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【画像多数】フェラーリ、マセラティ、ロールスロイス…堺正章氏が参加20台を厳選。“走る芸術品”クラシックカーの祭典「SUPER MUSEUM」密着レポート

集英社オンライン / 2023年4月18日 17時1分

タレントの堺正章氏が主催するクラシックカー・イベント「SUPER MUSEUM」が2023年3月26日から27日にかけて開催された。そのイベントに『クラシックカー屋一代記』(集英社新書/3月17日に発売)の著者・涌井清春氏も参加するということで、同書の構成を手がけたジャーナリストの金子浩久氏が密着ルポ。その模様をお届けする。

世界に誇る20台が六本木ー富士を往復

『クラシックカー屋一代記』著者の涌井清春氏(右)と金子浩久氏

堺正章氏は1990年にイタリアで観戦したクラシックカーレース「ミッレミリア」に感激してクラシックカーを入手して以来、これまでに国内外でレースやラリーをはじめとするさまざまなイベントに参加してきた。30年以上もクラシックカーを愛し、同好の士たちと交流を深め、その魅力に取り憑かれてきた。



当然、その間に培われた知識や見識などは豊富で、オーナー同士の交流は濃厚なものになった。その成果を活かすかたちで開催されたのが、今回のイベントだ。参加するオーナーもクルマも堺氏が選定し、招待した。

集合場所の六本木ヒルズアリーナにはスタート時刻が午前11時からにもかかわらず8時前からすでに半数以上のクラシックカーが集まり始めていた。パッと見ただけでも、フェラーリが3台、ブガッティが2台、黒いメルセデスベンツ300SLも特徴的なガルウイング(カモメが羽根を広げたように見える)ドアを広げている。

六本木ヒルズアリーナに集結したクラシックカー。朝から大勢の人でにぎわっていた

アバルト750“ゴチア”(1957年)

他のクルマも次々と集まってくる中、エンジンを掛けていないのではないかと思わせるほど静かに、そして悠然と姿を現したのはグレーの2トーン塗装に真紅の細いストライプも鮮やかなロールスロイス・ファンタムⅡ・コンチネンタル・ドロップヘッドクーペ・バイ・カールトン(1930年)だった。運転しているのはオーナーの涌井清春氏である。

涌井氏のロールスロイス・ファンタムⅡ・コンチネンタル・バイ・カールトン(1930年)

開会の挨拶に立った堺氏は、開催の動機について次のようにスピーチした。

「クラシックカーの奥深い魅力を多くの方に知っていただき、走る姿を観ていただくことで世の中に元気を提供したいという思いから始めることにいたしました。世界に誇るべき20台が2日間にわたって、ここ六本木ヒルズから富士を往復する間に、どれほどの感動を与えることでしょう」

開会の挨拶をする堺正章氏と愛車マセラティ・A6GCSモノファロ(1948年)

「渋滞」はクラシックカーにとって鬼門

あいにくと、この日の東京は朝から雨だったが、20台は観衆の拍手に送り出されて六本木をスタートした。

ブガッティ・T35B(1927年)

主催者でありホスト役の堺氏はイベントの仕切りもありスタート地点のみマセラティを走らせた

ランチア・ラムダ・8aルンゴ(1928年)

雨の日曜日の午前中なのに、首都高から東名高速までずっと渋滞している。渋滞など存在していなかった頃に造られたクルマたちにとっては大敵だ。水温が上がってエンジンの冷却が追い付かなくなり、歩くような速度でのストップ・アンド・ゴーではクラッチが切れなくなり変速ができなくなる。ガソリンの気化やブレーキの酷使なども問題を引き起こすだろう。現代のクルマでは当たり前のエアコンもないから、窓ガラスも曇り出してきて視界が奪われる。渋滞は、クラシックカーにとってトラブルメーカーなのである。

中央環状線が3号線に合流するところでは、参加車の中で最も若いアルファロメオ・TZ1(1964年)とフェラーリ・250GTベルリネッタSWB(1961年)、同250GTベルリネッタ“TdF”が縦に3台連なって進みながら渋滞に耐えていた。まるで動物や魚などが群れることで外敵から身を守ろうとしているようだ。

