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「子供の泣き叫ぶ声が聞こえていても、他人だから関係ない。隣近所の子の悪事を勝手に叱ると問題に…」無縁社会ニッポンを憂うフィフィが指摘する日本の弱点

集英社オンライン / 2023年5月13日 13時1分

Twitter62万人、YouTube40万人のフォロワー数を持つ、タレントで論客のフィフィさん。エジプト人の両親を持ち、2歳から日本で生活を続ける彼女は、外国人目線で日本社会のおかしな現状をぶった斬り、「ファラオの申し子」とも呼ばれている。無縁ニッポンの現状と他人に対して無関心過ぎる日本人について語ってもらった。(前後編の前編)

感情を出しにくい、手を挙げにくい日本の教室

――さっそくですが、外国の人に比べると、日本人はどうも他人に対して冷淡というか、壁をつくる感じがしませんか?

フィフィ(以下同) 自分の意見や感情を出すことを、日本人は子供じみているとか幼稚だと捉えがちですよね。嬉しい、楽しいというポジティブな感情ですら、なかなか表に出さない文化、あるいは習慣があります。



小学校の時から、そういう環境で育ってきているので、仕方ない面もあるのでしょう。授業中に先生から「何か質問は?」と聞かれても、うっかり変な質問をすると「授業の妨害をするな」という目で周囲から見られますよね。

はいはい知ってます! と言って無闇に手を挙げるのも良しとされず、「みんな知っているから、いちいちアピールするな」と思われてしまう。それが人としてのマナーであると。

――なぜ日本はそうなるんでしょうか?

日本が非常に均質的で、暗黙の了解で通じ合うハイコンテクストな社会だからですよね。私は大学卒業後にアメリカに行き、その常識がことごとく壊されました。

とても印象的な出来事があるのですが、英語学校ですごく悪い成績をとってしまい、先生に抗議したんです。そしたら「あなたは全然発言しなかったし、手も挙げなかったよね」と。

「いや、私は授業の内容理解してますよ。分かっているってわざわざ言わなくて良くないですか?」と返したら、「あなたが分かっているかどうか、教師が顔色見て判断しないといけないの? 自分で表現しない限り、あなたは『分かっていない人、答えられなかった人』と見はなします。そういう人は、人種のるつぼのアメリカでは、負けます」と言われたんです。

愛知県の中京大学を卒業後、ニューヨークに留学していた時代

当時はそういうものかと思いましたが、大人になって国際政治に興味を持つようになって、その意味がすごくよく分かるようになりました。日本って、発信力で明らかに海外に負けていますよね。技術力や文化の面は素晴らしいけど、政治や外交に発信力が備わってなかったわけです。だからいつも言われっぱなしになってしまう。

事を荒立てないようにするという大人の対応は、日本国内では通用しても、国際社会ではただ「発信力が弱い」という評価で終わります。自分から表現しない限りゼロと見なすというのは、こういうことです。

曖昧表現はトラブルのもと

――外国人は自己主張の強い人が多いイメージありますね。

私が子供だった40年以上前から学校では国際化、国際化とずっと言われていますが、その時から何も変わっていないわけです。今は多様性とか多文化ということで、色々なバックグラウンドの人がいる。そうすると、日本にいながら日本人が負ける状態が出来つつあります。

幼少期には子役としても活躍していた(写真中央がフィフィさん)

2020年に中国の王毅国務委員兼外相(当時)が来日した際には、記者発表の場で尖閣諸島について「自国の主権を守っていく」と明言した王毅外相に対し、日本の茂木敏充外相(当時)はその場で十分な反論ができなかった。それでネットでは保守派から「シエシエ茂木(謝謝茂木)」と揶揄されたんです。
中国だったら、その場ですぐにしっかり反論したはず。日本だと場の空気を乱しちゃいけないと思って、何も言わなかった。象徴的なシーンでしたね。

相手の言うことも尊重した上で、自分の言いたいことも言うのが国際社会では大事なんです。お互いが対等になることが大事。言われっぱなしでは対等にならないんです。

侘び寂びとか、一昔前に流行ったファジーなんて言葉が通じるのは、日本だけなんです。日本の美学が崩れてしまう部分もありますが、それとこれは別であると、学校で教えていかないといけない。授業中に手を挙げる生徒に対し、もっと高い評価を与えていく必要がある。他人との間に摩擦をつくらないという考えも日本の美学や文化として継承していくのはいいと思いますけど、使い分けないといけませんよね。

バックグラウンドが多様な集団のなかでは、ある程度ストレートに言わないと伝わらないんですよ。分かってくれるだろうと曖昧な表現をしていると、誤解が生まれてかえって大変なことになるんです。

誰にも頼れない社会になりつつある日本

――日本の特に都市部では互いに干渉しない代わりに、孤立感や孤独感を抱く人も多いのかもしれません。

今の日本の社会は、相手のプライベートに少しでも踏み込みすぎると、すぐに訴えられる世の中になっています。隣近所の子が悪さをしていても、勝手に叱ると問題になってしまう。プライバシーを過剰に守ろうとしている面がありますね。

話しかけたら迷惑なのではないかと、気にし過ぎているようにも見えます。今は他人に話しかける人が少ないから、話しかけてくる人=怪しい人という傾向がどんどん強くなっていて、悪循環になっていますよね。

40年前は買い物をするにしても商店街の商店がほとんどで、みんなが顔見知りだったし、近所には悪い子にコラを言う“コラおじさん”もいました。今の世の中は他人に対して、あまりにも無関心じゃないでしょうか。

子供の頃のフィフィさん。「私が子供の頃は学校や町全体で子供を育てるという雰囲気があった」という

――他人と関わるのが面倒という意識もあるのかもしれません。

児童虐待が起きて子供の泣き叫ぶ声が聞こえていても、他人だから関係ないとなってしまう。事件になってから「毎日子供の声が聞こえていましたよ」で終わらせてしまう世界は、恐ろしいですよね。都会であっても、街の治安を守る上で人の目の存在は非常に大きいわけです。

そう考えると、やっぱり自分たちが社会の一員であるという責任感は、一人ひとりに持っていて欲しいと思います。異変があった時に我関せずで終わらせるのではなく、警察や児童相談所に伝える。そういうことが、地域づくりだと思います。我関せずで済ませてしまうのは寂しい社会、怖い社会、生きづらい社会になってしまいます。困った時に、誰にも頼れない社会になってしまう。

エジプトに小さい子供を連れていくと、店員さんがわーっと寄ってきて子守りしてくれたり、街中でも話しかけてくれる人がすごく多いです。日本人に比べると、照れとか恥ずかしいっていうのがあまりないんですよね。そのぐらい大胆な人が、日本にはもっと必要なのかもしれません。

後編につづく

取材・文/西谷格

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