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沖縄移住20年の夫婦が語る小さな島での暮らし。「働き方の変化で移住はしやすくなったが、“地域に入れてもらっている”感覚を忘れずにいたい」

集英社オンライン / 2023年6月29日 17時1分

20年前にオーストラリアで出会い、30代と20代という若さの勢いで、準備も構想もなく、それぞれの出身地から沖縄の那覇に移り住んだジュンコとマコト。10年前には沖縄本島と海中道路で繋がる浜比嘉島に移り、貝のジュエリー制作と販売を生業にして暮らす、夫婦の物語をお届けする。

無謀な移住に、親は心配し過ぎて寝込んでしまった

二人がオーストラリアで出会ったのは2002年。ジュンコはイベント制作・運営の会社を退職し、観光ビザで。マコトはワーキングホリデー制度を使い、ダイビングのインストラクターライセンスを取得しに。
旅の途中で出会い、共に生きていこうと約束したものの、互いの期限がきて帰郷すれば、東京と北海道と離れ離れに。



それなら二人とも知らない場所で新しい生活を始めようと、沖縄・那覇へ一緒に移り住むことを決断したのがちょうど今から20年前になる。当時あまりに無謀な計画を聞かされたジュンコの親は、心配し過ぎて寝込んでしまったという。

那覇に入ってすぐ、マコトがダイビングインストラクターの職に就けたので、通勤に便利な首里に一軒家を借りて住み始めた二人。

気候のよい日には自宅庭のテーブルで食事やお茶を楽しむ

ジュンコは東京で勤めていたイベント制作の会社から、フリーランスの立場で仕事を受注しリモートで制作、イベントがある時に現場と沖縄を行き来したり、地元企業でフリーランスとして勤めたりする生活を、それから10年程続けることになる。

2005年、正式に結婚するに当たり、マコトは経済的に生活が成り立つよう、インストラクターを辞めて会社の営業マンに転職。そして2007年、長女が誕生した。

しかし、収入のためだけに、元々希望していたわけでもない会社員を続ける生活に、マコトは疑問を感じるようになる。

せっかく沖縄に来たけれど、これでは東京や他の大都市にいるのと変わらない。自分は何のために生きているのだろう。人間って何なのだろう……。行き詰まりを感じ、生き方を模索する日々が続くようになった。

島に引っ越して4年間、戸惑うことが多かった…

模索の日々の中、マコトの目にとまったのが、たまたま家にあった大きな夜光貝だった。その貝が、磨くとピカピカに光ることを知っていたマコトは、ホームセンターで買ってきた工具でくり抜いたり、穴を開けたり、磨いたりと試行錯誤するうち、貝の中から出てくる表情に魅了されていったという。

「削ると、中から貝が生きてきた年輪や、自然が作り出した色、模様が出てくる。それが深い深い表情をしている、と彼が言いまして。何か感じとったものがあったようです」(ジュンコ・以下同)

貝からインスピレーションを受け取ったマコトは、会社員を辞め「貝で生きていく」ことを決意する。貝を加工し、ジュエリーなどの作品として制作、販売するのを生業にしようと。
沖縄の海で育った貝の作品作りをするのだから、もっと海辺の、工房にできる建物付きの家を探したところ、一軒目で出会ったのが、現在の浜比嘉島の家だった。

浜比嘉島の美しい海と空

かくして一家は2014年、人口200名程のその古い小さな集落に引っ越し、庭の物置を工房とギャラリーに改装して「かいのわ」を始める。

「那覇も自然豊かでしたが、暮らし方は比較的都市でのそれに近いものでした。でも、26年前まで本島との橋が架かっていなかった浜比嘉には古くから続く伝統的な行事や神事、生活が残っていました。それらの意味を丁寧に聞き教えてもらい、この島の歴史を学んでいくことは、とても興味深いものでした」

しかし当然ながら迷い、悩みもあった。

「島に引っ越した当初は、住民の皆さんとの関係をどう紡いでいけばいいのかわからず、戸惑うこともありました。浜比嘉大橋が架かり、利便性や安全性が大きく向上する反面、人が流出し、伝統が薄れていく。島から消えゆく伝統行事や生活習慣について、どう受け止めるべきかずいぶん悩みました」

