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国際金融市場でしのぎを凄腕バンカーたちは、商談を兼ねたランチミーティングで何を食べているのか?

集英社オンライン / 2023年5月12日 18時1分

海外では大手の金融機関はたいてい社内にダイニング・ルームを持っていて、そこに客を招く。豪華な内装に立派な絵画、そして贅を尽くした美食の数々…。一般人はなかなか立ち入ることのできないその詳細を、経済小説家・黒木亮氏の新刊『メイク・バンカブル! イギリス国際金融浪漫』より一部を抜粋、編集してお届けする。

大手金融機関の社内ダイニング・ルーム

英国に限らず、欧米では仕事と家庭生活がきちんと分けられていて、取引先との夜の会食はあまりない。仕事上の食事は、もっぱらランチだ。案件が完了したあとの慰労会、ビジネス・チャンスを探るための情報交換、相手になにかを教えてもらうための接待など、目的は様々である。

大手の金融機関は、たいてい社内にダイニング・ルームを持っていて、そこに客を招く。マナーハウス(貴族の館)の一室のような内装で、立派な絵画などが飾ってある。



ランチのスタートはだいたい十二時半である。二人から数人の客を同じくらいの人数で迎え、まずジントニックやブラッディメアリーなどのアペリティフ(食前酒)を手に、立ったままよもやま話をし、その後、着席してフルコースをとる。

写真はイメージです

メニューはフレンチやコンチネンタルで、例を挙げると、シーフードのゼリー寄せに葉野菜、コンソメスープ、スズキのソテー、ローストビーフにヨークシャープディング、チーズ、ビスケット、ブドウなどのデザート、コーヒーといった感じである。

食事中にはワインが供され、食後に葉巻のほか、ブランデーやポートワインが出ることも少なくない。あまり忙しくない英銀のコレスポンデント・バンキング(金融機関同士の取引)担当のおじさんなどを金曜日に呼ぶと、「今日は思いっきり食べるぞ」という顔でやってくる。たぶん、ランチのあとはほとんど仕事をせず、週末の休みに突入するのだろう。

ちなみにオフィスにあったコピー機の調子が悪いとき、ジャンという背が高くて男まさりの支店長秘書が「このフライデー・マシンが!」と悪態をつきながらコピーを取っていたことがあった。彼女がそばにいたわたしに「ミスター金山、なんでフライデー・マシンっていうか、知ってるか?」と訊くので「いや、知らない」と答えると、「みんなが気もそぞろな金曜日につくられた、ろくでもない機械という意味だ」と教えてくれた。

葉巻から漂うブランデーのいい香り

当時、米系のマニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラスト銀行(略称・マニハニ、現・JPモルガン・チェース)の邦銀向けセールス担当にチャールズ・ペルハムという、わたしとほぼ同い年の男がいた。ちょっと巻き毛の金髪に造作の大きい顔で、性格が明るく、英国人にしては珍しくあけっぴろげな感じだが、相手に対する礼を失しない品のよさも併せ持っていた。大学はブリストル大学(スペイン語・ポルトガル語専攻)で、カレッジ(中・高校)はイートン校を出ていた。

イートンは、ボリス・ジョンソン元首相、デービッド・キャメロン元首相、ウィリアム皇太子、ハリー王子、レオポルド三世(第四代ベルギー国王)、徳川家達(徳川家第十六代当主)など、国内外の貴族や上流階級の子弟が学ぶ名門で、ロンドンの西の郊外のウィンザー城の近くにある。

映画『炎のランナー』で、正午の鐘が鳴り終える前に周囲約200メートルの中庭を走る場面が撮影された場所でもある。現在の授業料は年間4万6296ポンド(約741万円)で、5年間でざっと3705万円かかる。したがって、チャールズも、お金持ちの家の出であることは間違いない。

バンク・オブ・イングランドの近くにあるマニハニのダイニング・ルームには、国際金融担当の日本人副支店長やサリーと一緒に何度か招かれた。先方はチャールズのほか、シンジケーション担当のマネージング・ディレクター(部長級)やトルコ担当のイタリア人などが出てきた。いつもチャールズが、ガッハッハと笑って座を盛り上げた。

写真はイメージです

あるとき、食後に、例によって立派な葉巻がケースに入って出てきた。チャールズら何人かが手を伸ばし、銀色のカッターで吸い口をカットし、美味そうにふかし始めた。室内には、ブランデーに似たいい香りが漂う。わたしはタバコも葉巻も吸わないが、常々、みんなが美味そうに吸うのをみていたので、一度試してみようと、「じゃあ僕も一本」と手を伸ばしかけた。

