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〈ジブリアニメ大解剖〉名作『風立ちぬ』はなぜ主人公の声優を庵野秀明に? 「自分の映画で初めて泣いた」という、宮崎駿=堀越二郎の真相とは

集英社オンライン / 2023年6月3日 14時1分

評論家・岡田斗司夫が“僕は100点満点中98点です。現時点での宮崎駿最高傑作ではないか”と語る『風立ちぬ』。映画公開年の2013年にも解説本を書いた著者が解説する新たな『風立ちぬ』の考察を『誰も知らないジブリアニメの世界』 (SB新書)から一部抜粋・再構成してお届けする。

宮崎駿、堀越二郎、それぞれの罪と罰

本書刊行現在のところ公開されている宮崎駿の最後の作品が『風立ちぬ』です。『ナウシカ』から数えることちょうど10作目。これまでのファンタジーから離れ、初めて実在の人物をモデルにした、異色の作品です。

各所で語られるように、主人公の堀越二郎には監督自身が反映されていると見るのが素直な解釈でしょう。飛行機趣味、眼鏡のコンプレックス、疎開時の経験をもとにした二郎の生家の描写、女性への憧れ、家庭をないがしろにしてしまうほどの仕事への情熱......。二郎の吸うたばこは、宮崎駿が愛する銘柄チェリー。プロデューサーとスポンサーに囲まれながらアニメを作っている宮崎駿と、軍部に戦闘機の開発を要請された二郎。



「自然に帰れ」と作中で伝えながらもファンをインドア派のアニメオタク化してしまう、そしてそれでも観客動員を求めて映画作りをやめられない宮崎駿の罪と罰。純粋なものづくりへの情熱から殺人兵器を生み出してしまう、しかも日本を勝たせるために作ったはずの戦闘機が、自爆特攻というかたちで若い命を奪ってしまう堀越二郎の罪と罰。

なぜ主人公の声優をあの庵野秀明に設定したのか

堀越二郎=宮崎駿説の極めつきは、主人公の声優を庵野秀明に設定したことでしょうか。堀越二郎=宮崎駿=作家の罪と罰を描くにあたって、さすがに自分で声優を務めるわけにはいきませんから、よく似た生き方をたどる弟子、庵野秀明を起用したのでしょう。

宮崎駿が初めて本音をさらけ出した自伝的映画『風立ちぬ』に点数をつけるとしたら、僕は100点満点中98点です。現時点での宮崎駿最高傑作だとも思っています。

だからでしょうか。岡田斗司夫ゼミでも、ほかの作品以上に頻繁に『風立ちぬ』に触れてきました。公開同年の2013年には、その時点での僕の解説をまとめた書籍『『風立ちぬ』を語る』も上梓しました。だいたいのことはその本で語っているので、気になる方はそちらもぜひ読んでみてください。

本章では、最近になって僕が考え直した新たな『風立ちぬ』解釈について語りますね。

堀越二郎により強く重ね合わされているのは、
宮崎駿よりも父の姿

それを作れば、彼がやってくる。
『風立ちぬ』を作るなかで宮崎駿が見たものは、父の青年時代だったのではないでしょうか。堀越二郎には宮崎駿のみならず、その父も投影されています。

昭和史というテーマに取り組み続けた作家、半藤一利との対談本『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』のなかで、宮崎駿は「ぼくは堀辰雄と堀越二郎と自分の父親を混ぜて映画の堀越二郎をつくってしまいました」とはっきり証言しています。宮崎駿の私小説とも見られる『風立ちぬ』。僕も最初そのように見ていましたが、本人の証言のとおり、むしろ劇中の二郎により強く重ね合わされているのは、宮崎駿よりも父の姿なのではないでしょうか。

宮崎駿の父、宮崎勝次と二郎の共通点

まず、関東大震災と第二次世界大戦に直面した、同じ時代を生きてきたという点。

次に、妻が病にふせっているという点。勝次の妻、つまり宮崎駿の母は、宮崎駿が小学生から高校生の頃まで、ひとりで立ち上がれないほどの病気でした。このあたりの母親の思い出は、『トトロ』にも反映されていますね。

宮崎駿の母は菜穂子とは違い、その後快復しましたが、「結核で妻を亡くす」という体験は勝次も二郎と同じようにしています。実は宮崎駿の母は勝次の再婚相手で、初婚時の妻は結婚後まもなく結核によりこの世を去っています。このあたりは二郎と菜穂子の関係性に非常によく似ています。

