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初代『ドラクエ』『ファイナルファンタジー』がゲーム界にもたらした「2つの大革命」〜「誰でもエンディングを見ることができる」国産RPG大ブームの裏側

集英社オンライン / 2023年7月6日 12時1分

今日のゲーム界に大きな影響を与えた『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』。この2作品は具体的にどのような点が「革命的」であったのか。「国民的ゲーム」のすごさを、『国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?』(イースト・プレス)から一部抜粋・再構成してお届けする。(トップ画:Shutterstock.com / Lewis Tse)

ゲームクリアとエンディング

エニックスの周到な戦略で初代『ドラクエ』が大ヒットし、さらに初代『FF』などのフォロワー作品が続いてリリースされたことによって、ファミコン中心の「RPGブーム」が発生していきます。これは前回でも紹介した流れですが、では、なぜ国内においてRPGというジャンルがこんなにも受け入れられたのか? あらためて考えてみましょう。



僕は、そのもっとも大きな要因は「誰でもエンディングに到達できる」というRPGのとてもシンプルな特性に由来していると考えます。

RPGブーム以前、ファミコンで人気があったジャンルの中心はシューティングゲームやアクションゲームでした。これらのジャンルは、プレイヤー個人の技量における得意・不得意の差が大きいうえに、そもそもの難度が非常に高く設定してありました。

というのも、当時のシューティングゲームやアクションゲームは、多くの作品がゲームセンターのアーケードゲームに由来していたからです。

アーケードゲームの売り上げは1プレイごとに投入される硬貨の蓄積ですから、お客さんの回転率が収益性に直結します。そのため、その開発ではだいたい3分間ぐらいを目安に、意図的にプレイヤーを「殺す」のが一般的なゲームバランスでした。もちろん腕に覚えのあるプレイヤーはその難所を乗り越えて、もっと長い時間ゲームを楽しめるのですが、「一見さんは3分で殺す」のが定石だったのです。もっと具体的にいえば、ステージクリア制のアクション/シューティングゲームで「1ステージ目はだいたい誰でもクリアできて、2ステージ目の中盤からボスぐらいでゲームオーバーになる」ぐらいのバランスです。

そういったゲームでは、「1本のゲームを最後までクリアしてエンディングを見る」という行為は選ばれしエリートプレイヤーの特権であって、標準的なプレイヤーにはなかなか手の届かないものでした。

「ゲームのウデ」関係なく遊べるRPG

ところがRPGは、地道にザコ敵との戦闘を重ね、プレイヤーキャラクターのレベルを上げていきさえすれば、誰でも「いつかは」クリア可能です。その枠組みのなかで、ゲームに慣れているプレイヤーは積極的に攻略を進め、キャラクター育成の不足を戦略的な工夫で乗り越えていくことも可能ですし、逆にじっくり進めたいプレイヤーは経験値をじっくり稼ぎ、レベルを充分に上げたうえで、育成に時間を費やした分、敵との戦闘には苦労せずにゲームを進めることもできます。

その意味で、RPGとは「様々なプレイスタイルに対応し、誰でもちょうどいい難易度になるよう自動調整の仕組みが備わったゲーム」だということもできるでしょう。

実はこの仕組みこそがRPGのもっとも画期的だった点で、コンピューターゲームを「選ばれしエリートプレイヤーのための遊び」から「誰でも楽しめるユニバーサルな遊び」に転換したのです。

ドラクエやFFが国民的ゲームになっていった要因としても、この「ユニバーサルデザイン」は必要な要素だったと思われます。

個人的な体験をふりかえってみても、僕のように自宅にファミコンを持っていなかった子供はたいてい、友だちの家でアクション/シューティングゲームを「ゲームオーバーになったら交代」というルールで代わりばんこに遊ばせてもらっていました。

これは一見すると公平で民主的な仕組みですが、実際は上手な子ほど長時間遊べることでさらに上手になっていき、もともと下手な子は一瞬でゲームオーバーになるので経験も積めずさらに遅れをとっていく……という逆累進性をはらんでいました。実際これによってゲームに苦手意識をもった子供も多く、また、当時の大人たちは子供以上に多くの人が「自分にはゲームは無理」と感じていました。もちろん世代間のギャップやゲームという新興文化への馴染みの薄さもあったでしょうが、実際に、当時のゲームはそれだけ難しかったのです。

つまりRPGの登場は、そういった、ゲームを遊ぶのに必須と思われていたテクニックを「持つ者」と「持たざる者」の間の格差を解消し、多くの人にゲームという娯楽を解放した大革命だったのです。

そして、それに付随した変化として、「RPGならば誰でもゲームをクリアし、エンディングを見ることができる」という、もうひとつの革命がありました。

「エンディング」がゲームに「物語」をもたらす

「誰でもエンディングを見ることができる」ことが、なぜ革命的だったのでしょうか?

それは、物語には必ず「はじまり」と「終わり」が必要だからです。ここでいう「終わり=エンディング」はいわゆる「ゲームオーバー」とは異なり、「ゲームの全課程を完了した」という達成感を伴うものを指します。ゲームオーバーは「完了」というより「中断」ですね。RPGの普及によってゲームに「はじまり」と「終わり」があることが自明のこととなったとき、ゲームは「物語メディア」としての性質を一気に強めていきました。

実際、RPG普及以前に主流だったアクション/シューティングゲームにおけるエンディングは、「プレイヤーの1%も見ないだろう」という前提で開発されていたため、ほとんどは「クリアおめでとう」という言葉が英語で書かれた1枚の画面が用意されている程度の簡素なものか、あるいはそもそもエンディングシーンが存在しないゲームも多かったのです。特にアーケードゲームでは「上手なプレイヤーにはそのぶん長時間遊ばせてあげることがサービス」という考え方から、簡素なエンディング画面の後、スタート地点に戻ってさらに高難度な2周目がスタートするループ構造のゲームも多くありました。

ところが、ドラクエによるRPGの普及以降、制作者はゲームのエンディングで物語の決着をつけることを意図し、プレイヤーもそれを意識するようになりました。任天堂のRPG『MOTHER』で使われたキャッチコピー「エンディングまで、泣くんじゃない。」にも象徴されるように「ゲームのエンディングで感動して泣いてしまった」という体験が強烈なインパクトを持つようになり、ゲームは小説、映画、マンガのようにシナリオをもつ「物語の器」となっていったのです。

国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?

渡辺範明

2023年6月21日

1,990円(税込)

四六判/336ページ

ISBN:

978-4-7816-2214-9


日本でRPGはなぜ人気をえたか。物語はゲームでどう表現されるようになったのか。
国民的RPG、ドラクエとFFの功績をあらためて徹底検証!
「国民的ゲーム」として、日本のカルチャーに大きな影響を与えているドラゴンクエストとファイナルファンタジー。日本ではRPGがなぜこれほど人気なのか。ゲームで物語はどう表現されるようになったのか。TBSラジオ『アフター6ジャンクション』でもおなじみ、元スクウェア・エニックスのプロデューサーで、気鋭のゲームデザイナーである著者が、ゲームシステム・世界観・制作体制に注目し、ドラクエとFFの功績をあらためて検証する。

●TBSラジオ「アフター6ジャンクション」人気特集シリーズ「国産RPGクロニクル」書籍化!

ライムスター宇多丸さん(ラッパー/ラジオパーソナリティ)
「ドラクエ・FF弱者の私でも(笑)しっかり超絶、面白いッ!」
佐久間宣行さん(テレビプロデューサー)
「夢中になったゲームの歴史は僕らの人生の歴史でもある。ずっと読み続けたい本だ!」

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