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ドキュメンタリー『教育と愛国』は南米アルゼンチンでどう受け止められたか? 斉加尚代監督が杉田水脈議員「33万円賠償命令」に思うこと

集英社オンライン / 2023年6月14日 7時1分

昨年5月に公開され、優れたジャーナリズム活動・作品に贈られるJCJ賞の大賞に選ばれたドキュメンタリー『教育と愛国』。同作がアルゼンチンの国際映画祭にて上映された。日本の“教育と政治の実状”に迫った同作はアルゼンチンの人々にどう受け止められたのか。現地に飛んだ斉加尚代監督がレポートする。

アルゼンチンでの上映3回分のチケットが完売

自身の海外上映デビューがアルゼンチンと聞いたとき、昨年のW杯で優勝したメッシ選手たちの凱旋に熱狂する民衆が大通りを埋め尽くす映像が浮かびました。ブエノスアイレスにあるその片側8車線の「7月9日大通り」は、スペイン領だったアルゼンチンが1816年7月9日に独立を果たした日付が名前になって、世界で最も幅の広い道路なのだそうです。



BAFICI (ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭)1回目の上映は4月25日18時。その4時間前に映写のテクニカルチェックで通訳のリナさんと初めて対面しました。熊本出身の日系2世で二児の母。膨大な作品が届く事務局からの連絡不備だったのか、リナさんの元には『教育と愛国』の資料が届いていませんでした。

ぶっつけ本番の通訳に不安そうな表情でしたが、私がいっきに映画の内容や背景を関西弁でしゃべりだすと、負けじと熊本弁でアルゼンチンの学校事情を交えつつ応答してくれます。西日本特有の平板な語尾が心地よく、お互いすぐに打ち解けました。

BAFICI (ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭)は上映される作品数も多く、南アメリカでは大規模な映画祭のひとつ

リナさんは私たちが準備したスペイン語のチラシを読み「論文みたいで硬い感じ」と述べたのですが、映画を見るたびに印象が変わり、最終日には「3回観て、やっと深く理解できました」と言ってくれました。

日本を出発する前、『教育と愛国』の上映チケット3回分が完売したと聞いて「ウソでしょ」と呟いたのですが、開演前にほぼ満席になりました。

初日、映画祭の代表であるハビエル・ポンテ・フォウスが挨拶に立ち「当初は誰もが日本の教科書を扱う地味な作品と思ったが、本編を見た後は普遍的テーマだとわかり、全員一致で国際コンペ部門に推奨した」と経緯説明があって、上映が始まりました。

現地の観客からどっと笑いが起きたシーン

ところが、スクリーン下に表示されるスペイン語字幕が小さく、後方の席から凝視する私には読めません。これで理解できるのだろうか。今度は興奮が不安に変わっていきます。そんな心配が吹き飛んだのは、会場が笑いに包まれた瞬間でした。

保守政治家が推奨する育鵬社の歴史教科書の代表執筆者で東大名誉教授の伊藤隆さんが語る場面。「教科書が目指すものは?」という私の質問に対し、「ちゃんとした日本人を作ることです」「ちゃんとしたとは?」「…左翼ではない」と明言するシーンにどっと笑いが起きたのでした。

スクリーン下に表示されるスペイン語字幕は小さかった

「リアクションが起きるツボは同じなんや、よっしゃー!」、私は感動して、心でこう叫んだと思います。国内上映とほぼ同じ反応が続いて、ラスト、校庭で遊ぶ児童たちのシーンが黒味に変わった途端、大きな拍手が――。この映画を歓迎します、そう観客が表明したと感じる熱量に痺れていました。

この後はトークのはずですが、私に前へ出るよう指示するスタッフもいません。座席のそばで立ちすくんでいると、撮影していたMBS同僚の猶原祥光が駆け寄ってきて「マイクの前へ出てください!」と急かしました。慌てて通訳のリナさんとスクリーンの前に立って簡単な説明を加えた後、会場から「制作にどんな苦労があったのか」など質問を受けたのです。

忘れられないのは終了後、劇場からロビーへ出るまで、次々観客が駆け寄って話しかけてきたことでした。スペイン語は全く理解できませんが、「ありがとう」「応援します」と声をかけられているのがわかりました。

進行の説明も誘導もなく戸惑った最初の局面は、観客の熱に触れ、そんなのどうだっていい!このリアクションこそ宝だ!と感じ入ったのでした。

日本との報じられ方の違い

シアターが小さくなった2回目、3回目の上映はさらに熱気が高まった気がしました。マイクがある所へ私が立つ前から数人が質問の手を挙げているのです。各地に赴いた日本の劇場では、「質問がありますか?」と聞いてもまず最初からは手が挙がりません。

BAFICI通訳のリナさん(左)と斉加監督

ですから、会場が明るくなって瞬時に手を挙げるアルゼンチンのお客さんの姿に対して「え?」「抗議の意味?」と当初は面食らったほどです。

その質問や意見は以下のようなものでした。「自分は歴史を教えているが、この映画を教材にぜひ使わせてほしい」「慰安婦問題について日本政府がこれほど社会に圧力をかけて沈黙させているとは知らなかった」「教育への政治介入は、どの国にも共通する課題だ」などなど。映画を介して意見を述べることを観客たちは楽しんでいるようでした。