途端にチャールズが「カナヤマ、やめろ! がんになるぞ!」と血相を変えて止めた。その勢いに驚きつつ、「はあー、自分はいいのかよ?」と内心で苦笑した。今でもあのときのことを時々思い出すが、チャールズはどういう発想だったのだろうかと思う。

海外における「日本のエンペラー」の重み

わたしが働いていた邦銀のロンドン支店にも二部屋くらいダイニング・ルームがあり、専属の女性給仕人が二人くらいいた。黒の制服に白いエプロンをした、どこにでもいる英国の普通のおばさんたちだ。

ある日、来客を招いてのランチの前に、席の配置などを確かめるため、開け放たれたドアから部屋に入り、何気なく下をみると、銀色の灰皿がドアと床の間に斜めになって引っかかっていた。ドアストッパーがないので、おばさんが灰皿で代用したらしかった。日本の居酒屋にでもあるような、アルミかなにかの安っぽい灰皿だったが、底の部分が、菊の御紋に似たデザインだった。わたしは悪戯心を起こし、灰皿を指さし、「ディス・イズ・ジャパニーズ・エンペラーズ・シンボル!」といった。

写真はイメージです

給仕人のおばさんは、どきりとした顔になった。居合わせたわたしの同期で総務・企画係の阿部君も悪ノリして、「そうだ! これは天皇陛下のシンボルだ!」といったので、おばさんは「いや、わたしは天皇陛下のシンボルということは知らなかった。わざとやったわけじゃない!」と狼狽し、慌てて灰皿を外した。わたしと阿部君は、内心クスクス笑いしたが、今思うと、ちょっと悪戯がすぎたかもしれない。

海外では、日本のエンペラーは、単なる王族と違って、相当な重みのある存在らしい。以前、ある作品の資料で、昭和二十四年初頭に、GHQ(連合国軍総司令部)民間情報教育局の大学制度改革のアドバイザーとして来日した、シンシナティ大学のレイモンド・ウォルターズ総長の日記を読んだことがあるが、天皇に拝謁する前に、なにを着ていったらいいだろうかとか、どういう態度で接したらいいだろうかとか、ものすごく心配している記述があり、戦勝国の人間が、ちっぽけな焼け野原の敗戦国のエンペラーに、これほど畏敬の念を持つのかと驚いたものだ。

二〇二二年九月のエリザベス女王の国葬でも、メディアの扱いは他国の王族より格上で、翌日のタブロイド紙「メトロ」では、米国のバイデン大統領夫妻に次ぐ大きさの、天皇・皇后両陛下の写真が掲載されていた。

和食店「辰宗」

銀行の外でもよくビジネス・ランチをした。変わったところでは、バンク・オブ・イングランドの真裏のロスベリー通り七番地に、「オーバーシーズ・バンカーズ・クラブ」というのがあった。一八六六年建築のベネチアン・ゴシック様式の灰色の石造りのビルのなかにある、外国人バンカー専用のクラブだ。

談話室のほかに、天井が高く、明るいレストランがあった。各テーブルは、背もたれが異様に高くて大きい、列車の四人掛けのような席で、秘密が漏れないようにとの配慮らしかった。ウェイトレスたちは、ほとんどが高齢の英国人女性で、頭にレースのホワイトブリムを着け、地味な黒のベストに黒のスカート姿。料理は品のよい英国料理である。クラブの正会員は各行の支店長だが、支店長名で予約すれば、誰でも使うことができたので、取引先とのランチだけでなく、友人との会食にも使っていた。

和食店では、「辰宗」という店をよく使った。シティの北東寄りのリバプール・ストリート駅のそばに、「ブロードゲート」という、新しく開発された場所があり、冬になるとスケートリンクになる丸い広場を中心に、近代的なオフィスビルが建ち並び、リーマン・ブラザーズやUBS(スイス)などが入居していた。

「辰宗」はその一角にあり、地上階(日本でいう一階)が鉄板焼きの店、地下が和食と寿司の店だった。鉄板焼きカウンターは「紅花」や「瀬里奈」のように、料理人が目の前でロブスターや牛肉などを焼き、炒飯で〆る。値段は結構高いが、外国人にウケるので、便利だった。