そして最大の共通点は、どちらも戦闘機の生産に関わっていたということです。二郎は設計士として、勝次は工場長として。勝次は兄弟と一緒に、飛行機部品の製造会社である宮崎航空製作所を営んでいたのです。

戦闘機に関わっていながら、「戦争に加担している」という意識が希薄なのも、勝次と二郎に共通する点です。劇中、同僚の本庄は日本の現状について目を配っていますが、二郎にはそんなそぶりはありません。ただ目の前の大好きな開発の仕事に向かうだけ。

戦争責任の意識も希薄な二人

勝次にも似たようなところがあります。『腰ぬけ愛国談義』での宮崎駿によると、

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「宮崎さん、五機つくって南方に送っても、着くのは一機だけだよ」とか、「五機同士でアメリカと日本の飛行機がすれ違うと日本は一機だけ残って、向こうは一機が薄い煙を吐くだけだ」とか、そういう話を散々聞かされたそうなんです。なのに、そういう情報と自分の商売とをまったく結びつけないで、とにかくつくりゃいいんだと思っていたようなんです。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

というように現実感、大局観もなければ、

***
ぼくの親父は戦争に負けたら負けたで、平気でアメリカ兵と友人になってそいつを家に連れてくるような男でした。そのときぼくは四歳だったんですが、アメリカ兵が家に来たとき、日の丸のついているオモチャの飛行機を、隠したことをはっきりおぼえているんです。チビのくせに、アメリカ兵がこれを見たらまずいとでも思ったのでしょうかね。なんでそんなことをしたのか、まったくわかりません。でも四歳のぼくは隠したんですよ。いずれにしても戦争前の、ぼくの記憶にない世界は灰色にしか思えなかった。ところが親父は「いやあ、いい時代だった」って言うんです。「浅草はよかった」とかって。かつてはこれが信じられなかった。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

というエピソードや、

***
親父は「戦争をしたのは軍部であって自分ではない。スターリンも日本人に罪はないと言った」などと言っていましたね(笑)。
***
※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

という話もあるように戦争責任の意識も希薄です。

様々な一致からもわかるように、二郎の造形は勝次に重ねられています。宮崎駿は『風立ちぬ』で自分よりもむしろ父を描こうとしたのがよくわかります。もちろんあくまで『風立ちぬ』の最初の発想は、堀辰雄と堀越二郎を混ぜてみたら、というアイデアだったのでしょう。それが飛行機という結節点から、映画を作っていくうちに次第に父の姿を反映してしまったというのが本当のところではないでしょうか。

宮崎駿はなぜ”風防”にこだわったのか

『風立ちぬ』は堀越二郎を主人公にしているのに、零戦がほとんど出てきません。おかしいですよね。堀越二郎は零戦の設計者として何より有名で、『風立ちぬ』を紹介する際にも、主人公は零戦の設計者だと紹介される、にもかかわらずです。『腰ぬけ愛国談義』でも半藤一利にツッコまれていました。映画で大きく扱われるのは、零戦よりも前に二郎が手がけた九六式。

それに対して、零戦はラストのラストで数秒間の飛行シーンが出てくるのみです。十何機もが一気に飛んでくるシーンです。

該当のシーンをぜひ見返してほしいのですが、零戦の全体像が映っているカットはほとんどありません。この限られたシーンで印象に残るパーツが、コクピットを覆う風防です。絵コンテにはない、風防が並んで大きく映ったカットもあり、僕はそれを見て宮崎駿がなぜ風防にこだわるのか不思議に思っていました。

風防は父が取り扱っていた部品であり、宮崎駿の原体験

せっかく最後の最後に零戦を出すのなら、もっと全体像や、激しく飛び回る雄姿を見せたらどうなんだ。どうしてそんなに風防にこだわるのか。
その答えも、『腰ぬけ愛国談義』のなかに見つかります。

***
ぼくが日本の軍用機でじっさいに見たことがあるのは、零戦の風防だけです。物置の土間に新品の風防が二つ置いてあるのを見ました。(中略)ぼくらは工場のちかくの家に住んでいたのですが、ぼくが見た零戦の風防は、きっと工場のなかに置く場所が足りなくなって置かれていたのでしょうね。
***
※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

風防は父が取り扱っていた部品であり、宮崎駿の原体験でもあります。風防を描くというところに、意識的なのか無意識的なのかはわかりませんが、宮崎勝次・駿という親子の存在を思わされます。

