新婚旅行を10年延期し、妻を待たせ続けた62歳の最後の挑戦。全長415kmの「日本一過酷な山岳レース」に出場するために交わした妻との誓約書の5つの約束とは…
集英社オンライン / 2023年4月28日 11時1分
2022年8月に開催された日本一過酷な山岳レース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」。極限の人間ドラマが満載の熱走ノンフィクション『激走! 日本アルプス大縦断TJAR2022 挑戦は連鎖する』(集英社)より一部抜粋、再構成してお届けする。(全4回の2回目)
日本一過酷な山岳レース、最年長選手の最後の挑戦
大会初日。最年長62歳のナンバー・30竹内雅昭。一の越山荘には、29番目にやってきた。馬場島から登った先に位置する早月小屋手前では、笹の朝露で気持ちよく顔を拭いて体のほてりを取ろうとする竹内を見て、初出場の選手がその経験値の高さに感心していた。
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今大会最年長62歳の竹内選手
だが、スタート直後の好調さから一転、剱岳を越えて調子を崩し出していた。雲の隙間から照りつける陽光は、竹内にとってはレーザービームのように忌々しいものに感じられた。さらに胃は水すら受けつけず、脚は熱疲労で思うように動かない状態に陥っていた。
「最悪だな。まあ、いつもだね。何も食べれない。胃薬だけは持ってきたけど、いやあ……」
「今日はどこまで行こうと?」
「地の果てまで……かな。60になって完走したかったんだけど、4年間のブランクは大きいよね」
福井県敦賀市に暮らす竹内。長年、技術者として原子力発電所の仕事に携わってきたが、2年前、60歳を節目に退職。今は年ごとの更新で再雇用職員として関連施設である技術実証試験・交流棟で、廃止措置試験施設の安全管理に携わる。日々、原子力機構と記された白色のヘルメットを被り、機器のメンテナンスに余念がない。
「悪あがきはいい加減にせいと言われ続けてきました。そんなもの、しゃらくせえって!」
キレよく、啖呵を切る竹内。若い頃、虚弱体質だった自分を変えようと山小屋でアルバイトを始め、山にのめりこんだ。2012年に50歳を超えての挑戦開始。2014年選考会落選。
2016年大会では本大会出場を果たすも、南アルプスから下りてきた井川関門で失格。現場に駆けつけた妻の前で「ごめんよ」と落涙した。そして2018年、念願の完走を果たす。58歳での完走は最高齢記録。今度はゴールで大泣きした。今回のテーマはなんだろうか。
「目標は特になかったけど、次は60歳を超えて完走したい、と奮起しました」
これが最後と肝に銘じて
還暦を超えても、なおも続く挑戦。最も若い石尾と30歳近くもある年齢差。並の精神力では、この決戦の場まで辿り着くことなどできるはずもない。
今回こそが“苦悩の集大成”と述べる竹内は、「栄光のナンバー30に恥じぬよう、蜘蛛の糸が途切れるまで耐え凌いで、納得のいく卒業という形を取りたい」と意気込みを述べていた。家の近所の170段の階段を毎日往復するトレーニングを重ね、体を鍛えた。
「数えてたけど、わからなくなっちゃった。これが終わると一日が終わる、そんなイメージなんだ。これで今晩もホッとして寝れるよ」
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スタート時の竹内選手(写真左)
大会前のロケで、階段を駆け上がったあと、必死に「ハァハァ」と大きく息を吐き出しながら語った竹内の表情は、この上なく充実しているように見えた。与太話だが、編集マン・山﨑の指摘によると、撮影素材を見返すと竹内は何度走っても、必ずカメラ向きに大きく口を開けてから、辛そうな表情をして見せていたという。サービス精神の発露か。竹内の気配りと余裕を感じさせるエピソードだ。
竹内には、40代後半で結婚した妻の典子がいる。
「10年間も同じ夢を追い続けられるのは、ある意味幸せなことじゃないかなと思います。その半面、一人で山にどんどん行ってしまうので、帰ってくるまで心配は尽きないです」
そう語る典子に、竹内は今大会の出場前に“誓約書”を提出した。
一、大自然の中で自然に対しての畏敬の念を持ち無理しないこと。
一、これが最後と肝に銘じて、十年間を振り返り一歩一歩かみしめて進むこと。(蜘蛛の糸が切れた時が卒業)
一、山屋の端くれとして、おごりたかぶることなく応援する方々に感謝の気持ちで接すること。
一、ゴールは大浜海岸でなく自宅がゴール。何が何でも無事帰ります。
一、最低一年に一度典子と一緒に登山。卒業旅行、新婚旅行 2025 3月まで
№30 岳蔵。 2022 7 /11
A3 サイズの紙に、油性マジックで丁寧に書きつけられている。
「10年の夢が終わりました」
「泣いても笑っても、これで終わりにしようと思います。スタートして1日目でアウトでも、それで終わり。節目なんで10年間いい夢を見させていただいた。終わり、卒業です」
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竹内選手のTJARの挑戦は終わった
結婚してからもつい、TJARを優先させてしまった竹内。ここまで10年間、大きな度量で自分のわがままを受け入れてくれた典子に、いの一番に恩返しをするつもりだ。
その竹内、後ろには河田しかいないと知り「まずいな」と呟くと、慌ただしく出立の準備をする。
最後と決めたレースでどこまで粘れるか。“駆けっこ歴”数十年の男が、立ち上がる。
しかし、日本一過酷な山岳レースは62歳の竹内の前に容赦なく立ちはだかる。
それは大会3日目のことだった。
河田の上高地関門突破から遡ること、約2時間30分。午前5時24分に竹内が双六小屋でリタイアを宣言した。ひとまずは進むことを選ぼうとしたが、スタッフから「確実に関門を越えられないが、それでも進むのか」と問われた。
「失格……了解しました。終わった。どうも、すみませんでした」
スタッフに何度も頭を下げた竹内が、カメラに向かって清々しい表情で話し始めた。
「すっきりしたというか、これで……10年の夢が終わりました。ありがとうございました」
表情がたちまち、くしゃくしゃになる。言葉が続かない。大会スタッフらに振り絞るように礼の言葉を述べ、カメラの前から立ち去った。学生時代、初めて山小屋のアルバイトに携わったのが、ここ、双六小屋だった。
10年間に及ぶ長い挑戦の最後の時を思い出の地で迎えるのも、また何かの縁か。
竹内雅昭、62歳。最後の最後まで、何一つ、諦めなかった。
取材・文/齊藤 倫雄
『激走! 日本アルプス大縦断TJAR2022 挑戦は連鎖する』(集英社)
齊藤 倫雄&NHK取材班・著
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/04/18042122828778/400/syoei.jpg)
2023年4月26日発売
2090円(税込)
四六判/300ページ
978-4-08-781735-5
2022年8月に開催された日本一過酷な山岳レース
「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」。台風直撃! 進むか、リタイアか!?
そして自分の限界を超えられるか? 極限の人間ドラマが満載の熱走ノンフィクション!
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