なぜ61年間も服役しなければならなかったのか。「日本一長く服役した男」の生涯に見る「無期懲役」という刑罰の現実
集英社オンライン / 2023年7月10日 19時1分
令和元年秋、1人の無期懲役囚が熊本刑務所から仮釈放された。61年間もの歳月を刑務所の中で過ごした彼は、罪とどのように向き合い、更生したのか。そして、取材記者が見た「無期懲役」という刑罰の現実とは。『日本一長く服役した男』(イースト・プレス)から一部抜粋・再構成してお届けする。
推計2万2325日の服役期間を終えて
2019(令和元)年秋、ついに一人の無期懲役囚が刑務所の中から姿を現した。少し離れた門のところから、カメラ越しに見えるのは、痩せ細った男。眩しそうに目を細めたそのとき、その瞳はまるでビー玉のように光って見えた。
最初の一挙手一投足を、見逃すわけにはいかない。なんてったって、世紀の瞬間かもしれないのだから。83歳で皮膚こそ皺だらけにはなったが、その男を長きに渡って取り巻いた高い壁は、もはやない。男は壁の外に出たのだ。
少しは感慨に耽っても良さそうなものだが、男は立ち止まる様子もなく、そそくさと迎えの車に乗り込んでいく。フロントガラス越しの後部座席にうっすらと見える顔は、何も語ってくれない。笑みを浮かべることもなく、表情はのっぺりとしたままだ。
緊張しているのか。いや、その服役期間を鑑みれば無理もない。なにせ彼は「日本一長く服役した男」なのだから。
戦後、日本が高度経済成長に沸く1950年代末。21歳で無期懲役の判決を受け、服役した男は、以来、半世紀以上もの歳月を刑務所の中で過ごしてきた。
昭和はすでに遠く、平成も過ぎ去り、令和となったこの年。男にとっては61年ぶりの娑婆なのだ。その服役期間は日数にして、実に推計2万2325日に及ぶ。『ショーシャンクの空に』のレッドやブルックスも驚きだろう。
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男はなぜ、これほど長く服役したのか
61年間服役していた80代の受刑者が仮釈放された。このニュースは翌2020(令和2)年9月11日に、社会を駆け巡った。熊本県の1本の地域ニュースに、ネットがざわついた。
「えっ、リアル浦島太郎じゃん」
「何をしでかしたのか、気になる」
「家とか家族とか、ないでしょ」
「変わり果てた世界に放り出されてむごい」
「この人、これからどうやって生きるんだ?」
その夜、熊本県域で放送されたのが『日本一長く服役した男』と題された番組だった。さらに、5か月の再編集期間を経て、2021(令和3)年2月21日に再びこの男の姿が日曜夕方の茶の間を席巻した。「日本一長く服役した男」という言葉は、ツイッターのトレンド・ワードの一つとなった。
この番組の取材は、一地域放送局の記者2人とディレクター1人の取材班で臨んだものだ。現場の記者の取材の気づきから提案され、徐々に放送につながっていった。だが、その過程は実に長い、曲がりくねった道のりだった。
私たちが取材を通じて直面したのは「無期懲役」という刑罰の現実だった。無期懲役とは不思議な刑罰である。有期刑のように満期が来たら自動的に出所とはならないし、かといって死刑のように生命が奪われることもない。いわゆる終身刑のように社会復帰の可能性が否定されることもないが、仮釈放が明確に約束されているわけでもない。
では、一体男はなぜ、これほど長く服役したのか。どんな罪を犯し、塀の中で何を思ってきたのか。これからの余生をいかに過ごすのか。そして無期懲役とは何なのか。
この取材はそんな刑罰を背負った一人の受刑者への密着から始まったが、私たちは次第に「罪と罰」の概念、「懲役」という刑罰の本質、それに「更生」の意味を考えざるを得なくなっていく。
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罪と罰の行き着く先
ドキュメンタリー番組でテレビ画面に映るのは、取材と編集の一つの結果に過ぎない。番組が一つの物語であるとしたら、「放送には100分の1しか出せなかった」と思えるほどに、その取材過程もまた物語に満ちている。けれどその過程が詳らかにされることは少ない。
でももし、私たちが取材活動のリアルな一面を物語ることができれば、結果として私たちが目撃した現場を、そして問題提起したかった内実を、より深く理解してもらえるのではないか。
そんな思いから本書では、単にテレビ番組の内容を再編集するのではなく、取材者自身の物語として再構成し、番組を見ていない人にも読んでもらえる取材記を目指した。新しいエピソードも多く加えているので、番組を見た人の目にも新鮮に映ると思う。
なお、取材記は2人の記者の視点で交互に描くことにした。取材というのは本当に偶然に満ちていて、時にその現実は一人では捉えきれないからだ。取材中、様々な偶然が重なり合ったとき、私たちにはまるで「奇跡」でも起きたかのように感じられたのだった。
一方で、この取材は順風満帆な成功物語どころか、失敗や挫折の連続でもある。そうした取材者それぞれの感情の揺れを、読者のみなさんに感じ取ってもらえたら嬉しい。
そして、日本の刑罰制度や刑務所の運用が岐路に立たされている、今このときに、「日本一長く服役した男」の生涯と、その罪と罰の行き着く先を一緒に見届けてほしいと思う。
これはその取材班の、全記録である。
日本一長く服役した男
NHK取材班 杉本宙矢・木村隆太
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/07/05020628973184/400/cover.jpg)
2023年6月19日
1,990円(税込)
四六判/336ページ
978-4-7816-2216-3
男は何故、61年も服役しなければならなかったのか。
更生と刑罰をめぐる、密着ドキュメンタリー。
令和元年秋、1人の無期懲役囚が熊本刑務所から仮釈放された。
「日本最長」61年間の服役期間を経て出所したのは、80代のやせ細った男。
出所後も刑務所での振る舞いが体に染みつき、離れないでいた。
男はかつてどんな罪を犯し、その罪にどう向き合ってきたのか?
一地方放送局の記者2人とディレクター1人の取材班は、男に密着取材を行った。
更生の物語を期待し、取材を進めるものの、一向に態度が変わらない男。
それでも彼らは、この謎めいた男がなぜ服役し、どう罪と向き合ったのか
伝えることをあきらめなかった。
取材班が一丸となって、各々の巧みな取材手法を使い分け、番組制作を進めていった。
度々の全国放送が見送られつつも、
いよいよ放送前日となったある日、取材班に衝撃的な連絡が入った。
その時、彼らがとった行動とは――
「更生」とは。「贖罪」とは。そして「報道」とは。
3年にわたる取材の全記録。
外部リンク
- “言葉のキャッチボールさえも…” 認知症と診断された80代の無期懲役囚が刑務所で見せた驚きの行動とは?《日本一長く服役した男》
- 被害者のことを「今さらそんなことを考えても仕方がない」と答える受刑者も。福祉施設化する刑務所と「更生」の意義
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