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ガーシー本、原発本…朝日新聞が社員・元社員の書籍出版を認めず。新聞社の強まる言論規制に元朝日記者が危機感「管理職がジャーナリズムを捨てようとしている」

集英社オンライン / 2023年6月22日 8時1分

新聞記者の「言論の自由」が脅かされている。新聞社の“自主規制”が強まり、朝日新聞では記者が休日返上で取材した本の出版を認めないケースも。いったいなにが起こっているのか。元朝日新聞記者の藤井満氏が自らの実体験も交えて、「ジャーナリズムの危機」を指摘する。

記者の書籍出版を認めず…狭められる言論の自由

「言論機関の言論の自由を考える」という新聞労連主催のシンポジウムが6月3日に開かれた。その内容を報じた記事(『日刊ゲンダイDIGITAL』)を見てびっくりした。

朝日新聞の記事審査室に所属する青木美希記者(記事では匿名)が、休日に自腹で取材して『なぜ日本は原発をやめられないのか』という本を大手出版社から出そうとしたら、会社が認めなかったのだ。



青木さんのSNSによると、会社は彼女の原稿を「職務」と位置づけ「仕事の量とバランスを考慮して認められない」と述べたという。出版社の担当者が事情を説明しようとしたら、「辞退させていただきたい」と朝日新聞側は逃げたそうだ。

新聞記事を書籍化する際、著作権をめぐるいざこざは私も朝日新聞の記者時代に経験してきたが、休日に個人的に取材した記事の発表を阻止される例は、私の周囲では聞いたことがなかった。

画像/Shutterstock

たしかに、記者個人の言論の自由の幅は、1980年代以降少しずつ狭められてきていた。

1980年代まで、新聞記者は社外メディアで比較的自由に書いていた。新聞連載を本にしたら、著作権は記者個人のものとなった。朝日のスター記者だった本多勝一さんの『中国の旅』『戦場の村』は「©本多勝一」であり、共同通信の辺見庸さんが1993~94年に連載した『もの食う人びと』も「©Yo Hemmi」だ。

朝日新聞では1990年代、「他社から出版する際は、朝日新聞出版で出版の意思がないことを確認する」というルールがつくられた。おそらくこの前後から新聞連載を出版する際の著作権は朝日新聞社に帰属することになった。

著作権を会社にとられると、会社の許可なしに本を改訂できない。だから私は、出版を申請する際は「休みを利用して取材・執筆した部分」が新聞連載の量を上まわるから「新たな著作」だと主張してきた。私は在職中、記者としての取材にもとづく本を4冊出版したが、連載をほぼそのまま載せた2冊の著作権は会社にとられた。

ただこれらの締めつけは、記者の言論を封じるというより、「会社の取材費を使ったのだから利益は会社に還元しろ」という意味が強かった。

休日に取材・執筆した原稿を外部メディアで発表することは、上司に嫌みは言われても禁じられることはなかった。

他社にくらべて「自由」だった朝日新聞だが…

朝日新聞は2006年策定の「記者行動基準」で「社外メディアへの発表は、事前に上司の承認を得る」と定めたが、「個人の資格で行う社外での活動は原則自由である」としている。原則はあくまで「自由」なのだ。

当時の朝日新聞は、同業他社にくらべると言論の自由のたてまえは大切にされていたと思う。

私自身、2005年に匿名ブログで慰安婦問題などをとりあげたら炎上し、当時所属していた松山総局を「襲撃する」という脅しも届いた。「記者ブログ」炎上のはしりだった。

そのとき、本社の幹部は私が書いた内容よりも、「何時何分に書いたか」を執拗に尋ねてきた。「勤務時間中にブログ」という理由で処分したかったのだ。だがブログを書くのは夜中だから「厳重注意」しかできなかった。当時はまだ「表現」自体を抑圧するのはまずいという「たてまえ」が生きていた。

その後、「表現」そのものを制限する動きがメディア全体で強まる。新聞労連は2016年4月、「外部媒体への執筆や講演などの社外言論活動を抑制する規定を新設したり、規制を強めたりする新聞・通信社が増え始めている」と指摘し、「社外言論活動の規制強化に反対する」声明を発表した。

画像/Shutterstock

では新聞でボツになった原稿は他メディアに載せられるのだろうか。

私は20年ほど前、「民俗と憲法」というテーマで10人ほどに取材し、連載原稿をデスクに提出したが、「古い話ばかりでニュースがない」とボツにされた。今から思えば原稿が稚拙だった面もあるのだが、当時は怒り心頭に発した。

尊敬している他社の記者に「あきらめるしかないのでしょうか?」と相談した。

「君は会社員なのかジャーナリストなのか、どっちや?」

「できれば、ジャーナリストでありたいです」

「取材して書くのは会社のためではない。取材対象や現場の人の思いを伝えるためやろ? 取材したことを書くのは彼らに対する君の責任や」

正論に力づけられて、ミニコミ誌に掲載してもらった。たいした反響がなかったせいか、おとがめはなかった。

「ガーシー本」出版問題に見るジャーナリズムの危機

ボツ原稿を出版して最近話題になったのが、朝日新聞ドバイ支局長だった伊藤喜之さんだ。

伊藤さんは2022年、前参議院議員でドバイに滞在していた「ガーシー」こと東谷義和容疑者を取材して原稿をデスクに提出したが、「東谷氏の一方的な言い分はのせられない」と掲載を拒否された。

伊藤さんは退職して今年3月、『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』を講談社から出版した。

それに対して、朝日新聞は、伊藤さんと講談社への抗議文を公式サイトで公開した。

「退職者が在職時に職務として執筆した記事などの著作物は、就業規則により、新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず、本社に著作権が帰属する職務著作物となり、無断利用は認めていません。(中略)就業規則により、本社従業員は業務上知り得た秘密を、在職中はもとより、退職後といえども正当な理由なく他に漏らしてはならないと定められています」と主張した。

ガーシーという元政治家の考え方を伝えるのは公益性がある。それを朝日新聞がボツにしたのだから、ほかの媒体で報道するのは「正当な理由」であり、大切な問題を報道するのはジャーナリストの責任でもあるはずだ。

朝日新聞では最近、管理職が気に入らない社員に対して「業務外でも執筆・講演は認めない」と制限する例が出てきている。朝日新聞の官僚たちは「ジャーナリズム」や憲法21条(表現の自由)のたてまえをもかなぐり捨てようとしているようだ。

青木美希記者には社内の処分をおそれず、『なぜ日本は原発をやめられないのか』を出版してほしい。

同様にほかの多くの記者が、事なかれ主義の幹部を気にせず自由な記事を書き、ボツにされたら外部で発表し、処分されつづけることで、ジャーナリズムの危機を可視化してほしいと思う。

「言論の自由」を保障する日本国憲法に甘えてはいけない。「自由な言論」を実践しつづける努力こそが言論の自由を守るのだと肝に銘じたい。

文/藤井 満
企画/一ノ瀬 伸

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