流出入はあるが、県内各地には様々なジャンルで活躍する移住者も

そんな中、一家は地域の行事に少しずつ参加をし始める。

「夫は区長さんに誘われ、公民館でおじちゃんたちに三線、民謡を習い、娘と私は、島出身の重要無形文化財保持者の琉球舞踊家の先生から舞踊を習い始めました。娘が早く島の同級生と仲良くなれるよう、そして親の我々も島の皆さんとの距離を縮められるよう、公民館での週2回の練習に欠かさず6年間通いました。

年々後継者が少なくなり、移住者の我々も神事や豊年祭などの伝統行事に、ジカタ(地謡)と踊り手としての活動を頼まれるようになりました」

琉球舞踊の会「全島浜千鳥フェスタ」にジュンコ(左端)も集落の皆さんと参加

これらの交流で、住民とのつながりが年々深くなり、もうすぐ10年に。

地域に少しずつ馴染んでいった2019年春。当初自宅内の工房と一緒だった、作品を販売するギャラリーを、徒歩数分の海の前に移転する。

長女も中学生時代にダイビングライセンスを取得。一緒にダイビングや釣りに出かけたり、夕焼けを見ながら食事をしたり。大人になって島を出て行く日も遠くない長女と親子3人の島暮らしを、存分に楽しんでいる。

20年という歳月をこの地で歩んできた中で、いろいろなことを見て、感じてきたジュンコとマコト。知らない地域に入っていくことは大変な努力が必要だし、今でも「入れました!」とは言い切れない、と言う。

「海のギャラリー かいのわ」の工房で作品作りに没頭するマコト

ギャラリーと併設のカフェを運営する二人の元へは、移住の情報を求める人がたくさん訪ねて来る。

20年前と今とでは、沖縄への移住のあり方が変化したと思うか、聞いてみた。

「働き方の変化で、移住がしやすくなってきたと感じます。移住者が格段に増えたので、地元の方々も慣れてきたというか、距離は縮まってきたのではないでしょうか。移住される方は看護師、薬剤師、介護士など資格保持者が多く、フリーランスやリタイヤされた方、経営者の方々は二拠点生活をされている方が多いようです。

入ってくる人も多い反面、それぞれの事情で沖縄から出ていく人も多いですが、県内各地には様々なジャンルで活躍する移住者もたくさんいます」

目の前の大自然に救われます

移住してよかったかどうか、その理由も尋ねてみる。

「私は沖縄、特に今の浜比嘉島にご縁をいただき、住めて幸せです。やむを得ない事情がない限り、東京に戻って暮らすことはないと思います。東京では土を踏むという機会が本当に少ない。ここでは、たとえ仕事で疲れても、目の前の大自然に救われます。東京は人と情報が多過ぎて、常に人と比べるなどし、自分の価値観や存在意義が揺らぐことがあります。でもそこから離れた沖縄の暮らしには穏やかな時間が流れ、自分が一つの生物として有難く生かされていると感じることができます。

島のおじいちゃんやおばあちゃんから聞く、かつて島にあった風習や自然とともに歩んできた人々の暮らし。太古から続く大きな時間の流れを感じながら、夫も私も、ここでの暮らしそのものが我々の生き方であり、日々静かな幸せを紡いでいるのだと気づかされています」

真栄田岬周辺でダイビングを楽しむ一家と友達

今、あるいは将来移住を考えている人に向けてのアドバイスをもらった。

「いざ移住してみると、生活習慣や考え方等、想像とは違う点も多いと思います。違いを自分の価値観でジャッジしない。習慣や考え方には理由があります。そこに考えを巡らせて欲しい。都会とは違って当たり前。来てくださいと言われた訳ではないです。こちらが地域に入れてもらっているんです。
移住するならその地域の歴史、苦労や問題点、人々の生活観などを知って、相手を重んじることが大事だと思います。

私たちはこれからも、元々住んでいた皆さんと共に、穏やかな島の原風景ができるだけ壊されないよう、敬意をもって生活させてもらいたいと願っています」

ギャラリー併設の「空とコーヒー うきぐも」の開放的な店内からは、広い空と青い海が見渡せる

取材・文/中島早苗 写真提供/「海のギャラリー かいのわ」沖縄県うるま市勝連浜243-1 ℡ 098-977-7860 https://kainowa.com

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