写真はイメージです

ロブスターは生きているものを目の前で包丁で叩き切り、まだ身もだえしているのを鉄板の上で焼く。サリーがそれを初めてみたとき、「ミスター金山、ディス・イズ・ディスガスティング(嫌悪感をもよおさせる)」と顔をしかめた。しかし、美味しかったらしく、ぺろりと完食したので、「ディスガスティングじゃなかったのかよ?」と突っ込みを入れたくなった。

サウジアラビア航空の案件が終わってしばらくしてから、シティバンク東京のエリック・ポステルが同僚のエジプト系米国人ムラード・メガッリと一緒にロンドンにやってきたときも、ここでランチをご馳走した。ムラードとは長い付き合いになった。

ニコール・キッドマンもひいきにしたイタリアン

個人的に思い入れのある店に、コベントガーデンにあった「ニールストリート・レストラン」がある。シェフのジェイミー・オリヴァーが修業し、チャールズ皇太子(現・国王)、ニコール・キッドマン、エルトン・ジョンら著名人もひいきにしたイタリアン・レストランだ。間口は比較的小ぶりだが、地中海ブルーのドアからなかに入ると、奥行きのある、シックで落ち着いた空間が広がっている。

写真はイメージです

加藤仁著『ディーリングルーム25時』という、異国で活躍する日本人金融マンたちを描いた本の最終章に「旅路に死す」という、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の花形ディーラーだった神田晴夫氏の仕事と死を描いた一編がある。これは読むたびに涙を誘われる。

氏のシンガポールでのディーリングを追ったNHK特集「日本の条件」をわたしが船橋市にある銀行の独身寮の食堂のテレビでみたのは二十三歳のときだった。その直後、神田氏は九十七億円の巨額損失を出して銀行を懲戒解雇され、英系のマネー・ブローカー、チャールズ・フルトン(現・タレットプレボン)社に拾われた。

ロンドンで再起を図った氏が、家族で住んだのは、時期は重なってはいないが、わたしも住んだゴールダーズ・グリーンだった。それからまもなく神田夫妻は三男をがん(横紋筋肉腫)で失う。度重なる悲劇で、氏の頭髪は真っ白になったという。

そんなある日の夕暮れ、夫妻はニールストリートの洒落たレストランで待ち合わせて夕食をとった。神田氏は初めて手にした自動車の運転免許証を嬉しそうにみつめ、店内には『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』(映画『カサブランカ』の主題曲)が流れていたという。

氏はその後、香港に転勤し、わたしがロンドンでサウジアラビア航空のシンジケーションを手がけていた頃、胃がんで急逝した。巨額損失を出してからわずか六年、四十七歳という短い生涯だった。

『ディーリングルーム25時』には、夫妻が行ったのは「ニールストリートのしゃれたレストラン」とあり、「ニールストリート・レストラン」とは書いていない。しかし、普通、レストランのある通りの名前ではなく店名を憶えていると思うので、加藤氏の取材を受けた神田夫人は「ニールストリート・レストラン」といったのではないかと思っている。ニールストリートは比較的短い通りで、当時は、洒落たレストランも少なかった。

わたしは家内や友人と何度かこのレストランを訪れ、神田氏の生涯に思いを馳せながら、ひと時をすごした。店内の照明は控えめだが、ウエストエンドらしい華やぎがあり、料理は上質で、値段は高めだった。残念ながら店は二〇〇七年に再開発のために閉店した。

文/黒木亮 写真/shutterstock

メイク・バンカブル! イギリス国際金融浪漫

著者:黒木 亮

2023年4月26日発売

2,310円(税込)

四六判/376ページ

ISBN:

978-4-08-781732-4


“オレ流”でトップ・レフトを追った6年。
ユーロ市場の激闘を元バンカーの著者が白日の下に晒す、
自伝ノンフィクション

ロンドンに赴任したのは、冬から春に変わる季節だった。
風は爽やかで冷たく、故郷の北海道の北空知によく似ていて、しっくりきた。
街路樹はプラタナスが多く、煉瓦や石造りの建物が歴史を感じさせた。
わたしは国際金融業務の経験のない30歳の若者だった。
あるのは、夢と希望と野心とエネルギーだけだった。(本文より)

大学時代はランナーとして箱根駅伝に2度出場、卒業後はバンカーを経て作家に。
国際金融市場での経験をいかした圧巻のリアリティで惹きつける、経済小説の名手が、『冬の喝采』以降の人生を綴る。
初めて明かされる、作家・黒木亮の“前史”では、
仕事や旅行で訪れた世界各国の風景や食のシーンも、読みどころのひとつ。

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