“野獣列車”でアメリカを目指す移民と、線路脇から走行中の列車に食糧を投げ入れる支援者たち。その一秒に満たない「一瞬だけの出会い」
集英社オンライン / 2023年6月19日 17時1分
中南米で10年以上活動を続けてきた撮影コーディネーター・嘉山正太氏。アメリカを目指す移民を乗せた貨物車、通称「野獣列車」とついに念願の対面を果たすのだが、そこで見た衝撃の光景とは? 同氏初の書籍『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー』(発行:集英社インターナショナル、発売:集英社)から、一部抜粋・再構成してお届けする。
ついに現れた野獣列車
談笑をしていたぼくらに、一瞬にして緊張感が走る。「ピー」という汽笛の音が、うっすらと聞こえる。一気に真剣な表情になって、ノルマさんたちは立ち上がる。「バモバモバモバモ!」スペイン語で、行くよ行くよ、という掛け声である。
「水を全部、手押し車に乗せて、ほら食事、これを持って。ああ、そっちの袋詰め終わってない方はいいから。行くよ、行くよ!」
ぼくは、慌ててバッグからカメラを取り出す。片手には、袋詰めの食料を持って。パトロナスの家を出て、空き地を通って線路へと向かう。距離は100メートルもない。敷地のすぐ隣が線路なのだ。線路は単線。おばちゃんたちもぼくらも、一心不乱に線路に向かって走る。全員、サンダル履きだ。サンダルがペタペタと鳴る。
列車が……見えた! うっすらと遠くの方に、列車の先頭車両が見える。段々と近づいてくるのがわかる。木々が生い茂るなか、列車は走る。ノルマさんが叫ぶ。
「みんな広がって! 準備して」
おばちゃんたちは、20メートル間隔ぐらいで線路脇に立つ。さっきまで台所にいたぼくらは、エプロンをしたままだ。列車がぼくらの姿を認めたのか、大きな汽笛をあげる。
ボォオオオオオオオオオオ!
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ついに現れた野獣列車 撮影/嘉山正太
ものすごい轟音だ。まるで巨大な動物が叫び声を上げているかのような。野獣列車のけたたましい雄叫びが響き渡る。
「来るよ! 気をつけて!」
列車はぼくらを飲み込みそうな勢いで迫ってきた。頰に風圧を感じる。レールの軋む音。巨体の野獣がまた咆哮をあげる。
ボォオオオオオオオオオオ!
ガゴンガゴンガゴンガゴンガゴンガゴン!
列車が横を通り過ぎていく。移民は? いるのか?
一瞬の出会い
ノルマさんの隣に立ったぼくは、彼女の横顔を見つめる。彼女は、集中して列車を見ている。とても長い車両が、ぼくらの横を通過していく。貨物列車が荷物を北へと運んでいる。移民は、いない。列車には、乗っていないように見えた。ぼくは、またノルマさんの表情を見つめる。
その瞬間、彼女の手が動いた。車両と車両の間に、人が乗っている。こちらに大きく手を伸ばしている。彼女は、しっかりと縛られた食料を空中に投げた。回転しながら空中を舞う食料。それを、移民の人の手が摑んだ。
「グラシアス(ありがとう)! グラシアス、マミ! グラシアス!」そう叫ぶ彼らは、一瞬で過過ぎ去っていく。一秒に満たない出会い。一瞬だけの出会い。ぼくは思わず彼らの向かう先を見つめる。フリアおばちゃんが、ペットボトルを移民に向かって投げている。そんなに列車に近づいたら、危ない!
見ているこちらがヒヤヒヤする距離感だ。移民の人は、受け取り損ない、ペットボ
トルが地面に転げ落ちた。次のポイントで待っていた、他の人がまたペットボトルを投げる。今度はナイスキャッチ! また移民は、叫ぶ!
「グラシアス! グラシアス!」
ボォオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!