劇場の外ではインスタグラマーだという青年が待ち構えていました。スマホで撮影をしつつ「(こんな映画を作って)あなたに脅しとかはなかったのか?」と次々質問を繰り出します。彼は早く紹介したいと言って、その日のうちにテンポよく編集された動画をアップしてくれました。

日本とアルゼンチンで、その差を強く感じたのはメディアです。地元のテラム紙は、本作を以下のように報じました。
https://www.telam.com.ar/notas/202304/626646-cine-bafici-documental-hungria-japon.html

「日本で物議を醸す教育の問題点に着目したドキュメンタリー作品」
映画の冒頭から、観客の目を引くケレンの演出に頼ることなく、ごく身近な教育現場の描写をとおして日本国内で論争を引き起こしている愛国教育の実態に迫っている。

そこで生徒たちが使用している歴史の教科書には、第二次世界大戦下での大日本帝国による戦争加害や他国に対する侵略、人道に対する罪については触れられていない。

このような日本の歴史教育の現状を映像に取り上げることによって斉加監督が目指すのは、愛国教育を押し付ける勢力との対立を深めることではない。学校はただ、ありのままの事実に基づいた歴史教育をするべきであり、若い生徒たちに過去に何が起きたのか伝えないことは間違っている、との一貫した立場を示している。(以下略)

現地発の記事から日本との差を感じたのは、「公正」や「中立」、「自由」に対する捉え方の違いでした。何を憂うべきなのか、社会に対する軸とも言うべき体幹が、日本よりしっかりあると感じたのです。どれだけ外から圧力や扇動があろうと、歴史の変遷を経て鍛えられた社会に対する考えの軸、それが感じられたのです。

日本では上映を拒絶する劇場も

ピッチに立つメッシ選手は抜群の体幹の強さで、対戦する選手らに囲まれ、タックルされても猛然とドリブルを続けて少しもブレません。この祖国の英雄よろしく、いわば思考の体幹が、日本よりしっかりあるのではないかと思えたのです。「教育とナショナリズム」を巡る危険性をくっきり受けとってくれた。むしろ本作を色眼鏡で見たのは、内向きな日本国内だけの考え方やイデオロギー対立だったのではないか、と。

たとえば、本作を「左翼の嘆きのような作品」と評して上映を拒絶した劇場がありました。公開前の2021年秋、その劇場はドキュメンタリー映画の拠点とも称されていたため、当時はひどくショックを受けたものです。また取材を申し入れたある教科書会社の編集者でさえ「政治的文脈におかれる取材はお断りしたい」と明確に「政治的」を理由として協力を拒みました。私が勤める毎日放送でも、映画事業化に消極的だった背景として、「政治」を真正面から扱ってリスクがあると見なされたことも要因であったと思います。

「斉加監督が目指すのは、愛国教育を押し付ける勢力との対立を深めることではない」、こうまではっきりと理解してくれた地元記者の筆力にも敬意を表したくなりました。

真剣な眼差しでスクリーンを見つめるアルゼンチンの観客

南米アルゼンチンで私が上映の夢を実現できたことは、とりわけその地に意味があると感じるようになります。ブエノスアイレスは、ヨーロピアンな建物群の街であるのに、アジア人が街に溶け込んで見えるのが新たな発見でした。

私が通りを歩いていても、見知らぬおばさんが道を尋ねてきます。それぞれの民族ごとに英雄の銅像が建っていますが、排他的ではなく融和しています。日系人が作った日本庭園もあり、共存しているのは列強をルーツにした人たちだけではありません。アルメニアの虐殺から逃れて来た難民たちのコミュニティも存在し、東京の「はとバス」に似た観光バスのルートになり、「ここはアルメニアから移住した人たちの地域です」と音声ガイダンスが流れるのです。

「日本の若者は、本当に三島に心酔したのか?」

映画祭の授賞式は、マラドーナが所属したボカ・ジュニアーズというサッカークラブを擁するボカ地区のアートセンターで開催されました。レッドカーペットはなく、受賞者たちが壇上でスピーチする姿に笑いが起きたり、歓声が湧いたり、格式張らない演出の流れは心地よく満たされる時間でした。

フィナーレは全員が舞台上で記念撮影へ。チーム『教育と愛国』ブラボー!と声を張り上げたくなる感動を味わいました。コンペ部門のグランプリに輝いたのは、ロシアの反戦運動で弾圧される若者たちをドキュメントしたフィンランドの女性監督でした。国際映画祭の醍醐味は、他国の監督たちとの交流だと聞いていましたが、確かにアルゼンチンやウルグアイなど様々な国の監督たちと貴重な対話ができました。

