〈マッチだけではなかった〉度重なるオトコたちの裏切り、家族との不協和音…中森明菜「ライブ映画公開」それでもファンが明菜を待ち続ける“理由”とは…
集英社オンライン / 2023年4月27日 17時1分
昨年末、突如として開設された新しいファンクラブ、そしてGWに全国の映画館で上映される、1989年のライブ映像。完全復活が待望されている歌手・中森明菜だが、その歴史を振り返るとまだまだハードルは高そうだともいえる。(サムネイル、トップ画像:「月刊明星」1983年7月号より、映画『愛・旅立ち』〈1985年公開。東宝〉のロケ現場でのオフショット。撮影/篠原伸佳)
突如ヌード写真集を出版した妹・明穂
歌手・中森明菜を語る上で外すことができないのは家族、とりわけ母親の存在だ。
1965年7月、東京・大田区で生まれた明菜はその数カ月後に清瀬市へ転居、そこで2男4女の6人兄弟の5番目として育った。
父親は転居後も大田区内で精肉店を営んだ。仲良しで結束の堅かったという一家だが、幼い明菜は兄妹のなかでも母親・千恵子さんが大好きでいつもべったり側にいたという。
母親の千恵子さんが若い頃は歌手志望だったこともあり、母を喜ばせるため明菜は歌手への夢を抱く。そして3度目の挑戦で1981年『スター誕生!』(日本テレビ)に合格、瞬く間にスターへと駆け上がっていった。
そんな明菜の活躍を千恵子さんは喜んだ。そして明菜も自分の活躍を千恵子さんに報告し、甘えたという。
「母娘二人三脚で歌手になったという感じでした。また1986年に明菜が日本レコード大賞をとった時には、舞台で歌う明菜のそばで涙を流していました」(当時を知るスポーツ紙記者)
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1985年の『ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕』に続き、翌年2年連続で日本レコード大賞を受賞した16枚目のシングル『DESIRE -情熱-』。明菜のシングルでは初となる阿木燿子が作詞提供し、鈴木キサブローが作曲を担当。着物をアレンジしたような和洋折衷の衣装にボブのヘアウィッグといったステージルックもインパクト大で、印象的なリフレインとともに、大ヒットとなった
その後、千恵子さんのために地元清瀬市でカラオケスナックを開業するのだが、数千万円ともいわれた資金も明菜が出したといわれる。
さらに家族のためハワイに別荘を買うなど金銭的にも家族を支えていった。だからこそ、その関係は変わっていったのだろう。ひとつのきっかけは明菜が埼玉県にビルを建てたことだった。
「明菜は家族のためにビルを建てたんです。そこで兄の一人がカレーショップを、姉も夫と一緒にレストランをオープン、そして父親も精肉店をたたんで中華料理店をオープンさせた。ところが2年も経たない1987年秋頃には兄と姉の店は閉店してしまうのです」(前同)
立地条件も悪かったが、家族の結束を願う明菜は大きなショックを受けたといわれる。そして少なくない経済支援を家族にしてきたのに、と不信感を持つようになっていくのだ。さらにハードなスケジュールにもかかわらず手元に残る金が少ないという猜疑心も芽生えていった。
「家族が私のお金を使い込んでいる」
そんな中、1988年には千恵子さんのガンが見つかる。明菜は多忙だったこともあるだろうが、なぜか見舞いは数回のみ。さらに同時期、芸能界デビューした妹・明穂の存在も明菜を悩ませた。
明菜も妹の芸能活動を後押しし、明穂は当初ラジオパーソナリティやドラマに出演していたが、デビュー翌年の1988年にヌード写真集やセクシービデオに出演する。これに明菜は大激怒したという。
この時期、自身もまた近藤真彦との交際に悩んでいた時期であり、1989年の自殺未遂へと時は進んでいく。
お母さんと慕った製作会社社長の裏切り
「自殺未遂事件をきっかけに、明菜は母親だけでなく親兄弟と連絡を取ることはなくなった。明菜の入院の様子を母親がマスコミにしゃべったことで“自分を金で売った”と明菜が思い込んだとも報じられました。95年6月に千恵子さんは亡くなったのですが、明菜は逝去の前日に一度だけ病院へ見舞っただけで、通夜、葬儀に姿を現すことはありませんでした」(前同)
さらに2019年には妹の明穂さんも若くして亡くなっているのだが、やはり葬儀に明菜は現れなかった。2020年頃、清瀬の実家は売りに出されたが、現在に至るまで明菜と家族は断絶したままだだという。
近藤と破局し、家族とも断絶してしまった明菜。1990年7月には自殺未遂騒動以降初のシングル「Dear Friend」がリリースされ、ファンクラブも発足し、時にドラマ出演も果たしたが、その活動は往年の勢いとは程遠かった。