宮崎駿が映画のなかでいつも憧れていたのは、女性であり母親

よく『風立ちぬ』は、宮崎駿が自分の映画で初めて泣いた作品というふうに紹介されます。何かほかの作品とは違う、宮崎駿の琴線に触れるポイントがあるはずです。

大きなポイントの1つが、映画のなかに父を見たことではないかと考えます。

それまでの作品と『風立ちぬ』の違いは、ファンタジーではなく実在の人物を主人公にしたことも大きいです。ですがさらに大きな違いとして、宮崎駿が初めて父を描いた、という点があります。

宮崎駿が映画のなかでいつも憧れてきたのは、女性であり、もっと言えば母親です。ナウシカ、ドーラ、サツキとメイのお母さん、ジーナ、湯婆婆、ソフィー、リサ、グランマンマーレ......。その誰もが、宮崎駿が考える母性の象徴です。

一方、父性を強く感じさせるキャラクターは見当たりません。宮崎アニメに出てくる父は、物語や主人公を導く存在ではありません。世界を動かすのは、女性であり母親です。

宮崎はかつて父を嫌っていました。それは、先ほど引用した発言にもあるように、戦争に加担したという自分の行いに対して、あまりにも無責任だったからです。『腰ぬけ愛国談義』では、さらにこんなエピソードも語られています。

***
こんな映画を観たとかストリップへ行ってきたとか、そういうことを平気で家でしゃべる男でした。ぼくをつかまえて、「おまえ、まだ煙草も吸わないのか」とか、「オレはおまえぐらいのときには芸者買いしていた」とか、そういうことまで言っていました。で、ぼくは絶対こういう男にはなるまいと思った(笑)。
***
※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

享楽主義でデリカシーもない遊び人。嫌っている父を、宮崎駿が描くことはありませんでした。

作品を通じて父と和解した宮崎駿

しかしついに『風立ちぬ』で、父を描き出します。しかも批判的に描くのではなく、飛行機という夢を追う純粋な人間として。父への赦しがうかがえます。作品を通じて再会を果たした宮崎駿は、父と和解をしたのではないでしょうか。

『風立ちぬ』を監督自身の罪と罰を内省した私小説的作品とだけ見るのは、浅い見方です。もちろん、監督本人を慰めるセラピー的な映画ではあるのですが、宮崎駿が内省したかったのは、自分の姿だけでなく、父への思いだったのです。

***
衝突やらなにやらいろいろありましたけど、このごろようやく、やっぱり親父を好きだな、と思うようになりました。
***
※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫

『腰ぬけ愛国談義』から宮崎駿のこの言葉を引用して、本章を終えることとします。


『誰も知らないジブリアニメの世界』(SB新書)

岡田斗司夫

2023/4/6

990円

232ページ

ISBN:

978-4815617776

オタキングが読み解く宮崎駿のジブリ作品

最新作『君たちはどう生きるか』の公開迫る!
引退宣言を撤回してまで作られた新作はどんな内容になっているのか?
期待に胸を膨らましながら、 まずはこれまでの宮崎駿のジブリ長編全10作を振り返りませんか?

通称オタキング、評論家・岡田斗司夫は ジブリアニメに何を読むのか?宮崎駿をどう見るのか? 豊富な資料と知識から迫るジブリアニメ大解剖。
すべてのアニメファン、ジブリファン必見必読の1冊です。

稀代の天才アニメーターは、 いかにして国民的作家になったのか。

ジブリでの長編監督作全10作品を時系列で読み解くことで、 宮崎駿が語ってきたこと、愛したもの、またその変化と成長を分析。

各作品ともにテーマを設けて岡田斗司夫が徹底解説します。


はじめに 宮崎駿は何を描いてきたのか
第1章 宮崎駿の鋭すぎる技術論――『風の谷のナウシカ』
第2章 SFアニメはどうあるべきか?――『天空の城ラピュタ』
第3章 手塚治虫の光と影――『となりのトトロ』
第4章 「才能」とはどういうものか?――『魔女の宅急便』
第5章 飛行機オタクの大暴走――『紅の豚』
第6章 始まりは、1954年――『もののけ姫』
第7章 スタジオジブリと銀河鉄道――『千と千尋の神隠し』
第8章 戦争は続くよどこまでも――『ハウルの動く城』
第9章 グランマンマーレの正体――『崖の上のポニョ』
第10章 「堀越二郎=宮崎駿」は本当か?――『風立ちぬ』
終章 進化する宮崎駿

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