特にデンマーク人のクリスチャン監督との対話は印象深いものでした。脚本家でもあり、今回審査員も務める彼は、三島由紀夫の小説が好きだと言って、「日本の若者は、本当に三島に心酔したのか?」と、ともに自害した森田必勝の話題にまで及びました。究極の選択である三島の自死のかたちに日本の美学やアイデンティティーを探そうとしたのでしょうか。

クリスチャン監督(左)

国家主義に殉じて切腹した三島のような生き方に若者はいまも憧れるのか、つまり「忠君愛国」は現代社会において復活できるのか、と聞かれたように私は感じました。

デンマークの公教育は、ひとりひとりの子どもの個性を尊重しすぎて先生が疲弊しているらしく、彼は「日本の集団主義と足して2で割ったら素晴らしい教育になる」なんてジョークを飛ばします。そして「教育とナショナリズム」はいま非常に重要なテーマだと説き、「ポーランドやハンガリーも政治介入で歴史の改ざんが起きている。危険だ」と憂いていました。

滞在はわずか5日間だったものの、先進国の論理、とりわけ米国一辺倒に陥りがちな日本の在りようを見直す視点になりえると感じました。ドキュメンタリーというフィールドを倒れないよう走る、貴重な体幹を与えられたと自身で思うのでした。

こうして二項対立では溝が深まるばかりで解決しないこの社会において、谷間のようなグラデーションに位置する国の人びとの視点をすくって、共感と行動をもたらす作品が存在すべきだと強く感じたのです。対立を生みだす大国の覇権主義や憎悪を煽動する排外主義を超越する思考の体幹がそこにあるのではないでしょうか。

杉田水脈議員「33万円賠償命令」に思うこと

アルゼンチンから帰国して1か月も経たない5月30日、大阪高裁が自民党の杉田水脈衆議院議員に対し、「控訴人の名誉を棄損する不法行為」があったとして33万円の賠償を命じました。この控訴人とは『教育と愛国』に登場する大阪大学教授(取材時)の牟田和恵さんです。

ジェンダーに関する論文などで慰安婦問題を研究対象にしたため、「反日研究」「反日学者」と杉田氏からSNSで槍玉にあげられて、科学研究費に「不正経理」があるとデマを流されたことに対し、牟田さん側が名誉を傷つけられたと民事訴訟で争っていました。全面敗訴の一審を覆す高裁の判決言い渡しに牟田さんは当初、喜びで涙を流しました。

牟田和恵さん(中央)

ところが、判決文を読んで喜びは後退します。不法行為の認定が「不正経理」と根拠なく発言した部分にとどまり、慰安婦問題の研究をめぐって「ねつ造」「反日」と繰り返した言論は公益目的とみなされる、と記してあったのです。判決文はこうです。

「(杉田氏のジェンダー・男女平等・慰安婦問題に関する)当該価値観は杉田氏を全国民の代表者として選出した一定数の国民により支持されているのであって、その価値観に基づき意見を述べることは、なお公益を図ることを目的とするものと認められる」

政党政治はその時々の多数決ですが、学問は決してそうではありません。歴史を都合よく改ざんする政治家を国民が支持するからと言って、改ざんしてよいとの価値観を是として公益と認めてよいでしょうか。私がインタビューを申し込んだとき杉田氏は「科研費に詳しくないので」と取材を拒否、発言の説明責任さえ果たそうとしませんでした。

公益意見以前に、ただ政権の意に沿わない研究者たちを攻撃していたとしか思えません。学者バッシングを目的とする政治家と真実への探求を第一に考える学者、両者の言論を等価に扱っていると言わざるを得ない判決内容に対し、社会に対する体幹が弱い、と思わず言いたくなったのでした。

歴史から学ぶならば、真の学問は自由が保障されてこそ成り立ちます。日頃から政治にモノを言うことこそ、世界基準のはずなのです。「反日学者」と誹謗を続ける無責任な政治家を放任するこの現状をBAFICIで出会った人びとに伝えたらどう答えるでしょうか。

旅で出会った人びとはきっと声をあげるに違いないと私は思うのです。「権力が自由を奪おうと襲ってくるならば、さらにもっと体幹を鍛えて踏ん張れ!政治介入に毅然と抵抗し続けて!」と。

文/斉加尚代


映画『教育と愛国』公式WEサイト
https://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/

何が記者を殺すのか
大阪発ドキュメンタリーの現場から

著者:斉加 尚代

2022年4月15日発売

1,034円(税込)

新書判/304ページ

ISBN:

978-4-08-721210-5

久米宏氏、推薦!
いま地方発のドキュメンタリー番組が熱い。
中でも、沖縄の基地問題、教科書問題、ネット上でのバッシングなどのテーマに正面から取り組み、維新旋風吹き荒れる大阪の地で孤軍奮闘しているテレビドキュメンタリストの存在が注目を集めている。
本書は、毎日放送の制作番組『なぜペンをとるのか』『沖縄 さまよう木霊』『教育と愛国』『バッシング』などの問題作の取材舞台裏を明かし、ヘイトやデマが飛び交う日本社会に警鐘を鳴らしつつ、深刻な危機に陥っている報道の在り方を問う。
企画編集協力はノンフィクションライターの木村元彦。

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