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「あんたがご飯食べさせてないけやろうが」北九州監禁連続殺人事件。なぜ、多臓器不全の衰弱死という方法で女の子の父を“殺した”のか。松永死刑囚の卑劣な思想

集英社オンライン / 2023年4月19日 20時1分

犯罪史上類を見ないほど残酷な事件、北九州監禁連続殺人事件(2002年に発覚)。事件を追い続けたジャーナリストだからこそ書くことができた、およそ人間の所業とは思えない詳細をレポートする。

最も凶悪な事件、という例えを使うことに躊躇の生じない事件。起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」を主題にした、ノンフィクションライター・小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)がこのたび重版されることになった。

このような最悪の犯罪が絶対に繰り返されないためにも、この事件で何が起こったかを伝えたい。



稀代の大量殺人は、2002年3月7日、福岡県北九州市で2人の中年男女、松永太(死刑囚)と緒方純子(無期懲役囚)が逮捕されたことにより発覚する。

最初の逮捕容疑は17歳の少女(広田清美さん)に対する監禁・傷害というもの。奇しくも2000年1月に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月にわたって監禁されていた事件の判決(懲役14年)が、この2カ月前の2002年1月に出たばかりだった。今回も少女が6年以上(後に7年以上と判明)にわたって監禁されていたとの情報が流れ、同事件の再来を想起させた。

だがやがて、この事件は想像以上の展開を迎える。まず清美さんの父親(広田由紀夫さん)が殺害されていたことが明らかになり、さらには逮捕された女の親族、子供を含む6人全員が殺されていたことがわかっていく。しかもその方法は、男の命じるままに肉親同士で1人ずつ手を下していくという、極めて残酷なものだった。

ここでは同書のなかから、監禁致傷の被害を受けた、由紀夫さんに対して松永が行った殺人の手口について、更には娘である清美さんに対して、片棒を担がせたように錯覚させ従属させた、洗脳の手口についても紹介する。

本文中の松永太と緒方純子以外の固有名詞(建物名を含む)は、有識者、法曹関係者、報道関係者を除き、すべて仮名である。

以下抜粋
※〔〕内は、集英社オンライン編集部による補注です。

由紀夫さん殺害

由紀夫さんが松永と緒方による虐待の結果、片野マンション三〇×号室で死亡したのは、96年2月26日のこと。

その死亡数日前の状況について、判決文には次のようにある。

〈被告人両名は、由紀夫が死亡する2,3日前ころから、由紀夫が廃人のような状態になり、言動もおかしく、由紀夫を(寝起きさせていた)浴室から出すのが不安になったので、被告人両名も入浴せず、由紀夫を終始浴室内に閉じ込め続けた。

松永は、緒方に対し、「ときどき浴室内の由紀夫の様子を見るように。」と指示した。緒方は、そのころ、由紀夫の様子を見るために浴室のドアを開けたところ、由紀夫がやにわに立ち上がり緒方の方に向かってくるような様子を見せたため怖くなり、そのことを松永に報告した〉

死亡前の由紀夫さんの状況については、論告書が触れている。

〈死亡当時の由紀夫の全身にはボツボツの斑点が出ており、死ぬ間際には平成8年(96年)1月上旬ころに撮影された写真よりも一層痩せていた。

また、由紀夫の首も痩せて細くなり、筋が見えたようになっており、腹部はへこみ、足は非常に細くなっていて、目はギョロッとして力がなく、もはや自力ではふらふら歩くのがやっとの状態になっていた。まさかその日死んでしまうとは思わなかったが、このまま放置していれば由紀夫はいずれは死ぬのではないかと考えた〉

当日午前7時に緒方が清美さんに声をかけて起こすと、由紀夫さんも目を覚ました。いつもは清美さんが起きた段階で、松永は由紀夫さんに浴室内での起立を続けるよう命じていたが、その日は「まだ寝ていていい」と言い、由紀夫さんはそのまま横になって寝ていたという。

午後3時頃になって、緒方が洗面所から浴室を覗いたところ、由紀夫さんは洗面所側に向いてあぐらをかいた姿勢で俯いていた。浴室の床に敷いていた雑誌の上には大便が散らばっており、緒方は「汚い」と文句を言って浴室のドアを閉めている。