そんな中で東名高速には進まず、用賀で首都高を降りていくクルマも見えた。助手席に乗っているナビゲーター役の人間がスマートフォンなどを使って、渋滞状況を調べたのだろう。

六本木を製造年代の古い順にスタートしたが、早くもバラけてしまった。ラリー競技ではないので慌てる必要もない。

ランチ会場のGDO茅ヶ崎ゴルフリンクスに涌井氏のロールスロイスが到着するのと入れ違うように、国道134号を西に向かってダッシュしていったのは、馬蹄形のラジエーターグリルと明るいブルーのボディでそれとわかるブガッティT40GS(1928年)だった。走行ルートの違いで、だいぶ差がついてしまったようだ。

次の目的地は、富士スピードウェイホテル。昨年新設されたモータースポーツに関連したレーシングカーやラリーカーなどが陳列されているミュージアム併設ホテルだ。それらは豊田市のトヨタ博物館本館や国内外の他メーカーからの貸与を受けて陳列されている。イベント参加者たちはウエルカムディナーを楽しみ、ここに宿泊する。

クラシックカーが富士スピードウェイを疾走

翌朝、参加者たちとクラシックカーは富士スピードウェイの本コースを走行した。地下駐車場では、すでに8時前から各自がその準備を始めている。涌井氏も、ロールスロイスの各メカニズムをチェックし終えると、スタッフの手を借りてルーフを下ろし始めた。

「せっかくコースを走れるので、オープンにして走ります」

キャンバス地のルーフを固定してあるいくつかの金具を外してから、畳むようにしてルーフを収めていく。幅広いボディのこちら側と向こう側で左右を揃えなければならないし、力も必要だから一人での開閉は不可能だ。現代のロールスロイス・ドーンでは、開閉はもちろんフル電動なので、ドライバーはボタンを押すだけで済んでしまう。

ロールスロイスのルーフを畳むようにして仕舞う涌井氏

それにしても、こんなに長大なボディなのに、たった二人しか乗れない上に、キャンバス生地製ルーフのドロップヘッドクーペ(オープンのイギリス流呼称)というのが、なんとも贅沢ではないか。

「二人乗りではありません。リアシートは、ここに隠れているんですよ」

二人用のキャビンから後ろに少し間を開けたボディの天板を開くと、そこに後席が出現したのだから、さらに驚かされてしまった。

「ロールスロイスはオーナーが後席に乗る5人乗りのクルマだけとは限らないのですね。ごく少数ですが、このクルマのようにオーナー自らが運転を楽しむためのクルマも造られました。ふだんは仕舞われているこの後席は、ランブルシートと呼ばれる補助席です。パレードなどの際にオーナーが腰掛けるような臨時のシートです」

戦前のクルマの多くは、土台となるフレームの上に、別に造られたボディが載せられる構造を採っていた。特にロールスロイスやベントレーなどの高級車ともなると、馬車の時代から続いているコーチビルダーの手によって贅と美を尽くした自分だけのボディを誂えて、世界に一台だけのクルマを造り上げることにオーナーは喜びを見出していた。

そして、クラシックカーとなったそんな一台を後年になって手に入れて、最初のオーナーがどんな想いで誂えようとしていたかを想像することも、また楽しみのひとつだと涌井は『クラシックカー屋一代記』の中で詳しく述べている。今回の涌井氏のロールスロイスも、カールトンというコーチビルダー製のボディが架装されている。

富士スピードウェイの本コースは、マセラティMC20という現代のスーパーカーの先導でまず2周走った。MC20のハンドルを握ったのは、レーシングドライバーの関谷正徳氏。

慣熟走行だから、ペースはゆっくりだ。2周が終わると、次はバラバラにコースインしていく。ポルシェ・550RS(1955年)がエンジンから快音を轟かせながらストレートを駆け抜けていく。涌井氏のロールスロイスだけでなく、ランチア・ラムダ8a ルンゴ(1928年)やフォード・モデルA・フェートン(1931年)など戦前型のクルマも快調に周回を重ねていた。中には、コースアウトしたクルマもあってセーフティカーが出動したりしたが、大事にはいたらず何よりだった。

