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そこって本当に東京? 多摩地区出身者が心に秘める、微妙な劣等感と本音とは

集英社オンライン / 2023年5月21日 11時1分

「東京出身です…」と言いながらも声が小さくなってしまうのはなぜだろう? 「永遠の発展途上エリア」だと自ら言う、東京・東久留米市出身の筆者にとって、多摩地区とは? その微妙な劣等感と本音とは?

東京のアザーサイド・多摩地区は、永遠の発展途上エリア?

まったく個人的な話だが、僕の出身地は東京だ。
でも自己紹介をするときにはいつも、「一応、東京出身です……」と、ややうつむきがちになってしまう。
東京23区の「都内」ではなく、その西側に広がり「都下」と呼ばれる多摩地区、中でも忘れられがちな東久留米市の出身だからだ。

多摩地区出身者の多くは、日本中どこの出身者もそうであるように、自分が生まれ育った土地に対して少なからぬ愛着や誇りを持っているはずだ。


反面、“東京生まれ”という言葉が持つ華々しさとは縁遠い生い立ちや境遇に、複雑な思いをいつまでも持ち続けることもあるだろう。
この僕が、まさにそうであるように。

53歳の僕が子供の頃の話だけど(でも、根本的には今もあまり変わらないと思う)、生まれ育った地元・東久留米の記憶は、畑や空き地、川や林がたくさんあり、庭にヘビが棲んでいたり野鳥が飛び交っていたり、家の前の道路をタヌキがうろついていたりした相当な田舎だ。
小学校や中学校の通学路に、信号はひとつもなかったし。

一方で、都内に通勤する人のベッドタウンでもあるため、古くから大型公団住宅などが開発され、僕の暮らしていた頃も畑や空き地をつぶして、マンションや建売住宅が続々と建てられたり、駅前が大々的に再開発されたりしていた。
だから地方によくある固定化した不変的田舎ではなく、“永遠の発展途上エリア”という感覚も強い。
いくら発展しても、先進都市である東京23区内にはいつまでも追いつけないという意味で、永遠の発展途上と言えるわけだ。

東久留米市らしい風景/photo AC

そんな東京のアザーサイド・多摩地区出身者は、本物の都会である東京23区内出身者に対して、そこはかとない嫉妬と羨望の気持ちを抱いていることを隠しきれない。
そのくせ、なんともいやらしいことに、東京以外の出身者に対しては、これまたそこはかとない優越感を抱いていたりするのである。

そんな僕って何?
多摩って何? と思い、ちょっとだけ深く考えてみることにした。

地域差別論的なものではなく、リアルな多摩地区出身者である筆者個人の、主観中心、感想含みの与太話に過ぎないので悪しからず。
また、本人が多摩地区出身か、身近にそんな人がいない場合はピンと来ないだろうし、基本的に新しい情報もないけど、よろしければお付き合いのほどを。

意外と知られていない、多摩地区内の3エリア


まず、自分がこれまで生活してきた土地とその年数をざっくりと勘定してみよう。

生まれてから幼稚園までの約6年間を東京・国分寺市。
小学校低学年の頃の3年強を愛知県・春日井市。
小学4年生から結婚するまでの21年間を東京・東久留米市。
結婚してから3年弱を神奈川県・川崎市。
引越しして東京都・文京区で約6年。
さらに引越し、現在までの約14年を東京都・世田谷区で暮らしている。

まとめると、二番目に長いのは文京区と世田谷区を合わせた“都内”=23区内で20年だが、それを凌ぐ長い年月を過ごしたのが“多摩地区”だ。
国分寺市と東久留米市を合わせた27年間もの年月は、これまでの人生の半分以上で、しかも肌感覚的により長く感じる幼少期から青年期までをずっと多摩で過ごしたのである。

今でも仕事で新しく知り合った人としばらく話したのち、お互いに出身が多摩地区だと分かると「おやおや、地元仲間じゃないですか」と急に親しみを感じて打ち解けた気分になることがある。
東久留米を離れてもう23年になるが、やはり気持ち的にはいつまでも“多摩人”なのだ。

話はさらに細かくなるが、多摩といっても広いので、同じ多摩地区出身でも微妙なニュアンスの違いがある。
僕個人の場合、八王子市とか町田市とか稲城市とか福生市とか奥多摩町とかの出身と聞いても、「ふーん」という感じで、そこまで強い親近感は湧かない。
一方、東久留米市はもちろん、清瀬市とか西東京市とか小平市、小金井市、東村山市あたりだったらもう、「じゃあ、どこ中?」と聞くレベルで同郷意識が湧いてくる。
かといって、すぐ近くに隣接しているのに埼玉県新座市出身者には「お、近いっすね」くらいで、軽く流してしまうんだけど。

