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現存する日本最古のバッティングセンターが58年の歴史に幕。「子どものころは友だちと、今は息子と来ています」2000本以上ホームランを打った客も〈大塚バッティングセンター〉

集英社オンライン / 2023年6月18日 18時41分

昭和40(1965)年に創業した、現存施設では日本最古といわれるバッティングセンター「大塚バッティングセンター」が6月30日に閉店する。長年、野球ファンや地域の人から愛された大塚のランドマーク。その最後の営業を前に訪れた人々が思い出を語る。

資材置き場を有効活用するためにオープン

「お店のTwitterに『閉店のお知らせ』を掲載したところ、思った以上に反響があって驚いています。
ここ数日は『SNSを見て記念に来ました』という方も増えましたし、元従業員の方からも『老舗のバッティングセンターで働けたことは一生忘れません。お疲れさまでした』と労いのLINEをいただきました。それだけみなさんに愛されるバッティングセンターだったんだなと、しみじみ実感しております」


駅前からのぞむ大塚バッティングセンター

東京・JR大塚駅の南口を出るとすぐに左手に見える、レトロな看板が目印の大塚バッティングセンター。そこで35年もの間、働いてきたベテラン女性スタッフは感慨深げにそう語る。

この女性スタッフが働き始めるよりはるか昔に始まった大塚バッティングセンターの歴史は、今月末で58年の幕を閉じる。

大塚バッティングセンターを経営する大久保商事は、もともと建築関係の解体業がメインの会社だった。資材置き場として使われていたスペースを有効活用できないかと考えて、昭和40年にバッティングセンターをオープン。その後、1階にパチンコ店、2階にゲームセンターも併設された複合型レジャー施設として営業を続けてきた。

「私の入社当時は1ゲーム一律300円でしたが、『お子さんからそんなにお金を取っちゃマズいんじゃないか』と社長が言うので、小学生以下は1ゲーム200円で営業してきました。
あと、保護者の方が退屈しないようにお母さんは1ゲーム無料にしたり、雑誌の蔵書を増やしたり、無料券がもらえるスタンプラリーなども実施してきました。
最近だと、女性がパンプスでも来れるように女性用スニーカーの貸出サービスも始めていて、それからひとりで来る女性客も増えましたね」(前出、女性スタッフ)

通算2000本塁打を打った猛者も

利用客に楽しんでもらいたい、バッティングのおもしろさを知ってもらいたい。そんな心意気を感じる企画、サービスの数々が長きにわたり愛されてきた理由のひとつなのだろう。
その歴史の長さを証明するのが、壁に立てかけられたメモリアルボードだ。

お客さんの通算ホームラン数が刻印されたメモリアルボード

「100回以上ホームランを打たれたお客さまには、ボードに名前を刻印しているんです。なかには2000本を達成された方がふたりもいます。巨人の王(貞治)さんだって868本なのに(笑)」(同)

近年では、音楽誌「ROCKIN'ON JAPAN」(2017年11月号)で米津玄師の撮影場所として使われたり、「乃木坂どこへ」(2020年5月12日放送)のロケ地となったりと、メディアの露出も増えていた。今年3月に行なわれたWBCの影響もあって、土日には満員になることも珍しくなかったが、後継者不足などにより営業を続けることができなくなってしまった。それでもスタッフの女性は「ここで働けて本当によかった」と振り返る。

閉店の告知

「大変なこともありましたが、やっぱり子供たちの笑顔には癒されました。
『ねぇねぇ、今日はホームラン打てたよ!』とか『いまは○○っていう野球チームに入ってて~』と、うれしそうに話しかけてくれるんです。
初めてバッティングセンターに来たお子さんなんて、ホームベース上に立ってしまったり、バットを逆さに持ってしまったり。それを保護者がツッコんでいるほほえましい光景を見ると『この仕事しててよかったなぁ』と思いますね」

「新しいバッティングセンターよりここがしっくりくる」

記者が取材に訪れたこの日も、店内は多くの利用客で賑わっていた。
バッティングブースから出てきた人たちに声をかけると、それぞれの思い出を語ってくれた。

「僕は近くの会社に長く勤めているんですけど、デスクワークがメインなんでお昼休みに急いで昼飯を食べて、ここでバットを思いきり振るだけでリフレッシュできるんですよ。
ここに来るのが仕事のモチベーションだったので、すごく残念です」(50代男性)

メダル入れがなかったころ。マイクで打撃ブースを案内している

「今日は息子と一緒に来ました。私も小中校は野球一筋だったので、当時住んでいた王子から仲のいい友達7、8人と都電荒川線に乗ってよく遊びに来てましたよ。
当時はまだメダル入れがなくて、フロントの人に『お願いしまーす!』と声をかけると『じゃあ3番ブースね~』と案内してくれました。
そんな自分が今は息子を連れてきてるなんてとても感慨深いし、感謝の気持ちでいっぱいです」(40代男性)

大阪から転勤してきて以来、20年近く通っていたというサラリーマン男性

「都内に転勤してきてから20年近く通ってました。
ピッチングマシンには、プロ野球選手が映しだされる電光掲示板越しに空気を圧縮してボールを放つ最新の“エアー式”と、投手の腕の振り同様にアームで球を投げる “アーム式”などがあります。
ここより設備がいい新しいバッティングセンターはたくさんあるけど、僕はやっぱり昔ながらのアーム式がしっくりくるので、ここが好きでした。
58年間毎日ボールを投げ続けたマシンに『お疲れさま』って言ってあげたいです」(50代男性)

閉店のニュースを聞いて初めて訪れた女子大生ふたり組も

大塚バッティングセンターへの思い入れがあるのは男性だけではない。

「閉店するというニュースを見て久しぶりに家族で来ました。私は生まれも育ちもこのあたりで、小さいころは野球をやっていた兄に無理やり連れてこられてました。私は打たないので渡されたお小遣いはクレーンゲームに使ってましたね。
結婚、出産を経て母親になったら、今度は野球を始めた息子に連れてこられることに(笑)。
やっぱり今もゲームセンターで時間をつぶしていて『小学生のころと変わってないな』と思いましたけど、それと同時にいろんな思い出がよみがえってきました」(40代女性)

家族で来たという40代女性。付き合わされて来ることばかりだったが、多くの思い出が残っていると語る

閉店のニュースをテレビで見て、今日初めて来店したという女子大生ふたり組も。

「今、昭和レトロにハマっていて、大学の空きコマによく純喫茶や洋館に行ったりするんです。それでここが閉店すると聞いて友達を誘ってきました。このレトロな雰囲気がたまりません(笑)」(20代女性)

初めて訪れたという女子大生ふたり組

最後に声をかけたのは地元の少年野球チームで半世紀も監督を務めていたという80代男性だ。

「50年間で200~300人近くの子どもたちを指導してきたし、このバッティングセンターにもよく連れてきてましたね。
この前、元教え子に『飲みに行きましょう!』なんて誘われて。昔はあんなチビッ子だったのにみんないいパパになってるんです。
今日、久しぶりにここに来たら、昔のことをいろいろ思い出してしまいました。僕にとってはすごく大切な場所なだけに、閉店は残念ですね」

多くの人の思い出に深く刻まれる大塚バッティングセンター。残された時間まで、痛快な打撃音が響きわたる――。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班


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