四代目市川猿之助を取り巻く巷のさまざまな記事には、澤瀉屋(おもだかや=歌舞伎における市川猿之助の家の屋号)の梨園(=歌舞伎界)における立ち位置への見当違いな理解に基づいた記事が多い。
これじゃあ渦中の四代目猿之助も「オレの家ってこんなにも理解されていないのか」と思うに違いない。
まずは歌舞伎の歴史に詳しくない人のための基礎知識からお届けする。
江戸時代には江戸歌舞伎と上方歌舞伎のふたつの流れがあり、江戸は派手で勇壮な“荒事”、上方は男女の情愛や心中などを描いた“和事”が発達した。
荒事のスタイルを完成させたのが市川團十郎家(市川宗家=成田屋)で、戦後に上方歌舞伎が衰退し、関西の歌舞伎俳優たちが一座を組むことがなくなったこともあり、市川宗家こそが梨園全体における総本山的立場になった。