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再注目の機運高まる1980年代邦楽インディーズの世界を知りたかったら、この10作を聴け!

集英社オンライン / 2023年6月2日 11時1分

音楽サブスクや、YouTubeといったオンライン動画共有プラットフォームの普及が牽引する過去の音楽の意外なリバイバルブーム。前回、「シティポップの次にくるのはコレ!」と1980年代邦楽インディーズ時代の名盤を10作、紹介し話題を呼んだ佐藤氏が、その第二弾をお届けする。

若い世代にこそ聴いてほしい、
あの時代の自由でユニークなバンドの数々


1980年代半ば、いわゆる“インディーズ(自主制作)ブーム”が起こり、パンクやニューウェーブ系のアンダーグラウンドな邦楽バンドが大量発生した。

ブームの中核にいたいくつかのバンドはその後メジャー展開し、今でもよく知られるほど有名な存在になったが、その他の大部分のバンドはいつまでもマイナーなままだった。


あるいは一時的にプチブレイク状態になりながら、インディーズブームに続くバンドブームの収束とともに、再びアンダーグラウンドへと戻っていったバンドも多かった。

それこそ時代の徒花というべきなのかもしれないけど、とにかく自由でユニークで心踊らされるバンドが多かったあの頃のインディーズシーンを、僕は忘れることができない。
あのバンドもこのバンドも、このまま歴史に埋もれさせてしまうのはあまりにもったいないと思ってしまう。

そういえば昨今、TikTokを駆使するZ世代の間で、昭和後期や平成初期の意外な曲が、突如バズる現象が頻発している。
だったら、僕が大好きだったあの頃のパンク&ニューウェーブ系のバンドや曲が、再び脚光を浴びる可能性も、なきにしもあらずではなかろうか。

そんな勝手な妄想をふくらませ、1980年代にリリースされた数多のインディーズ系音源から厳選し、“今の若い人に紹介したい”“バズったらいいのに”という目線で、知る人ぞ知る名盤を10枚ご紹介したら、意外に大きな反響があった。

シティポップの次にくるのはコレ! バンドブーム前夜=1980年代邦楽インディーズ時代の名盤10選

そこで、第二弾をお届けしようという次第です。



1980年代インディーズシーンの熱狂を伝える写真展(Action Portrait-GIG-Photo by Gin Sato 2017 10/28-11/5)に展示された、GHOULのライブ写真

今回紹介するのは、僕と同世代で同じ趣味を持つ人にとっては、「何を今さら」と思うものばかりかもしれないが、今までまったくこういうものに触れていない人に紹介するつもりで選んでいることをご承知いただきたい。

また前回の記事を見て、恐らく僕と同年代で当時のシーンに詳しい人から、「あれを取り上げないなんて」「このバンドを忘れたか」という不満の声がいくつか寄せられた(例のヤフコメで)。
だが、こっちとしては「うっせーな!」という気持ちだ。
だってそうでしょ?
紹介したい音源は何百枚もあり、そのいずれも愛すべきポイントがあって甲乙つけがたいと思いながら、紙幅の都合上、涙を呑んで10枚に絞っているこっちの身にもなってくれ(まあ、好きで勝手にやってるんだけど)。

ブツブツ文句言わずに行ってみますか。

今回も厳選10枚。
順位なんかつけられないので、並びは単純にバンド名の五十音順だ。

伝説のハードコアバンド、メジャーで大躍進したバンド……
筋肉少女帯、グール、ケンヂ、原爆オナニーズ


1枚目!
筋肉少女帯
「とろろの脳髄伝説」
(コンパクトアルバム 1985年リリース)
筆者イチオシ曲『釈迦』

有頂天のKERAが主宰するインディーズレーベル、ナゴムレコードからリリースされた、筋少のファースト音源。シングル盤のサイズだが4曲入りで、通常の45回転ではなく33回転で再生する変則盤。のちのメジャー展開後にも再録された代表曲『釈迦』が一曲目に収録されている。ライブ時の写真を使ったインパクト抜群なジャケットも相まって、高校時代の僕は度肝を抜かれた。
裏ジャケのクレジットが大槻ケンヂではなく、当時のアーティスト名である「おーつきモヨコ」となっているのも感慨深い。

2枚目!
GHOUL(グール)
『OI! OI!』
(シングルソノシート 1985年リリース)