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前シングル『LIAR』からおよそ1年3か月ぶり、1990年7月17日にリリースされた27枚目のシングル『Dear Friend』。自殺未遂後、事実上の復帰作となる本作は、明るい曲調が印象的だ
そうした孤独と人間不信の中で、90年代にはいくつものトラブルに見舞われている。所属事務所「研音」からの独立と新事務所設立、レコード会社移籍問題、賃貸マンションに関するトラブル、ギャラの搾取騒動、激やせ、過剰な飲酒などなどスキャンダルばかりがクローズアップされていく。
「この時期、明菜は人間不信を強めていった。とはいえ数々のトラブルの原因は自身にもあり、猜疑心、そして完璧主義もあってマネージャーや関係者が長続きしなかったという側面もあります。きちんとした大手事務所やマネージャーがいないことから、明菜を利用して金儲けを目論む輩も集まってくる。寂しがり屋の明菜はそうした人間を簡単に信じ、そして裏切られる。その繰り返しだった」(週刊誌芸能記者)
有名なのが1993年、明菜が“お母さん”と慕った製作会社社長の暴露騒動だ。この社長は、すでに進んでいた写真集製作の契約を明菜が履行しないとして9000万円もの損害賠償を請求、さらに『悲しい性』(講談社)という暴露本まで出版した。その後、明菜は裁判に勝訴したが、こうした裏切りやトラブルが明菜の周囲で横行していたことは間違いない。
それは“マッチ後”の男性関係も同様だ。近藤との破局後、明菜は諸星和巳、羽賀研二、保阪尚輝、東幹久、青年実業家、プロ野球選手、Jリーガーなど数多くの男性との関係が噂されたが、どれも決定的なものではなかった。
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1985年に公開された映画『愛・旅立ち』(東宝)は、明菜の女優デビュー作であるとともに、共演相手が当時すでに交際が噂になっていた近藤真彦であることも大きな話題を呼んだ。映画のラスト10分のクライマックスシーンは鹿児島県徳之島でロケを敢行。訪れた取材陣はマッチとの仲睦まじい様子を伝えている。(「月刊明星」1983年7月号より。撮影/篠原伸佳)
だが、1993年7月にある事件が起こる。当時のマネージャーで恋人と噂された男性E氏に大麻所持疑惑が持ち上がり、警察が男性ではなく明菜のマンションを家宅捜索したのだ。このことで明菜とE氏が恋人関係にあり半同棲していることも発覚、さらにこのE氏は当時、妻子持ちだったことも明らかに。
「このE氏は大麻疑惑だけでなく明菜に無断でヌード写真集企画を売り込んでいたと報じられています。やはり明菜の周りには一攫千金を狙う連中ばかりが集まってくるのです」(前同)
本格復帰には時間がかかる!?
そんなE氏との関係は1999年頃まで続き、その後マネージャー解任と同時に破局したといわれる。そしてその後釜についたのが、マネージャー兼恋人としてその後20年以上明菜を支えることになるK氏だ。
明菜は2010年に一度活動休止をして復帰したが、思ったほどの活躍はできず、2017年から再び体調不良を理由に芸能活動の無期限休止を発表している。
それ以降、その動向はベールに包まれていた。この間、明菜は取材にも応じず、ほとんど外出もせずにこもっていたとされるが、その生活を支えたのがK氏だったのだ。
「K氏は明菜の事務所『FAITH』の代表、マネージャーとしてだけでなく、買い出しや食事の世話など、生活全般をサポートしていたようです。いうなら公私にわたるパートナーだった」(芸能記者)
20年にもわたる関係が突如、打ち破られたのは昨年22年8月。明菜は新事務所「HZ VILLAGE」を設立。公式Twitterを開設し、再始動を発表したのだ。だが新事務所の役員にK氏の名前はなく、破局したと噂されている。
だが一方で、K氏の姉が新事務所の監査役に就任したことで“復縁説”も報じられており、真相がハッキリしない状況である。
「K氏のことにしても芸能活動にしても、まだまだ紆余曲折あるでしょう。活動再開が発表されたとはいえ、実際には明菜本人の姿が表舞台にあらわれたわけではありません。22年年末の『NHK紅白歌合戦』に明菜が出場するとの報道もありましたが、結局出場しませんでしたしね。事務所役員もそうそうに入れ替わり、本格復帰にはまだ時間がかかりそうです」(前同)
数々のトラブルに見舞われてきた明菜だが、デビュー40周年を迎えた現在、本格復帰を待望する声はこれまでになく大きい。多くのファンのためにも早く元気な姿をあらわし、その歌声を聞きかせてほしい。
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トップアイドルのふたりは何度も雑誌や芸能誌の表紙を飾った。月刊明星(1983年7月号)
文/神林広恵
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