学校から帰る途中に清美さんが公衆電話で緒方に帰宅の連絡を入れたところ、緒方から、「あんたのお父さんがうんこを漏らしとうけ。早く帰って掃除をしい」と言われ、午後4時か4時30分頃に帰宅した。

©シャッターストック

いびきをかきはじめてぐったりと…

それから松永と緒方に命じられた清美さんが、浴室に清掃に入った際の状況について、公判における緒方の証言は次の通りだ。

「清美が浴室を掃除する間は、由紀夫を浴室から出して台所に移動させた。由紀夫は自分で立ち上がり、足形を書いた紙を足の下に敷いて、自分で移動して台所まで歩いていった。台所で由紀夫の衣服が汚れていないか確かめた。

衣服を脱がせて確認したのが台所だったか浴室だったかは、はっきり憶えていない。浴室の掃除が一通り終わってから、松永の指示を受けて、由紀夫をふたたび浴室に入れた」

それから由紀夫さんの様子は急変した。判決文は緒方の供述に沿ってそのときの状況を説明する。

〈浴室の床はまだ雑誌が敷かれていない状態だった。由紀夫は、浴室に入ると、洗面所の方を向いてあぐらをかいてしゃがんだ。

松永が洗面所から浴室内の由紀夫に話しかけたところ、由紀夫は、あぐらをかいたまま上半身を前屈させて倒れ、両手を前に伸ばし、額を床に着けた状態で動かなくなり、突然いびきをかき始めた。

松永は、由紀夫の異常に気付き、緒方を呼び寄せた。松永は、由紀夫の様子を見て、緒方に対し、「あんたがご飯食べさせてないけやろうが。」などと言った。

松永と緒方は、すぐに由紀夫の手足を持って由紀夫を台所に運び、床に仰向けに寝かせた。由紀夫は目を閉じており、いびきは止んでいた〉

じつはこの際の由紀夫さんの行動について、公判での清美さんの供述は、一部が異なっている。その要旨は以下の内容である。

「帰宅してから、緒方から早く浴室を掃除するように言われた。そこで浴室の床に敷いてあった雑誌を取り除いたり、床や壁をシャワーで洗い流したりして掃除した。

緒方も雑誌や大便を片付けて袋に入れる手伝いをした。お父さんは掃除の間も浴室内におり、浴室入口付近であぐらをかき、頭を床につけていた。お父さんは私が尻の下にあった雑誌をどけるときに、尻を少し浮かせるように、ゆっくりとした動作で体を動かした。

そのとき、緒方が『はよどかんか』などと声をかけた。お父さんは、そのとき以外はまったく体を動かすことはなかった。誰とも話さず、始終無言でいた。

緒方は洗面所の浴室入口付近に立っていた。松永は、洗面所付近を行ったり来たりしていた。私が浴室の壁や床をシャワーで洗い流していた間、お父さんは動かずそのままの状態でいたが、「グオーグオー」といびきをかき始め、その後ぐったりした。

松永は、お父さんがいびきをかき出したとき、緒方に対し、『あんたがご飯食べさせてないけやろうが』などと言った。その後、松永と緒方がお父さんを浴室から運び出し、台所の床に仰向けに寝かせ、緒方がお父さんのカッターシャツを脱がせた」

金を搾り取ることができない邪魔者

由紀夫さんが浴室の清掃時に、外に出たか否かで異なっているこの両者の供述に対して、判決文は〈緒方は、はっきりとそのような記憶があると述べている上、その供述内容は、浴室の状態、甲女が行った掃除の方法等に照らし、甲女供述に比較し自然である〉として、緒方の記憶を採用している。

なお、細かい話になるが、先に「緒方の供述に沿って」とした判決文にある、松永が〈緒方に対し、「あんたがご飯食べさせてないけやろうが」〉と言った箇所については、緒方の供述ではなく、清美さんの供述をもとにしたものである。

