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「サッカーは僕にとって友だちを作るツールだった」。9歳でアメリカに移住してからボールを蹴り始めたJリーグ初のイスラエル人選手、ネタ・ラヴィの日本での挑戦

集英社オンライン / 2023年5月3日 12時1分

Jリーグ初のイスラエル人選手としてガンバ大阪に加入した、ネタ・ラヴィ。イスラエルリーグのスター選手だった彼はJリーグでプレーする日々をどう感じているのか。本人に話を聞いた。(前後編の後編)

「死ぬまで新しいことを学び続けたい」

誰に対しても真摯でナイスガイ。来日した時から、ネタ・ラヴィにはそんな印象を抱いている。

こちらの質問や疑問には1つ1つ真剣に耳を傾け、丁寧に言葉に変える。時にユーモアも忘れない。そして、熱い。本人に自己分析をお願いすると「常に新しいものを学びたいと思っている人間」だと返ってきた。

ⓒGAMBA OSAKA


「サッカー選手としてというより、一人の人間として心の中心にあるのは、常に学ぶ姿勢を忘れてはいけない、ということです。わからないことは、勝手に自分で答えを見つけて終わるのではなく、誰かに聞いて、そのことに対する多くの情報を得て、答えを見出していく。僕の人生においてそれはとても大事なことだし、その探究心は新しいことにチャレンジする上でもとても重要だと思っています。できれば、死ぬまで新しいことを学び続けたい。それが僕の願いです」

そのマインドは両親から影響を受けたものだという。子供の頃から彼の両親はラヴィに何かを強いることはなく「やりたい」という気持ちを尊重し、サポートしてくれた。

「自分にとってベストだと思う選択を選び、自分の道を進みなさい」
「生きているこの世界で、常に優しい人間であれ」

この2つは幼少の頃からいつも両親に投げかけられていた言葉だ。

「子育ての過程において、親は一番の模範にならなければいけないということを両親は僕に示してくれました。そして人間の全ての根源はそこにあると感じています。僕にも最近、息子が生まれ、今はまだ7か月ですが、僕も両親のように子供のいい模範となる父親になりたいと考えています」

「友だちをつくる」手段としてサッカーを始めた

そんなラヴィが「サッカー」に出会ったのは、両親の仕事の都合でアメリカに移住した9歳の時。近所に住んでいた同じ年頃のイスラエル人の子どもがサッカーをしていたからだ。

ⓒGAMBA OSAKA

「イスラエルではサッカーが一番の人気スポーツです。2番目に人気のバスケットボールに大きな差をつけて圧倒的に人気です。それもあって、イスラエルに住んでいた時からボールを蹴って遊ぶことは多かったですが、サッカーとより深く関わりを持つようになったのは、9歳でアメリカに移住してからです。近所に住むイスラエル人の友だちができて、その彼がサッカーをしていたことからサッカーを学び、英語も学びました。

もっとも当時の僕にとってサッカーは友だちをつくる、親睦を深めるためのツールで、あくまで遊び感覚でした。なので自分では、特別サッカーが巧かったとは思っていません。時々、なんとなく他の子より巧くプレーできているなと感じることはありましたが、それがどのくらいのレベルで、評価に値するものなのかも全くわかりませんでした」

ラヴィが「サッカー選手になりたい」と思い始めたのは、13歳のときにイスラエルに戻ってから。故郷はイスラエル北部にあり、その北部最大の都市・ハイファが、「マッカビ・ハイファ」のホームタウンだったことから同チームのジュニアユースチームのテストを受け、合格する。

「マッカビ・ハイファで初めて経験する緻密な練習によって、自分にはまだまだ伸び代があると感じ始め、プロになりたいという意識も芽生えました。そのことは僕にプロサッカー選手になるには何が必要で、何を排除しなければいけないのかを教えてくれました。正直、当時はまだ自分が本当にプロになれるのかはわからなかったし、なれると確信するような決定的な要素もありませんでしたが、謙虚にハードワークを続けることには意識的に取り組みました」

「日本人は親切で、思いやりやリスペクトを感じる」

アカデミーでの時間を積み重ねる中で「もしかしたら」が「プロサッカー選手として生きていく」という覚悟に変わったのは、ユースチームに昇格してからだ。この頃からキャプテンとしての統率力を存分に発揮しながらも、謙虚に学ぶことを忘れなかった日々はサッカー選手としての成長につながり、プロの道が拓けた。それが前編にも書いた2015年だ。

ⓒGAMBA OSAKA

以来、マッカビ・ハイファの主軸選手となり、キャプテンにもなった彼は、2020-21シーズンには10年ぶりにイスラエル・プレミアリーグの優勝を実現。翌年には連覇に導くなどチーム再建に大きく貢献したのち、彼が欲してやまない「新しいことを学ぶ旅」に出る。それがガンバ大阪への移籍だった。