富士スピードウェイのパドックを加速していくブガッティ・T35B

ランチア・ラムダ・8aルンゴもルーフを降ろしてコースを走っている。

大胆な赤白塗装が施されたバンディーニ・750Sサポネッタ(1953年)

ポルシェ・550RS(1955年)

マセラティ・150S(1956年)

フェラーリ・250GTベルリネッタ“TdF”(1957年)

ロールスロイスのルーフを畳んでメインストレートを疾走する涌井夫妻

クラシックカーの魅力と”マチャアキ節”

コース走行の合間に、堺氏にクラシックカーの魅力について訊ねてみた。

「クラシックカーには、先人たちが自動車の開発を進めてきた“痕跡”がうかがえます。各時代のエンジニアやデザイナーなどが、自らが最善と信じるメカニズムや造形を研ぎ澄ましていった努力の跡です。技術が次々と進化していった時代だったので、いわゆる“正解”はありませんでした。だから、それぞれのメーカーに特徴があったし、クルマそれぞれに特色がありました。個性がありました。個性に乏しい現代から見ると、そうしたクラシックカーの個性が一層と素晴らしく眼に映ってきます」

堺氏の話はわかりやすく、テレビなどで知っている“マチャアキ節”そのものだ。

堺さんと涌井さんはパドックでも楽しそうに談笑していた

「ボクも最初は気に入ったクルマを“カッコいいなあ”と眺めることから始まりました。でも、いろいろなイベントに出て、みなさんに教えてもらったり、自分でも調べたりしていくうちに、だんだんとわかってきたんです。同じ時代でもメーカーや国の違いによって全然違ったアプローチがなされていたり、同じメーカーでも時代が少し下っただけでガラリと変わったメカニズムやデザインなどが採用されていくようになっていったり。そうした、エンジニアやデザイナー、工場で組み立てていたような人たちまでも含めての個性と努力の結晶がクラシックカーなのではないか、と。だから、クラシックカーはその時代々々の人間の営みが見事に反映されている“作品”なんですね。それを知り、運転して感じ取れるところが、ボクにとってのクラシックカーの魅力となっています」

富士スピードウェイのストレートに整列したクラシックカー

コース走行を終えた次の目的地は、小田原にある「江之浦測候所」だ。「海景」シリーズなどで知られる写真家/現代美術家の杉本博司氏が手掛けた文化/芸術施設。学芸員の解説付きによる所内ツアーの後に屋外でランチ。クルマとはまったく関係ないように思われるスポットを訪れるのも、また近年の国内外でのクラシックカー・イベントの特徴となっている。

江之浦測候所は相模湾を見下ろすところにある

ランチ後は、東京の赤坂プリンスホテル・クラシックハウスに設営されたゴールに向けて走った。コンディション調整のために小田原には向かわず、富士スピードウェイから直接に赤坂に向かったクルマも何台かあった。

雨も上がり、ほとんどのクルマが無事にゴールを迎えた。締めくくりは、ホテル内でのガラディナー(正装で出席する晩餐会)。競技ではないので、参加者全員に堺正章氏から一人ずつ記念品と表彰状が手渡され、来年度の開催を目指すことが宣言された。

「こうした機会を設けてくれた堺さんにお礼を述べたい」

参加者全員が異口同音に述べていた。

俳優の唐沢寿明氏はポルシェ・356A(1959年)で参加した

タレントの西田ひかる夫妻はメルセデスベンツ300SL(1955年)で参加

「クラシックカーは一人で走るよりも、今回のように仲間たちと走ってこそ楽しくなります」

それを受けての堺氏の言葉だ。涌井氏も同様のことを本の中で述べている。
「欲しかったクルマを手に入れて、一人でニヤニヤしているうちは世界は広がらない。同好の士とお互いにクルマを見せ合って、語り合うことで楽しみが増えていく」

今回の20台は逸品中の逸品揃いだったので、早くも第2回目の開催を期待する声が挙がってきている。

取材・文/金子浩久 撮影/田丸瑞穂

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