列車も叫ぶ。もう行くぞ、と。耳をつんざくような音だ。なぜか……涙が出そうになる。そして、線路脇にはぼくらだけが残された。
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撮影/嘉山正太
一瞬の出来事だった。列車は去り、また鶏の鳴く声が響く。のどかな農村の音が戻って
きた。ノルマさんは、その場を動かない。去った列車を、しばらくずっと眺めていた。ぼ
くらも眺めた。
そのときの気持ちは、いまもうまく言い表すことができない。ただ去りゆく列車をずっと眺めていた。なにかが心のヒダに残った。寂しさと暖かさが、残った。
危険極まりない、移民の旅路
「いつもは電話がかかってくるんだけどね」
笑いながらノルマさんは言った。
「電話っていうのは?」
「列車がパトロナスのところを通る手前に、ティエラブランカっていうところがあって、そこを列車が通ったら、そこの人たちが教えてくれるんだよ。まあ、いつもじゃないけど」
列車の通過後、ぼくらはまた彼女たちに混じって話し込んでいた。取材でもない、他愛もない話だった。ぼくの妻の母方の実家もベラクルス州だったので、地元の話で盛り上がったりしていた。
「ところで、さっきここにあったケーキ、どこに行ったの?」
山のように積まれていたケーキがいつの間にかなくなっていた。
「ああ、さっき渡したからね」
「え? さっき放り投げて渡したのってケーキだったの?」
「そうよ。ケーキ、まるごと食べられるなんて、そうそうあることじゃないからね」
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撮影/嘉山正太
移民の人たちも、さぞ驚いたことだろう。列車に乗っている。もう何日も乗り続けている。水も減って、まともな食事も食べていない。そこで有名なパトロナスの側を通りかかる。そこには、メキシコの心温かい主婦の人たちがいて、なんと食事を手渡してくれる。
列車は停まらず、ただ通過していく。一瞬の出会い。袋を受け取る。なぜか、ズシンと重い。なんだろうと思う。そして、列車が少し速度を落としたところで、先ほどの袋を開けてみる。すると、中身はまんまるのケーキ! なんか不思議な気分である。そのとき、電話が鳴った。
「あ、もしもし? え、そっち出たのかい? もう夜になるのにね……」と言ってノルマさんは電話を切った。さっき言っていた電話だ。協力してくれている人から、電話がかかってきたのだ。
「あと1時間ぐらいしたら、来るってさ」
そして、ぼくらは待った。ちょうど日も暮れようとしていた。しかし、それから2時間、列車が来る気配はなかった。どうしたのだろうか。
「うーん、最近は、列車の移民が襲われることも多いからね」
「襲われる? 誰に?」
「ギャングだよ。こっちに来てもなにも持ってないだろ。そのまま誘拐されたりさ」
なんとも言えない気分になる。たしかに、メキシコは2006年12月発足のフェリペ・カルデロン政権以降、麻薬組織に政府が強硬に対応するようになり、戦闘が激化し、治安が悪化していた。
ベラクルス州には港があるため、麻薬の積み卸しが行われる。つまり、麻薬組織が多くはびこっている。やっぱり危ないんだろうか……。そして、また電話が鳴る。
再度、野獣のもとへ
「え? 途中で止まった? わかった、そっちに向かうから」そう言って電話を切ったノルマさんは、主婦の人たちを集めて告げた。
「なにかあって、列車が止まったらしい。でも、移民の人たちはかなり乗ってたみたいだから、これからそこまで行って食料を届けるよ」
これから、「なにか」があって止まった列車のところに行くらしい。ぼくらは彼女たちのトラックに乗り込み、その列車の止まった地点へと向かった。トラックがパトロナスの村を駆け抜ける。
荷台にはぼくらと、食料と、靴などの支援物資など。緊張が走る。もしそこであった「なにか」が、危険なものだったらどうしよう。
「なにか、ってなんだろう?」
「まあ、いいことじゃないだろうね」笑いながらノルマさんは続ける。
「そんな暗い顔してちゃ駄目だよ。待ってる人がいるんだから」
強いな、と思った。言葉のひとつひとつに、長年困っている人たちを支えてきた彼女の矜恃を感じる。そして、ぼくらを乗せたトラックは、列車が止まっている場所へと到着した。辺りは薄暗くなりはじめている。だが、停止した列車の側に、人影はない。どうして止まったのか? なにがあったのか? 人々はどこにいったのか? そんなことを考えていると、突然、列車の影に人影が見えた。こちらの様子を窺っている人々がいる。そこでノルマさんが叫ぶ。
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写真はイメージです
「食べ物、持ってきたよ!」
すると、一斉に物陰から、たくさんの移民の人たちが現れた。こんな人数がどこにいたんだ、というくらい、突然現れた。彼らはものすごい勢いでぼくらの乗るトラックに駆け寄ってくる。
「大丈夫、みんなの分あるから。押さないで」
あっという間にトラックは移民の人たちに囲まれた。
文/嘉山正太 写真/shutterstock
今回のエピソードを基に嘉山正太が脚本を執筆した、衝撃のオーディオドラマ『移民と野獣』(制作:SPINEAR)が、現在各種サービスで配信中です。ぜひご聴取ください。
https://www.spinear.com/shows/iminto-yaju/
マジカル・ラテンアメリカ・ツアー
妖精とワニと、移民にギャング
嘉山 正太
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/06/16092116030994/0/%EF%BC%95.jpg)
2022年9月26日発売
2,090円(税込)
四六判/276ページ
978-4-7976-7417-0
移民問題の取材のためメキシコのベラクルスを訪れた、ネットメディア『ライトハウスポスト』記者・蛇ノ目悟(演:新祐樹)。移民支援施設で知り合った元ギャングの男・カルロス(演:江頭宏哉)の壮絶な過去を知った蛇ノ目は、謎に包まれたメキシコの真実を報道すべく、移民たちと共に「野獣列車」に乗り込む。アメリカを目指す危険な旅路の果てに、彼らを待ち受けている運命とは……。
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