隻腕のボーカリストMASAMI(故人)が率いた、伝説に残るバイオレンスなパンクバンド・グールによる、片面だけに刻まれた1曲入りソノシート。ハードコアパンクに分類されることが多いグールだが、この曲は比較的ポップで聴きやすい曲調で、曲名からも分かるように、グール流のOi!パンクを追求していたことがうかがえる。喉から搾り出すような独特すぎる歌声は、英語のようにも聞こえるが、MASAMIの作る曲に歌詞はなく、即興のスキャットである。

3枚目!
KENZI
『Oh! My Cat』
(シングル 1986年リリース)

KENZI & THE TRIPSとしてメジャーデビューする前年に、KENZI名義で発表されたインディーズ3rdシングル。この頃、インディーズシーンにおけるKENZIの人気は絶大で、ラフィン・ノーズ、ウィラード、有頂天のいわゆる“インディーズ御三家”を、猛烈な勢いで追いかけていた。インディーズブーム後期からバンドブーム期に隆盛となる、ビートパンクの先駆けとなったバンドとしても知られる。
KENZIの粘っこいボーカルスタイルは、唯一無二のものだった。

4枚目!
the 原爆オナニーズ
「ESSENTIAL」
(ベストアルバム 1988年リリース)
筆者イチオシ曲『発狂目醒ましくるくる爆弾』

1982年に結成し、一度も解散することなくコンスタントに活動を継続。決してメジャー展開することなく(バンド名からしてできるわけないが)、ひたすらインディーズ界に身を置き続ける原オナは、世代を超えて若いパンクバンドからリスペクトされる存在だ。インディーズブーム最中に発表されたこのベストアルバムには、先発のシングルやアルバムから抜粋した初期代表曲が並ぶ。『発狂目醒ましくるくる爆弾』は、今もライブでダイブする者が続出するテッパン曲。

日本にUKカルチャーを持ち込んだバンド、
あのテクノユニットの前身バンド……
コブラ、コレクターズ、人生、ニューロティカ


5枚目!
COBRA
「STAND THE PREASURE」
(アルバム 1985年リリース)
筆者イチオシ曲『Oi TONIGHT』

イギリスのワーキングクラス層の若者・スキンヘッズがつくった、パンクのサブジャンルである“Oi!”の真髄は、日本ではなかなか理解されることがなかった。だが、1982年結成のCOBRAは、日本にいち早くOi!カルチャーを持ち込んで体現して見せた先駆者。ストレートで骨太なパンクサウンドの支持者は多く、1987年よりメジャー展開し、1990年には単独の日本武道館公演も果たしている。その後、幾度も活動休止と再始動を繰り返しており、現在は休眠中。

6枚目!
THE COLLECTORS
「Welcome To The Flower Fields And The Mushroom Kingdom! (ようこそお花畑とマッシュルーム王国へ)」
(アルバム 1987年リリース)
筆者イチオシ曲『YuMeMiRu KiMi To BoKu (夢みる君と僕)』

1986年に結成された、日本のモッズ/プリティッシュロックバンドの代表格。インディーズブーム期に起こったサブジャンルの“ネオGS”シーンから現れ、1987年11月にメジャーデビューする。本アルバムはそれに先駆け、同年6月に発売された唯一のインディーズアルバム。キラキラした良曲が並ぶ名盤で、僕は今でもかなり頻繁に針を落としている。中でも『YuMeMiRu KiMi To BoKu (夢みる君と僕)』は、ほろ苦い青春時代を思い出させるようなキラーチューン。

7枚目!
ZIN-SÄY(人生)
「AS A FACE……(顔として…)」
(アルバム 1988年リリース)
筆者イチオシ曲『EBI NAGE HIGH JUMP(エビなげハイジャンプ)』

人生とはご存知のとおり電気グルーヴの前身バンドで、1985年に高校生だった卓球(現在の石野卓球)が、友人の畳三郎(現在のピエール瀧)らと結成したテクノバンド。曲者揃いのナゴムレコードの中でも“極北”と呼ばれるほどの異彩を放ち、人気がぐんぐん上昇。1989年には解散して電気グルーヴへと移行するため、本作は人生として最初で最後のオリジナルアルバムとなった。筆者イチオシの『EBI NAGE HIGH JUMP(エビなげハイジャンプ)』テクノとパンクとバカを足して3で割ったような名曲。