「ヨーロッパからのオファーもありましたが、ガンバが掲げるプロサッカークラブとしてのプロジェクトに共感できる部分が多かったこと。ワールドカップ・カタール大会での日本代表の活躍や、そこで感じた日本サッカーの質の高さ。そして日本という国、文化への興味がガンバを選んだ理由です。

その選択は今、日本でのキャリアを過ごす中で、ベストチョイスだったと言い切れます。

どの国、チームであろうと、プレーする権利は自分で勝ち取らなければいけないからこそ、この先はプロサッカー選手として、日頃の姿勢、トレーニング、ハードワークによって『僕はここにいる。スタメンでプレーする価値がある』というパフォーマンスを示していくだけだと思っています」

その言葉にもある通りJリーグ初のイスラエル人プレイヤーとして、彼は今“ネタ・ラヴィ”をピッチで余すことなく表現するためのチャレンジを続けている。日本の文化に親しみを寄せながら、Jリーグでのプレーや自身の成長を楽しんでいる。

「サッカー以外のところでは、どちらかというと穏やかに過ごすことが好きなので、落ち着いて、静かな印象のある日本の文化にはとても溶け込みやすさを感じています。今のところはまだ、日本国内で観光と呼べるような旅はしていませんが、住んでいる街、大阪については、規模が大きくて、高層ビルも多く、人も多いのに、ほとんどゴミが落ちていない、とても綺麗な街だと感じています。

また日本人はとても親切で、他者を思いやる気持ちやリスペクトがあるのをすごく感じます。『この人はどうすれば喜んでくれるのか』を常に考えて接するマインドも僕にとってはとても新鮮で、愛情を感じるものです。あと、お米を入れてボタンを押すだけでご飯が炊ける炊飯器。これも最高です(笑)」

イスラエルは危険な国と思うかもしれないけど…

楽しそうに大阪の街について話すラヴィに、逆に彼の母国・イスラエルについて尋ねてみる。日本ではイスラエルとパレスチナの紛争に関する報道のイメージが強いが、彼の故郷、ハイファはどんな街なのだろうか。

ハイファはイスラエルで最も清潔な都市ともいわれている 写真/shutterstock

「ハイファはある意味、日本に似た近代都市で、ビーチがある美しい場所です。ぜひ、日本の皆さんにも知ってもらいたいので、いつかマッカビ・ハイファとガンバが親善試合をできるといいですね(笑)。
外国籍選手がイスラエルリーグに移籍してくると、決まって『ここに来るときは、危なそうな国だから行きたくないと思っていたけど、飛び込んでみたら全然印象が違って、すごく好きになった』と言ってくれます。きっと来ていただいたらその言葉の意味がわかると思います」

驚いたのは、彼がガンバに移籍したのを機に、イスラエルのテレビ局がJリーグの放映権を買い取ったこと。それによって彼の故郷でもJリーグが放映されるようになったため家族は毎試合、タイムリーにラヴィの活躍を楽しんでいると聞く。もちろん、イスラエルの熱きサッカーファンも然りだろう。

「特にガンバの試合はライブ放送されているので、家族や友達も僕のプレーを楽しんでくれています。僕自身も母国に活躍を届けられるのは喜びであり、自分の刺激にもなっています」

ポケットに妻子の写真を忍ばせて…

そんな彼に将来のビジョンについても聞いてみる。現在、26歳とプロサッカー選手としての円熟期を迎えている彼は、ガンバでの活躍の先にどんな「新たな旅」を望んでいるのだろうか。

ⓒGAMBA OSAKA

「今はとにかくガンバで、勝者になるために貢献することしか描いていないので、正直、先のことは考えていません。サッカーはサポーターに捧げるものであるからこそ、ガンバを愛するたくさんのサポーターのために、大きな感謝と喜びをスタジアムで還元していきたいと考えています」

時間がかかることは覚悟の上で、だ。

「もちろん、先にもお話しした通り、クラブの成長には過程が必要で、それを飛び越えて成果を得られることはありません。指を鳴らせば急に180度状況が変わるような、マジックはないからこそ、真摯にさまざまな過程を積み重ねていくしかないと思っています。
とはいえ、選手としてできるだけ早く、目指すべき場所にたどり着きたいという考えは持ち合わせています。そして、それは一人で実現できることではないからこそ、仲間を信頼し、支え合ってクラブ、チーム全体で、取り組んでいきたいし、そのために僕自身も最大限の力をガンバに還元したいと思います」

ⓒGAMBA OSAKA

1つ1つの言葉に力を込めて、思いの丈を聞かせてくれたラヴィ。ガンバへの加入に際して揃えたという、ガンバブルーの財布、バッグは今回のチャレンジへの思いを示すもの。

いつも携帯しているそのバックのポケットに、愛する妻とのツーショット写真と、息子が生まれる前のエコー写真を忍ばせて、イスラエル人初のJリーガーは今、日本の地で覚醒の時を迎えている。

取材・文/高村美砂

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