛の原則から転換、石垣島へ敵基地攻撃能力を有するミサイル配備の懸念も高まっている。もし今後この配備が行われた場合、中山市長は深刻な公約違反となってしまう。

ちなみにこの自衛隊駐屯地の地権者である友寄市議への防衛省からの予算(土地取得費用)の流れは、いまだに非公開のままだ。

自衛隊石垣駐屯地開設の朝、周辺の農家の男性は基地を見つめていた

島にミサイルが来た朝

ミサイル搬入の情報は当日の未明になっても判然とせず、島に駆けつけた報道陣たちも混乱していた。普段はクルーズ船が着くターミナルに不自然な目隠し工事が急ピッチで進んでいることを住民たちが発見し、どうやらそのターミナルから搬入されるのではないかとの不確定な情報だけが頼りだった。

3月18日、早朝5時半。忙しさもあって、まったく眠れずに現場へ向かった。

石垣市内からサザンゲートブリッジを渡った先の南ぬ浜町がその舞台だった。普段は野良猫で有名な不思議な埋立地だが、すでに警備員が立ち、一般車両のUターンを促していた。その立ち入り禁止指示になんの法的拘束力もないことは当の警備員もわかっているようで、さも自信なさげに誘導棒を振っていた。

石垣港新港旅客船ターミナルには、九州の警備会社の警備員たちが並ぶ

物々しい警備体制だが、事態を飲み込めていない不安そうな顔のガードマンが並ぶ。会社名を検索すると九州の会社だった。「いつも九州だな」反対運動をする市民がつぶやく。昨年の復帰50年式典の警備も九州の機動隊だった。400年前の薩摩藩による琉球侵攻から始まったこの島々への搾取は、今も変わらないのではないかという疑念がこの島々に住む人々から時折、垣間見える。

冷たい雨が降るなか、徐々に反対する市民が増えていく。6時半をすぎ、大きな影が入港するのが見える。海上自衛隊の移送艦「おおすみ」だと群衆の誰かが言う。

7時頃に「おおすみ」は接岸した。朝陽は登ったが曇り空で、「おおすみ」がその曇り空と同じ不吉な色をしていることがぼんやりと目視できた。それは日常生活では見ることがないほどにあまりにも巨大で、見つめるだけで息苦しさが込み上げた。

ゲート前に集った100名近くの人々がスピーチをしたり、反対の声を上げ始める。85歳の山里節子さんが絞り出すように叫ぶ。「ミサイルは穢らわしい。この浜は岬の浜。美しい岬の浜です。この浜にはお米や粟や食べ物が運ばれてきました。命をはこんできてくれたのです。あんたたちはそれを蔑ろにしようとしている。とっとと帰んなさい。とっとと消え失せろ。地球上から消え失せろ。二度とくるな。私たちの美しい島を汚さないで。とっとと消え失せろ」
過酷な戦争マラリアを生き抜いた節子さんの声が強風の中で震えていた。
まるで消えそうな蝋燭の炎が、風の中で懸命に揺れているかのようだ。その炎が集った人々の心に少しずつ伝播してゆく。

移送艦「おおすみ」を見つめる山里節子さん

85歳の「おばあ様」は鉄製の檻の中に入れられ…

8時を過ぎると、移送艦の上のトラックが車止めを外され、タラップを下り、一台ずつ地上に並んでゆく。現場に緊張感が走り、人々がゲートに詰め寄る。カメラの望遠レンズ越しに見ると「火」というマークが貼られているのが見える。そのコンテナにミサイルが積まれていることは明白だった。

人々が慌ただしく動き始める。それとともに現場に怒りが充満してゆく。ふと気づくと警官の数が増えている。反対する市民の数を数え、無線でどこかとやりとりしているのがわかる。市民をどのように排除するか県警が戦略を立てているのだ。思えば2019年の香港警察もそうだった。大規模な警官隊が現れる前に、密偵のような警官たちが群衆に紛れ、不穏な動きをする。喉が乾いていくような時間だ。

この場所が封鎖されることを察知した一部の市民が声をかけあって、それぞれに自動車に乗り込んでいく。この場所はこの人工島にある一本道の行き止まりの場所であるため、その道路を封鎖されると閉じ込められてしまうのだ。封鎖を潜り抜けた彼らはこの後、市街地で自動車による牛歩作戦を展開することになる。

輸送艦の甲板にあるミサイルを積んだトラック。赤地に白く「火」のマークが見える。

ミサイルを運搬する自衛隊員たちが整列してトイレに向かう

9時近くなった頃、ゲートの向こうに自衛隊員たちの行進が見えた。彼らは一列に折り目正しく行進し、トイレへ向かい、また一列になり戻ってゆく。軍隊に入るとトイレにも自由にいけないのだと改めて考えさせられる光景だった。人間が個人としての主体性や尊厳、自由を失い、国家の駒となる。戦争とはそういうものだとまざまざと見せつけられた気がした。

ターミナルの中にトラックが数十台整列した。ここまですべて時間通りに行われたため、9時にゲートが開くと誰もが予見し、反対する市民たちが体に力を入れゲートに押し寄せた。激しい憤りから泣き出す者もいた。マスメディアの群れも固唾を飲み、カメラを構え、皆、眉間に皺を寄せた。

