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維新以来、欧米に追いつけ追い越せでやってきた日本にとっての真のSDGsとは? 地球環境問題と50〜60年代の日本で起きた公害問題、東大と京大の本質的な違い

集英社オンライン / 2023年6月7日 9時1分

1988年にNASAの科学者が地球温暖化について提言するまでは、「地球環境」という概念は存在しなかったという。だが逆にそれ以降の、特に日本における浸透ぶりには目を見張るものがある。SDGsは必要な目標であるが、すべてをやみくもに信じることは本当に正しいことなのか。

ローカルな「公害問題」と
グローバルな「地球環境問題」

私が高校生だった頃、日本では「公害」が大きな社会問題として浮上しました。いずれも産業廃棄物が原因とされ、イタイイタイ病(富山県)、水俣病(熊本県)、新潟水俣病(新潟県)、四日市ぜんそく(三重県)は「四大公害病」などと呼ばれたものです。

私の出身地である静岡県でも、1960年代から70年代前半にかけて、製紙工場の廃棄物による田子の浦のヘドロ公害が発生しました。若い人には馴染みの薄い言葉かもしれませんが、ヘドロは「屁泥」と書かれることもある日本語。



当時は『ゴジラ対ヘドラ』という映画もつくられたぐらい有名(?)でした。地元の身近な問題だったので、高校の同級生と「どうすれば公害をなくせるか」と真剣に話し合ったのをよく覚えています。

その友人と私は、どちらも公害問題に大きな影響を受けて、進学先を決めました。高校生の進路を左右するぐらい、深刻な問題だったわけです。ただし選んだ学部は別々で、彼は工学部、私は理学部。公害は工場などから出る産業廃棄物が原因なのですから、それを解決するために工学部を選んだ友人のほうが、自然な発想でしょう。しかし高校生の私は、こんなふうに考えました。

「問題が起きないようにいろいろ考え抜いて設計したはずの工場から公害が出てしまうのは、まだ人間が自然界の根本的な成り立ちを理解していないからに違いない」─それで、自然界のより基本的なところを探る理学部を選んだのです。

さて、自然界という大きなフィールドに興味を持ってはいたものの、当時の私は地球環境というグローバルな問題意識を持っていませんでした。理学の道に入るきっかけとなった公害は、自分の故郷で生じたローカルな問題です。

そもそも当時は「地球環境」という言葉が(存在はしたのかもしれませんが)使われていませんでした。言葉がないということは、そういう概念もないということです。いまの時代に企業が産業廃棄物を垂れ流せば、誰でもそれを環境汚染として受け止めるでしょう。しかし当時は誰も、公害をグローバルな「環境問題」という枠組みでは考えていなかったのです。

その概念が世界に広まったのは、1988年のこととされています。その年に、NASA(米航空宇宙局)の科学者ジェームズ・ハンセンが、米議会で地球温暖化に関する研究について証言しました。のちにハンセンは「地球温暖化問題の父」とも呼ばれるようになりましたが、「地球環境」という言葉が広まったのは、このハンセン証言がきっかけです。

東京大学名誉教授の木村龍治先生の調査によれば、朝日新聞に「地球環境」という言葉が登場する回数は、この年を境に、ほぼゼロ回から年間500回程度にまで一気に跳ね上がっていました。この頃から、「グローバルな環境問題」が世界中で注目されるようになったわけです。

「米国がやるから日本も研究を」
という東大の発想

ハンセン証言をきっかけに、「グローバルな環境問題に取り組むべき」という圧力が一気に高まりました。私自身、MIT(マサチューセッツ工科大学)のポスドク時代にそれを実感したことがありました。

同じ地球物理学を専門とする東大の先生に「酒井さんもこの研究に協力してくださいよ」と言われたテーマが、まさにいまでいう地球環境問題に直結するものだったのです。

そのとき私が取り組んでいたのは、流体力学の不安定問題というもの。専門的になりすぎるので詳しくは説明しませんが、環境問題とはとりあえず何の関係もありません。単に「オモロい」からやっていたことです。MITのボスには「サイエンスと名前がつけば、何をやってもいい」と言われていました。

その研究が楽しかったので、東大の先生に言われた研究テーマには、あまり興味が持てません。そもそも、どうして自分がそんなことをやらなければいけないのかもわかりませんでした。

しかし東大の先生は、「米国の研究グループがこのテーマをやろうとしている。だから日本もやらなければいけないんですよ」と言います。まさに敷かれたレールに乗ろうという話ですから、こちらはますますやる気になりません。

しかも、彼が言う「米国の研究グループ」のリーダーは、私のMITのボスのボスのような存在の教授です。その教授は「この観測計画は楽しいからやるんだ。楽しくなきゃやらないよ」と言っていました。同じMITの建物の中にいる私に、一緒に研究しようとはひとことも言わなかったのです。

ここには、じつに端的に、東大と京大の役割意識の違いが表れているようにも思います。国内ナンバー1の大学は、欧米の動向を横目で見ながら走らざるを得ない宿命を背負っている。

それに対して、「自由の学風」を掲げてまわりを気にせず好きにやれるのが、ナンバー2というポジションです。どちらが正しいという話ではなく、これは両方なければバランスが取れません。

自分の思い出話が長くなってしまいましたが、そうやって欧米の敷いたレールに乗ろうとするのは東大だけの特徴ではなく、日本社会全体の癖のようなものでしょう。明治維新以来、日本は欧米に「追いつけ追い越せ」でやってきました。

「もはやそんな時代ではない」と、頭ではわかっている人は多いと思います。でも、つい「欧米が何をしているか」を基準に物事を考えてしまう。

SDGs自体、日本も含めた国連の場で決まったものとはいえ、日本人にとっては「舶来品」のような印象が拭えません。そのため、ローカルな持続可能性よりもグローバルな持続可能性─その中でもいちばん大きな地球環境問題─に目が向きやすいのではないでしょうか。


文/酒井敏 写真/shutterstock

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色

酒井 敏

2023年4月17日発売

968円(税込)

新書判/208ページ

ISBN:

978-4-08-721259-4

【元京大変人講座教授、SDGsにモヤモヤする!】
近年声高に叫ばれる「SDGs」や「サステナブル」といった言葉。環境問題などの重要性を感じながらも、レジ袋有料化や紙ストローの導入、そしてSDGsバッジなどの取り組みに、モヤモヤしている人は少なくないのではないか。

「京大変人講座」を開講した著者は、大学で「SDGs担当」になったことをきっかけに、その言説や取り組みに違和感を覚えた。人間や地球環境にとって、ほんとうの「持続可能性」とは何か。名物教授が科学的観点と教育的観点からSDGsのモヤモヤを解き明かす。

【おもな内容】
プロローグ 「キレイ」なSDGs
第1章 危ういSDGs
第2章 プラゴミ問題で考える持続可能性
第3章 地球温暖化とカオス理論
第4章 無計画だからこそうまくいくスケールフリーな世界
第5章 日本社会の自由度をいかに高めるか
終章 うんこ色のSDGs

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