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【グラビアアイドルから政治家へ】なぜ元ミスFLASHは政治家を志したのか? 地方議会の「高齢化」「男性社会」「なり手不足」に一石を投じるさいたま市議会議員・永井里菜が忘れられない祖母の悔し涙

集英社オンライン / 2023年5月5日 9時1分

2023年4月に行われた統一地方選挙のさいたま市議選にて、立憲民主党から出馬した永井里菜さん(30)が初当選を果たした。永井さんは10年前に「ミスFLASH2013」に輝いたこともあるグラビアアイドルで、テレビのバラエティー番組や「イエローハット」のCMに出演し人気を博した。一見、政治とは無縁に見えた彼女は、なぜ議員の道を進むことになったのだろうか――。(前後編の前編)

「ミスFLASH」から政治家の道へ

先月9日に投開票が行われたさいたま市議会議員選挙。定数7に対し12人が立候補した北区選挙区で、永井さんは3213票を獲得し、最後の7人目として当選した。


立憲民主党・さいたま市議会議員の永井さん

「テレビでずっと見ていたんですが、なかなか当確が出なくて、事務所の中にも緊張感が走っていました。そうした中で高木まり参議院議員が『おめでとう』と事務所に入ってきて。みんながえっとなったら『もうネットだと結果は出ていますよ』と言われて(笑)。当選したとわかった瞬間は本当にほっとして涙も出てきました」

高木まり参議院議員のサポートを受けて選挙戦を戦った

インタビューをしたのは当選から10日後だった。晴れて“先生”と呼ばれる立場になったが、まだ市議会議員になったという実感は湧いていないという。

「選挙が終わってまだひと安心という感じです。5月に初登庁するんですが、その時になったら実感が湧くのかもしれません」

永井さんは東京・表参道で母親と歩いているところをスカウトされ、18歳で芸能界デビュー。以来アイドルグループのメンバー、さらに2013年にはグラビア賞「ミスFLASH2013」グランプリに輝くなどグラビアアイドルとしても活躍してきた。

その後、「イエローハット」のCMに出演するなど芸能活動を続けていたが、2019年には半年間、オーストラリアへ留学。帰国後、新型コロナウイルスの流行で芸能界も大きなダメージを受ける中、そうした社会情勢を機に以前から興味を持っていた地域社会に関わる仕事に携わろうと決心した。

「そんな時、知人だった議員秘書の方から『衆議院選があるので手伝ってくれませんか?』と言われ、2021年に立候補した杉村慎治さんの選挙、その後2022年の参議院議員選挙に立候補し当選した高木まり参議院議員のお手伝いをすることになりました」

高木氏(中央)の活動に帯同するなど政治活動を勉強していた永井さん(右)

選挙ではパソコンの打ち込み、ビラ配り、陳情に来た人の意見のメモなどの作業をこなした。活動の中で、地域で困窮している人々の姿がはっきりと見えてきた。

「お手伝いをしていると直接困ってる市民の方からお話を聞けるんです。障がい者の方から『街を歩きにくい』、高齢者の方からは『年を取ったら車も乗れないし、どこにも行けない』といった切実な声です。そうした経験を経て、私がきちんとみなさんの意見を聞き、少しでも役に立ちたいと政治家を目指そうと思いました」

明石市に続くような子ども支援政策を目指して

そこで永井さんは自身が住む、さいたま市北区を選挙区とする枝野幸男事務所の門を叩き、今回のさいたま市議選に向けて活動を続けていた。
永井さんが政治家を目指そうと思った背景には、自身の家庭環境がある。母子家庭で、けっして裕福ではなかった。

母子家庭で育った永井さん

「母は朝から晩まで働いていて、小さい頃は一緒にいた記憶がありません。母は私たち兄妹3人に不自由な思いをさせないように、自分には何もお金を使わずに私たちにすべてのお金をかけてくれました。私たちは祖父母の家で預かってもらっていたので、母は働きに出ることはできましたが、預け先がないとなかなか厳しいと思います。
友達にも母子家庭で貧しい家庭の子がいたんですが、 体操着はお下がりでボロボロのものを着ていたり、給食費を払ってないことが学校中に広まることでいじめにつながっていました」

ひとり親世帯の苦労を身をもって知る永井さんはボランティア活動を通し、さらに支援の必要性を強く感じたという。

「2か月に1回、『フードパントリー』というサービスの裏方でお手伝いをさせていただいています。そこには生活困窮者の方や母子家庭の方が来るんですが、『もうちょっとなんとかしてください』というお母さんが多く、『食費を削るところはもう削っていて、これ以上は削り出せない。
学校の体育着など備品は高くて、そこにお金をかけられない。お下がりを人からもらうしかない』と打ち明けてくれます。最近では物価も上がっているのでさらに困窮し、生活ができない人も多いんです」

「特定非営利活動法人 埼玉フードパントリーネットワーク」のホームページ

選挙では「安心して住み続けられるまちづくり」を公約の一つに掲げた。

「子育て支援では明石市前市長の泉房穂さんの政策が知られていますが、さいたま市でも同様のことをしていきたいと思っています。さいたま市は政令指定都市の中でも子どもへの支援が遅れているんです。小中学校の給食の無償化はまだですし、保育園の待機児童は少なくなったんですが、学童保育の待機児童が昨年度はすごく増えてしまっています。そういう部分も改善していきたい」

忘れられない祖母の悔し涙

さらに永井さんが重視しているのが障がい者への支援だ。子供の頃から知的障がいを持つ叔母と一緒に暮らした経験があり、子どもながら叔母の世話をするヤングケアラーでもあった。

「祖父が琵琶の先生をしていて、イベントに祖父母が行く際は、叔母と私たち兄妹3人が残ることがありました。叔母は知的障がいに加えて、脳性麻痺で手足があまり動かないんです。自分の意識がなくなる時があって、話しかけても全然反応しない時があったり、逆に感情を爆発させて叫んでしまう。叔母はコーヒーが好きでキッチンも自分で行って、お湯を沸かすのですが、それも一人では危ないので 私たちが止めていたりしました」

幼少期の話をゆっくりとハッキリした口調で話す永井さん

永井さんには忘れられない言葉がある。

「叔母が外に出る時には私が手をつないで一緒に外に出ていました。ある時、家族で外に一緒に出かけた際、通りがかった子連れのお母さんが叔母の方を見ながらお子さんに『悪いことしたら、ああなっちゃうよ』と怒っていたのが聞こえたんです。
それを聞いた祖母は悔し涙を流し、そこからは叔母をあまり外に出さなくなりました。最近は表に出てくる障がいを持つ方も増えていますが、偏見はまだ根深いと思います。そうした偏見をなくすためにも教育の現場であったり、もっと交流の場が増えることが重要だと考えています」

また障がい者の自立のため、永井さんは障がい者の雇用の場を増やすことに取り組みたいと話す。

「企業の雇用が少ないので、働きたくても働けない人が多い。高木議員と所沢市にある国立職業リハビリテーションセンターという、障がいを持った方が仕事を勉強する場所に行きましたが、そこでも『会社に入れない。ここで勉強してもそれを生かすところがない』と企業側の受け入れがあまりないとの話を聞きました。
大企業だと、障がい者雇用の場所はあるんですけど、一般の中小企業とかではなかなか難しい。そうした障がいの方の就業の機会を増やしていけたらと考えています」

ひとり親世帯支援、そして障がい者支援。自身の体験を生かし、誰もが安心して住み続けられるさいたま市に変えていく所存でいる。

取材・文/徳重龍徳 撮影/村上庄吾

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