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わくわくさんが語る「令和の子・令和の親」へのメッセージ「YouTubeで動画を見るだけでなく、実際に手を動かして親子で工作してほしい。工作は命を産み出すんです」

集英社オンライン / 2023年5月21日 9時1分

NHKの工作番組『つくってあそぼ』で23年間、工作のお兄さんとして親しまれてきた、わくわくさんこと久保田雅人(61)氏。番組終了後は保育園や幼稚園での工作教室や各地での工作ショー、自身のYouTubeチャンネル『わくわくさんの工作教室』などで工作の魅力や楽しさを伝え続けている。工作を通して34年以上、子どもたちと向き合い続けた久保田氏ならではの視点で、変わりゆく親子像などについて語ってもらった。

昔も今も子どもの本質は変わらない、
変わったのは大人

「わくわくさんという名前の由来はそれこそ子どもたちをわくわくさせようってことなんです。例えば、(魚の形の厚紙を泳がせながら)紙を使ってこうするだけでも子どもは楽しむことができます。あのね、昔も今も子どもの本質は変わらないんですよ。大人の方が忘れちゃっている」



わくわくさん自身も2人の娘と1人の息子を育てた父親として、子育ての大変さは身に染みている。

「私らの世代はプラモデルブームだったので、小学校の時からミリタリー物のプラモを作るのが趣味でした。それこそ私は本来のパーツにないコックピットを作って付け足すようなマニアです。長女が3つくらいの時かな、私が趣味のプラモデルを熱中して作っていると横から手を出されて壊されてしまった。なので子どもができてからはプラモ作りは諦めてしまいましたね。塗料も道具もみんな捨ててしまいました。プラモデルは子どもと一緒にできないですが、工作なら一緒にできますからね」

インタビューに応じるわくわくさんこと、久保田氏

好奇心旺盛な子どもたちの本質は変わらないものの、彼らのコミュニティや取り巻く空気感は「少しずつ変化している」と語る。

「長年色々な保育園や幼稚園、小学校などで工作教室を開いていて感じるのは、“いい子”ばっかりになったなという印象です。みんながみんな“いい子”でガキ大将は絶滅危惧種と言っていいほど見かけなくなりました。それはそれでいいことなのかもしれませんが、どうも表面上だけ“聞き分けのいい子”になっているようなところも……。
だからこそSNSでは平気でひどいイジメができたり、SNSを通して募集される闇バイトが横行しているのも、どこかこの変化が関係しているように思っています」

命を産み出すって気持ちを工作で…

パソコンやスマートフォンなどが普及し世の中は格段に便利になった。今や子育てにおいてもスマホとYouTubeはマストアイテムになっている。

「昔で言えばパソコンやスマホがないからテレビにかじりついてたテレビっ子ってことなのかもしれないですが、テレビの前に座らしておけば親はラクでした。そこからテレビゲーム、YouTubeという流れがあるのだと思います。

YouTubeを見せておく方が親は楽ですし、自分の時間も作れます。もちろん今の子どもたちがいざ社会に出る時、パソコンもスマホも使えませんというのでは雇ってもらえないという時代。だから仕方のない部分もあるのですが、現実的にスマホがなきゃ生きていけないという子供が増えてますし、これからそういう子たちがもっといっぱい出てくるんじゃないかって思います」

ハサミを使い、工作をはじめたわくわくさん

昼夜が逆転し、成績が著しく下がるなどスマホ依存は今や社会問題となっている。
大切なのは画面を通しただけの「疑似体験で終わらせないこと」だと久保田氏は言う。

「私も子どもの時にやりましたが、遊びで虫を殺してしまったりすることもあると思います。でも、そうすると必ず後悔が残る。弱い物イジメのような、してはいけないことをそこから覚える。そこには疑似体験では伴わない感情がついてくるからです。
だから例えばYouTubeで私の動画を見ていただいたら見るだけでなく、実際に手を動かして親子で工作してみてほしいんです。実際に工作をして自分の手でモノを産み出す楽しさを感じてほしいんです。『命を産み出す』って気持ちで工作してみてほしいなって思います。
そうした経験をすることで必ず何か発見があります。工作なら親子で楽しめますし、親からしたら“うちの子こんなことができたのか”って発見に繋がります。そして経験は必ず親子の思い出になるんです」

わくわくさんの工作に興味深々な6歳の少年

「工作を34年、もう極めたのでは?」の質問に…

久保田氏もそうした経験が今の自分に繋がっているという。
喋るのが好きだったことから落語家を目指した時期もあったが、大学時代には教員になることを志し、社会科の教員免許を取得。その後、声優の道へと進んだ久保田氏だったが、こと〝工作〟においては父親の影響が強かったという。

「父親はサラリーマンでしたが、大工の棟梁からスカウトがくるほどに手先が器用でした。ある時、凧を作ると言い出してそれこそ竹を買ってきて、ナタで削るところから作り始めるんですよ。そういう父親だったので自宅にノコギリは10本以上あって、ノミも20本以上ありました。そんな環境もあって私も小さな頃からモノづくりの楽しさみたいなものは体験していました。喋るのが好きで、工作も好きだから最終的に“わくわくさん”になっちゃいました」

封筒ロケットを作り飛ばすわくわくさん

「工作を34年以上も続けたのならもう極めたのでは?」という記者の問いかけに久保田氏はしばし思案顔をするとこう答えた。

「新しい物がどんどん生まれていくということは、逆に言うとわれわれ工作をする人間にとっては完成形がなくなるってことなんです。
例えば、『つくってあそぼ』が始まった当初はペットボトルなんて素材はなかったわけです。そうするとペットボトルが生まれたおかげで新しい工作ができるようになる。先程の話ではありませんが、スマホが普及してからはそのスマホも工作の題材になります。今は幼稚園でも折り紙でスマホを作る時代。
逆に環境問題の観点からプラスチック製の先が曲がるストローがなくなる可能性があったりもします。番組でもよく使っていた曲がるストローです。あれがなくなったらどうしよう。私にとっては死活問題。とにかく時代に即した工作ってのを考えていかないといけないし、それを考えるのがこれからの私の仕事ですね」

ハードウェアは今後も新しくなり続けるが、より大切なのはそれを使う人間だ。
わくわくさんは今日も工作を作り続けるー。

撮影・取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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