単純に距離的な遠近もあるが、多摩地区出身者はエリアごとにさらに強い同郷意識でつながっているのではないかと思う。
公立の小中学校に通っていたら、部活の練習試合などで同じエリアの学校と交流する機会があったり、高校進学の際、まずエリア内で適した学校を探したりすることから、そうした意識が醸成されるのではないかと思う。

初めて聞く人もいるかもしれないが、多摩は北多摩、南多摩、西多摩の3エリアに分けられ、僕が生まれ育った東久留米市や国分寺市は北多摩地域に入る。

北多摩とは、東久留米市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市、清瀬市、東村山市、小平市、国分寺市、小金井市、府中市、東大和市、立川市、国立市、武蔵村山市、昭島市の計17市。
南多摩は稲城市、日野市、多摩市、町田市、八王子市の5市。
西多摩は羽村市、福生市、青梅市、あきる野市の4市と瑞穂町、日の出町、奥多摩町の3町、そして檜原村が含まれる。

東京都のエリア区分/illust AC

北・南・西を合わせて“三多摩”とも言うけど、多摩地区に縁がない人には耳なじみのない言葉だろう。
市町村の数で言えば北多摩が圧倒的に多いものの、比較的小さな市が多い北多摩に対し、南多摩や西多摩は、東京都で最大の奥多摩町や2番目の八王子市をはじめ、大きな市町村が多く、総面積順に並べると、西多摩、南多摩、北多摩の順になる。

多摩を3エリアに分けるのは、昔の行政区分の名残だ。
多摩地域は、明治維新の廃藩置県後、試行錯誤の末に北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の3つの郡が成立した。
そのうち行政区分として現在も生きているのは西多摩郡のみで、北多摩郡と南多摩郡は1970年から1971年に消滅している。

それからすでに半世紀以上が経過しているので、多摩地区に北多摩と南多摩というエリア区分があることを知る人も少なくなっているが、ある程度の年齢以上の多摩地区出身者は、多摩川の以北か以南かで分けられる北多摩と南多摩の間に、歴史にも裏打ちされた明白な壁のようなものを感じるのである。

北多摩北地区出身者が、同じ多摩地区や
近い市区町村に抱いている本当の気持ち

僕は北多摩の中でもさらに北の端、埼玉県新座市と隣接する“北多摩北”の東久留米市で長い長い時を過ごした。
だから近隣の清瀬市や西東京市、東村山市、小平市などの出身者に特に強い親近感を抱く。

そして前述のように、距離的には一番近いのに、埼玉県新座市出身者にはちょっと違う感じ……、ええい、思い切って言ってしまえば、少しだけ(ほんと少しだけ)“上から目線”な気分になってしまうのだ。
あー嫌だ嫌だ。なんて醜い人間なのだ。

醜いついでに言えば、東京のマイナータウン東久留米市出身の僕から言わせれば、清瀬市や西東京市、小平市なんかは同レベルだと思う一方、東村山市や東大和市には、正直言って少しだけ優越感を持っていたりする。
「まあ、志村けんや多摩湖があって良かったね」というのは、いやらしい余裕の表れなのである。

同じ北多摩エリア内でも、遠く離れた狛江市や昭島市あたりになると、ちょっとよそよそしい気分が混じってくる。
一方で、国分寺市や立川市、国立市には憧れに近い念を抱いている。
だって、中央線カルチャーの色濃い地域だから。

また同じ中央線エリアで、しかも若い頃によく遊んでいた吉祥寺を擁する街だけど、武蔵野市に対しては、心に軽くバリアを張ってしまう。
「多摩っていっても、アンタらどっちかっていうと23区寄りじゃん」と思ってしまうのだ。
やっぱり吉祥寺の人気が高まりすぎたから、こちらは卑屈になってしまうのだろうか。
その点、お隣の三鷹市に対しては、武蔵野市よりもずっと優しい気分で接することができるのである。

今さらだけどこの原稿、需要ある? まあいいか。


吉祥寺はもはや、多摩地区のエリート/photo AC

そして、少しだけ23区にも目を向けてみよう。
練馬区、中野区、杉並区に関しては、「23区内って偉そうにされるのは心外だ。どっちかっていうと君たち、こっち側だから」と思う。
渋谷区や新宿区は都会すぎて、もうよく分からない。
そして我ら多摩人にとって、特に東久留米市のような西武池袋線沿線出身者にとって最大のリスペクトの念を抱くのは、田舎者の大都会、池袋を擁する豊島区なのである。
豊島区ブラボー! 池袋グレート!

ところで、このまま書き進めても大した結論には至らなそうなので、このへんで撤退します(そういうこともあるさ)。

とっちらかったままですが、さようなら。

文/佐藤誠二朗

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