最近、芸人が「ひとかどのもの」になるまでの前日譚を語るのがある種のブームになっている。
放送作家オークラが、バナナマン・おぎやはぎ・ラーメンズ・東京03などとともに過ごした東京のコントライブシーンを記した『自意識とコメディの日々』(太田出版)がベストセラーになったのは記憶に新しい。
直近でも、後進育成に心血を注いできたコント赤信号リーダー・渡辺正行がスター芸人の若手時代を振り返る『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)や、笑い飯をストーリーの中軸に据え初期M-1グランプリの裏側を語る『笑い神 M-1、その純情と狂気』(中村計・週刊文春)などが出版・連載されており、この手の流れが確実に盛り上がってきているのを感じる(広義で言えばNetflixの『浅草キッド』だってビートたけしの前日譚だ)。
もちろんこのジャンルは以前からあり、昔語り大好き層というのは常に一定数いるのだが、ここ最近の活況ぶりは目を見張るものがある。
前日譚というのは売れていない時期の話がメインなので、その場に立ち会っていた人間は限られる。結果、実際はどうであろうと「あいつらは最初に会った時から他の芸人とは違っていた、明らかに天才だった」と言われれば、検証のしようがない。
この「あいつらは天才だった話」はその結果が今売れていてもいなくても成立するところが強みだ。「天才ってのはどんな環境でも売れていくんだよな」「奴らは天才すぎて売れなかった。10年早かった」「あれさえなければ絶対に売れていた」の、いずれのルートを通ってもちゃんと着地する。