〈ダルビッシュ・メジャー通算100勝〉「原点は平均台の上でのテニスラケット振り」“練習嫌いで体が大きいだけだった”ダルビッシュが世界屈指の投手になれた理由
集英社オンライン / 2023年6月10日 14時51分
6月9日(日本時間10日)、パドレスのダルビッシュ有(36)が日本人投手では2人目となるメジャー通算100勝を達成した。投手としての実績はもちろん、侍ジャパンが優勝した今春のWBCでは「陰のMVP」といわれるなど、昨今はその人間性にも注目が集まるダルビッシュを恩師はどう見ているのか? 「羽曳野ボーイズ」の山田朝生会長(75)に話を聞いた。
バットではなくテニスラケットを振らせた
6月9日(日本時間10日)、パドレスのダルビッシュ有(36)はロッキーズ戦に先発。6回途中、被安打5、4失点で今季5勝目を挙げ、03年の野茂英雄以来、日本人投手では2人目となるメジャー通算100勝を達成した。
2012年のメジャー移籍後、足かけ12年、4球団を渡り歩いて達成した快挙に目を細めるのが、中学時代の恩師である「羽曳野ボーイズ」の山田朝生会長(75)だ。これまで36年にもおよぶ指導者生活の中で750人以上の選手を指導してきた山田会長。その目に、今のダルビッシュはどのように映っているのか。話を聞いた。
――ダルビッシュ選手といえば、練習熱心、研究熱心として知られています。その姿はまさに野球の虫。しかし、「羽曳野ボーイズ」時代のダルビッシュ投手は野球嫌い、練習嫌いで、山田会長を困らせていたそうですね。
山田(以下同) あの子が「羽曳野ボーイズ」に入団してきたのは中学入学直後のことでしたが、決して熱心な選手とは言えなかった。もっと言えば、野球が嫌い、練習が嫌い。野球センスもイマイチで、取り柄といえば、他の子と比べて背が高くて体がでかいくらい。それだけの選手でした。
中学生といえば、他の同級生と遊びたい盛りです。しかも当時のダルビッシュはお父さんの影響もあってサッカーやアイスホッケーなどのスポーツもやっていたから、余計に野球だけに打ち込む中学生活が嫌だったんでしょう。それでも練習に出てきたのは、サボると私からビンタを食らうのが怖かったからでしょう(笑)。
――当時、何か、特別な指導をしたんですか?
それはありません。上手い選手だろうが、下手な選手だろうが、みんな同じ練習メニューを平等にこなすというのが「羽曳野ボーイズ」の方針ですから。だから、選手たちには「うまくなりたければ自分で考え、工夫して練習しろ」と口を酸っぱくして教えてきました。
練習でうまくいかなかったプレーがあれば、なぜうまくできなかったのか、どうしたらうまくこなせるのか、自分で考えて次の練習にそれを活かす。その積み重ねでしか、選手はうまくなりませんから。ただ、ダルビッシュにはテニスラケットをひたすら振らせる練習メニューを与えました。
プロゴルファーでも大成していた?
――野球選手にバットでなく、テニスラケットを振らせる?
そうです。ダルビッシュのように体が大きい子は成長期には往々にして骨と筋肉の成長がアンバランスになることが多いんです。だから、ダルビッシュにはおかしな筋肉をつけるようなウェイトトレーニングは一切させませんでした。その代わりに課したのが平均台に乗って、その上でシャドウピッチングのようにひたすらテニスラケットを振るという練習メニューでした。
平均台の上で落下しないようにラケットを振るうちに、自然と体の筋肉のバランスがとれてくるんです。最初はすぐに平均台から落ちていましたが、毎日やっているうちに落下することもなく、スムーズにラケットを振れるようになりました。
――成果はありました?
もちろんです。体の筋肉のバランスがとれたのでしょう、中学2~3年のころになると140キロ台の速球を放るようになりました。これまで多くの選手を育ててきましたが、男の子の体つきや筋肉のつき方って、75%くらいは母親に似るように思います。でも、ダルビッシュは異例で、ほぼ100%お父さんの身体能力を引き継いでいる。
ご存じのようにお父さんはイラン人で運動神経もよく、かつて「羽曳野ボーイズ」のフィジカルコーチをお願いしていたほどのアスリートなんです。その資質を引き継いだダルビッシュも運動能力は恵まれていました。その一例があの子の肩の可動域の並外れた広さです。背中に私の手のひらを置き、そのままあの子の腕を後ろにグイっと引っ張ると、肩甲骨が覆いかぶさるように大きく動き、私の手が完全に隠れてしまう。それくらい、肩周りや腕が柔軟でした。
また。あの子の中学時代の投球フォームをビデオで見てみると、普通の投手よりもボールをリリースするポイントが20センチほど遠い。肩の可動域が広いから、それだけ長くボールを握っていられるんです。とにかくあの子は体に恵まれていました。おそらく野球だけでなく、プロゴルファーなどになってもあの子は大成していたと思います。
変化球は一度も教えなかった
――ダルビッシュ投手の武器は速球だけではなく、アメリカでは多彩な変化球を投げる投手として知られています。『ダルビッシュ有の変化球バイブル』という本が出版されているほどですが、変化球も早くから山田会長が教えたのでしょうか?
中学生のころは変化球など投げなくてもいいというのが私の指導方針です。それよりもストレートをストライクゾーンの四隅にしっかり投げ分けられることのほうがずっと大事でしょう。だから、ダルビッシュには「ストレートを四隅に投げ分けることができれば、それ自体が変化球のようなもの」と、一度も変化球を教えませんでした。
それでもあの子は変化球を投げたかったようで、自分で投げ方や握りを研究して7~8種類の変化球を見につけました。今、流行りのツーシームも中学時代にはマスターしていたし、スライダーなどは驚くような鋭い変化をして周囲を驚かせていました。
なにしろ、右バッターがのけぞるようなインコースの球が途中から30センチ近くも曲がり、アウトローにズバンとキマるんですから。中学生レベルではとても打てっこありません。ダルビッシュは7イニング制の少年野球で一試合16個もの三振を奪ったことがありますが、それも当然という感じでした。
――指導者が教えてもいないのに、それだけ多くの変化球を投げられるものですか?
もちろん、研究熱心なダルビッシュの努力もありますが、それ以上にあの子の性格が大きいと思っています。とにかく超のつく負けず嫌い。たとえ練習試合であっても打たれたりすると、悔しくて悔しくて眠れない(笑)。それで次は絶対に負けるもんかと、それはもう必死で練習に打ち込むんです。とてもシャイな性格ですから、練習する姿を他の選手に見られるのが恥ずかしいと、隠れて練習していたこともありました。
あの子は基本的に練習嫌いなんですが、その練習嫌いを上回るほどの負けず嫌いだったので、結果的に練習の虫になってしまうんです。変化球も自分で野球の教本を読むだけでなく、自宅で寝転がって天上に向けてボールを投げ上げ、握りや回転を確認しながら習得していったと聞いています。
取材・文・撮影/集英社オンラインニュース班
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