予想通り9時だった。ゲートを守るガードマンの隙間から、港湾関係者が震える声で退去を呼びかけた。「通行の邪魔になっているので退去せよ」との儀礼的な通告だ。ほどなくしてあちこちで小競り合いが始まり、それが怒号に変わっていく。

私はゲートの最前列に詰めかけた山里節子さんの横顔を撮影し続けていたが、気づいた時には機動隊が雪崩れ込んできた。市民であろうとメディアであろうと区別なく機動隊の手につかまれ、あっという間に激流のように押し流された。辺野古のゲート前では座り込む意思のないメディアは排除されないこともあるが、この日は問答無用、十把一絡げにすべての人間を排除するという冷酷さが感じられた。

「危ないですよ。気をつけてください」手荒で暴力的な排除なのに言葉だけがやたら丁寧なのは、いつもの手口だった。これには撮影した映像だけを見ると、市民やメディアが悪者かのように錯覚させる効果があり厄介だ。私も食い下がったが、あっけなく泥でも払うように排除された。

気づくと山里節子さんが機動隊に囲まれ、そのまま歩道に設置された鉄製の檻の中に入れられてしまった。85歳の「おばあ様」である。屈強な機動隊に対して彼女ひとりで一体何ができると言うのだろうか。
あまりに理不尽で非人道的な光景だと言わざるを得なかった。

混沌とシュプレヒコールの中、ミサイルを積んだトラックがゲートから出てくる。
「機動隊は一体何を守っているんでしょうか?」市民たちの叫びが虚しく響く横をミサイルたちが通り過ぎてゆく。

機動隊の強制排除。その向こうに移送艦「おおすみ」が見える

排除され檻の中に入れられる山里節子さん

自国の民主主義を踏み潰してまで行われる”国防”

混沌と共に、ミサイル搬入車両は駐屯地へ向けて出発したが、封鎖を免れた市民たちの自動車による牛歩によって、その速度は人間が歩くほどになっていた。私は友人の車両に乗ったり、降りて走ったりを繰り返してミサイル搬入車両を追いかけた。市街地の路面店の店主のミサイル搬入車両を見る驚きに満ちた表情が胸に残っている。

牛歩走行をして規制された住民の車両とその横を通過するミサイル搬入車両

石垣の市街地をミサイル搬入車両が通過していく

ミサイル搬入車両は物々しい警備体制で駐屯地へ向かう

駐屯地に入っていくミサイル搬入車両

市民たちの牛歩で、ミサイル搬入車両が鈍行している間に、私は駐屯地に先回りした。牛歩に挑んだ人々も次々に規制され、トラックは断続的に駐屯地へ入って行った。この日、15台の車両が搬入され、陸上自衛隊石垣駐屯地にミサイルが配備された。

ミサイルが配備された直後の山里節子さんの言葉は重い。彼女はこれからも反対を続ける意志を示した。沖縄戦、日本軍の強制移住による戦争マラリアや食糧の収奪、そして事実の隠蔽。「軍隊が住民を守らない」それどころか軍隊の間違った運用によって多くの死者を出したこの島の過去に、私たちは今一度、向き合わなければならないはずだ。同じ過ちを二度と繰り返さないために。

なぜこの島に生まれたという、たったそれだけの理由で、この島に暮らす人々は当たり前の生活を望むことが許されないのだろうか? なぜ愛する人や尊敬するおばあ様が涙を流し、機動隊に運ばれる姿を見なくてはいけないのだろうか? なぜ友人や家族、親戚との人間関係を破壊されなければならないのだろうか?

前回触れた与那国島ではすでに自衛隊関係者が人口の15%を占め、選挙も意思表示もままならない状態が作られた中、さらなる基地の拡張が計画されている。なし崩し的に自衛隊と米軍の合同演習も行われた。

この石垣島にも570名の自衛隊が駐屯し、人口の1%を占め、それは市議会のバランスに大きな影響を及ぼすだろう。防衛省と石垣市は有事の際に1千人から2千人規模のシェルター設置を目指すと発表したが、石垣市の人口は5万人、観光客を合わせると約7万人弱とも言われており、このシェルターに入れる2千人と入れない6万8千人を誰が選別するのかにも大きな不安がある。

昨今、この国の民主主義が危機的な状況にあるという声は多く聞かれるが、今の石垣や与那国、そして琉球孤の島々に対する国家の横暴を目の当たりにすると、すでにこの国の民主主義は壊れていると私は感じる。

条例で定められた署名数に達した住民投票はいまだに行われないまま、あろうことか市議会は条例から住民投票の項目を削除した。石垣市住民投票を求める会が起こした「当事者確認訴訟」は結審を終え、5月23日に判決を迎える。

そのような中、4月6日16時頃、陸上自衛隊幹部ら10人が搭乗したUH60JAヘリが宮古島駐屯地(反対運動の中、2019年開局)から離陸し、下地島付近で消息を絶った。9日現在、いまだ乗員の安否や事故原因は不明である。

前述した山里節子さんの日本軍に関するスピーチや、今までの米軍機事故の顛末を踏まえると、今回の事故の情報がどこまで開示されるかは極めて不透明だ。このような不透明な存在と、同じ島共存することを強いられる人々の不安感をわれわれは無視してはならない。

自国の民主主義や人権を踏み潰してまで行われる国防とは一体なんなのだろうか? 今、この国に生きるすべての人々が問われている。

取材・文・撮影/大袈裟太郎

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