8枚目!
NEW ROTEeKA(ニューロティカ)
「DRINKIN’BOYS」
(ミニアルバム 1988年リリース)
筆者イチオシ曲『ア・イ・キ・タ』

1984年結成のニューロティカは、2022年に史上“最遅”の日本武道館初公演を成功させ話題となった。本作は1988年にインディーズでリリースされたミニアルバムで、代表曲のひとつ『ア・イ・キ・タ』が収録されている。
今では唯一のオリジナルメンバーとなったボーカルのATSUSHI(通称・あっちゃん)は、インディーズブームの当時も今も、ステージ上ではピエロの扮装で通している。ビートの効いたパワフルなパンクロックを奏でるが、哀愁と温もりを帯びたメロディや歌詞が聴く者を惹きつける。

ハードコアの最高峰と語り継がれるバンド、
ミクスチャーロックの先駆けバンド……
リップクリーム、レピッシュ

9枚目!
LIP CREAM
「KILL UGLY POP」
(アルバム 1986年リリース)
筆者イチオシ曲『KILL UGLY POP!!』

1984年から1990年までという比較的短い活動期間だった(2010年に一夜限りの再結成あり)にもかかわらず、今もジャパニーズハードコアの最高峰として名前を挙げる人が多いリップクリーム。ハードコアパンクはかっこいいリフの一発勝負で曲の良し悪しが決まることが多いが、リップクリームの曲には独特のうねりや展開があり、シーンの中でも一際異彩を放っていた。
本作はリップクリームのインディーズファーストアルバムで、捨て曲はない。

10枚目!
LÄ-PPISCH(レピッシュ)
「ANIMAL BEAT」
(ミニアルバム 1986年リリース)
筆者イチオシ曲『HARD LIFE』

1987年にはメジャーデビューし、インディーズブームから続くバンドブームを牽引する役割を担ったレピッシュのインディーズ初音源。レピッシュはスカを基調とするバンドだが、単純なスカではなく、パンクやファンク、その他ワールドミュージックなどの要素を混ぜ込んだサウンドが特徴。ミクスチャーという言葉がまだなかった頃だったので、レピッシュの革新的な音に多くのインディーズファンが驚き、すぐ夢中になった。
『HARD LIFE』はジャングルビートも取り込んだようなユニークな曲調で、今聴いても非常にかっこいい。



さて。
このテーマで第二回目を書き終えた僕の感想は、まだまだ全然物足りねー、という感じだ。
だって冒頭で書いたとおり、当時夢中になった山のようなバンド群の中から、10に絞るのはなかなか厳しい作業なのだ。
いま頭に浮かんでるだけでも、紹介しきれていないバンドがまだたくさんある。
たとえば……。

スタークラブ、アナーキー、あぶらだこ、じゃがたら、ローザルクセンブルク、ばちかぶり、E.D.P.S、突然段ボール、DOC-Oi、ハイディナッシュ、おちょくりShys、フラットバッカー、EP-4、吉野大作とプロスティテュート、キャ→、パパイヤパラノイア、空手バカボン、赤痢、THE WELLS、ロンドンタイムス、DOOM、D-DAY、アンジー、OUTO、ZOUO、ゲロゲリゲゲゲ、奇形児、S×O×B、グレイトリッチーズ、G-シュミット、あけぼの印、FUCK GEEZ、IB SINGER、ゲンドウミサイル、肉弾、木魚、ペーターズ、THE POGO、THE SHAKES、I-SPY、マスターベーション、オキシドール、スカフレイムス、THE 305、非常階段、ハナタラシ、オートモッド、サディサッズ、アレルギー、ROSE ROSE、ガーリックボーイズ、きどりっこ、痛郎、招き猫カゲキ団、水玉消防団、メトロファルス、泯比沙子、YBO2、ソドム、コンチネンタルキッズ、カムズ、モブス、スワンキーズ、白(KURO)、死ね死ね団、ピッキーピクニック、ミンカパノピカ、クララサーカス、のいづんずり……。
いや、これ終わらんな。

しかし我ながら、よく覚えているものだ。
このエネルギーと脳のメモリーを、もう少しだけ勉強に割り当てておけば、今頃もっと出世してリッチマンになってたかもしれないのに。

まあいいや。人生はパンクなので。
そんなわけで、また会いましょう。


文/佐藤誠二朗

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