この時点で死亡していたとみられる由紀夫さんに対して、松永は蘇生措置を取っていた。その様子は判決文に詳しい。

〈松永は、由紀夫に対し、3,40分間くらい、人工呼吸(マウス・ツー・マウス)をしたり、緒方に心臓マッサージをさせたり、甲女に足をもませたりした。

さらに、松永は、「万一蘇生するかも知れないから通電〔松永の拷問の手口〕してみよう。」などと言って、由紀夫の胸部等にクリップを取り付け、何度か通電したが、由紀夫は身体を動かさなかった〉

通電は胸だけでなく、足や指にも行われたという。由紀夫さんの死亡を確認した松永と緒方は、遺体を浴室内に運び入れた。ちなみに、この時点で緒方は第二子を身ごもっており、出産したのが翌月であることから、かなりお腹が大きな状態であったとみられる。

由紀夫さんが死に至るように仕向けられた事情について、判決文は以下の理由を挙げている。

〈平成8年1月上旬ころには、もはや由紀夫は金を工面することができなくなっており、金づるとしての利用価値が乏しくなっていた上、由紀夫は、かねての被告人両名の支配下における継続的な暴行、虐待により重篤な状態に陥り、外見上も異常な症状が顕著に現れていたが、

由紀夫を病院で治療させたり、実家に帰したりすれば、当時指名手配中であった被告人両名の所在が探知されたり、被告人両名が由紀夫に暴行、虐待を加えたことなどが発覚したりするおそれがあった。そうすると、当時、被告人両名にとって、由紀夫はもはや邪魔で疎ましい存在でしかなかったことが推認される〉

写真はイメージです

支配するために

そのうえで、多臓器不全による衰弱死という殺害方法を選んだ理由について、論告書は次のように断じる。

〈由紀夫に対する殺人方法には、決して自己の手を汚そうとしない松永の小心かつ責任回避的な態度が色濃く反映され、直接的な形で由紀夫を殺害することを極力避けるため、虐待を続けて衰弱させ、死に追い込む形が選ばれた。

すなわち、由紀夫が絞殺等の積極的な態様で殺害されなかった理由は、上記松永の性格上、仮に絞殺するならば緒方に命じざるを得ないところ、

いかに衰弱しているとはいえ由紀夫は壮年男性であり、由紀夫が最後の抵抗を試みた場合、当時身重であった緒方の手には余り、殺害に失敗する危険性があることを懸念したものと推察される〉

由紀夫さんの死亡を受けて︑片野マンション三〇×号室内でどのような動きがあったか判決文は明かす。

〈その後、松永と緒方は、甲女を同席させ、片野マンションの和室で飲酒しながら話し合いをした。

その際、松永は、甲女〔清美さん〕に対し、「病院に連れて行けば助かるかもしれないけど、甲女が嚙み付いた痕があるから甲女が警察に捕まるので、病院には連れていけない。」、「あんたが掃除しよるときにお父さんの頭を叩いたから、お父さんは死んだんだ。」などと言い、甲女を困惑させた〉

なお松永は、この発言をした2,3日後に、由紀夫さんが死亡したのは清美さんのせいだとして、彼女に父親を殺害したのは自分である旨の「事実関係証明書」を作成させている。

その目的について、論告書は以下のように説明する。

〈なお、この書面(事実関係証明書)は、その後も甲女の逃亡を阻止し、由紀夫殺害の発覚を防止するために用いられた。松永は、甲女に、「子供が話しても警察は信用しない。事実関係証明書があるから、捕まるのはお前の方だ。」などと常々甲女に申し向けていた〉

このとき清美さんは11歳であり、そういった松永の発言を真に受けてしまうのも無理はない。この松永による脅しは、以降も彼女が従属的な生活を強いられることに繫がる呪縛となった。


文/小野一光 写真/©shutterstock

『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)

小野一光著

2月8日発売

2,420円

576ページ

ISBN:

978-4-16-391659-0

福岡県北九州市で7人が惨殺された凶悪事件が発覚したのは、2002年3月のことだった。逮捕されたのは、松永太と内縁の妻・緒方純子。2人が逮捕された2日後に現場入りを果たして以来、20年間にわたってこの〝最凶事件〟を追い続けてきた事件ノンフィクションの第一人者が徹底的に描く、「地獄の連鎖」全真相。
全576ページにおよぶ決定版。

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