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〈「ギフテッド」と呼ばれる人たち〉「それってギフテッドじゃん」…自身の高IQを知人に打ち明けて聞いた初めての言葉「自分を『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるだけです」

集英社オンライン / 2023年7月24日 10時1分

女装専門の写真スタジオを営むフォトグラファーの立花奈央子さん。発達障害を疑い、36歳で受けた検査で自分の高IQがわかったという。「やっと光をあててくれて嬉しい」奈央子さんが語るギフテッドの生きづらさと、精神病院入院を経て“居場所”を見つけるまでを、人気連載を書籍化した『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。〈サムネイル写真:朝日新聞社提供〉

「教科書は一度読めばわかる」退屈な学校生活

立花さんは1982年、千葉市で生まれた。千葉市といっても沿岸の都市部ではなく、内陸部の田畑や牧場に囲まれた農村地帯。父は工務店を営み、母が店を手伝った。4人きょうだいの長女で、自宅には父の見習いの青年も住み込みで働いていた。幼児のころから読書とお絵かきが大好きな子どもだったという。



ただ、親や周りの評価は「変わった子」。目に入るものすべてに興味を示すからだ。例えば、活字を読んでいないと落ち着かず、ごはんを食べながら、食品のパッケージに書かれた栄養成分表示や、新聞を隅から隅まで読んでいたという。「全部目に入れてましたね。情報を吸収していないと気が済まない子でした」と立花さん。

小学校は、当時はまだ1クラス40人の大人数学級。立花さんは、授業は毎日、とても退屈に感じていたという。教科書をひととおり読めばだいたい理解できるのに、先生は、同じことを黒板に何度も書いたり説明したりする。「答えがすぐわかる問題をわざわざ出すのはなぜだろうと常々思っていました」。

授業中は、プリントの裏に落書きをして時間をつぶしていたという。鉛筆回しもよくやった。先生からは「態度が悪い」「もっと授業をちゃんと聞きなさい」と𠮟られたことを覚えている。学年が上がるごとに、退屈な授業や学校生活を、苦痛に感じるようになっていった。

「好きな物を好きと言える社会になってほしい」と話す奈央子さん〈写真/朝日新聞社〉

勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。
その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという。

「無視されたり、工作でつくった作品を隠されたりしましたね。遠足の班分けは、いつも自分だけ最後まで残っていました。だんだん、自分が悪いことをしているからいじめられるのだと思うようになっていきました」

ただ、両親は学校に行くのは当たり前だという考えだったため、理由がなければ学校は休めない。「おなかが痛い」「頭が痛い」と言って学校を休むようになった。

中学ではさらに孤立した。同級生が話すアイドルや恋愛話にはまったく興味が湧かなかった。友達がいないと学校生活はつらいことばかりで、無理に話を合わせることもあった。

だが、一人で「石に意識はあるのか」というテーマで漫画を描いたり、宇宙や時間についての専門書を読みふけったりすることのほうが楽しかったという。学校に行くよりも、母が買ってくれたパソコンで自身のサイトを立ち上げたり、当時はまっていた漫画「封神演義」のファンの集まりに行ったりするほうがよっぽど楽しかった。

遠方の進学校へ…勉強嫌いだった高校時代

小中学校ではどんな子どもでしたか。私が聞くと、立花さんはしばらく考えた。

「みんなの『わからないこと』がわからず、浮いた存在でしたね。自分を否定されたくないからなんとか話を合わせようとはしていました。でも、心の中ではずっと生きづらさを抱えていました」

そんな息苦しさから解放されたいと、高校は「中学の同級生が誰も行かない」という理由で、千葉県内の進学校を選んだ。電車やバスを乗り継ぎ、通学に1時間以上かかる女子校。小中学時代を知る人はおらず、新しい友達はできた。見える世界も広がった。だが、勉強をすることが嫌いになっており、成績は良くなかった。

「ギフテッドといっても、勉強しなければ当然わかりません。周りは受験勉強を一生懸命しているので、どんどん差がつきました」

そもそも、立花さんには大学へ行く選択肢はなかった。父から「大学に行かせる金はない」と言われていたためだ。

写真/photoAC

心を削り続けた職場

最終学歴が中学の父は根っからの職人気質。また、4人きょうだいで、家計の苦しさから、父は娘を大学へ行かせようとは思っていなかったそうだ。「公務員になれ。自衛隊でもいい」。そんなことを父から言われていた立花さんは、言われるがまま高校3年で就職活動をし、東京都内の区役所に採用された。

「自分のやりたいことよりも、相手が求めているものに合わせるような人間になっていました。自分が何をしたいのかは考えなくなっていた」という。

当時を、「泥の中にいるような感覚だった」と表現する立花さん。「他人とうまくいかないのは自分が悪いからだと思っていたんですよね。だから、いつのまにか自分のことを過小評価する人間になっていた」とも言った。

就職して一人暮らしを始めても、自分の居場所は見つけられなかった。

若手職員として、区のスポーツのイベント企画や高齢者福祉などを担当した。「公務員にあるべき服装を無理して考え、地味なスーツやブラウスを嫌々着ていましたよ」と笑う。

選挙の事務の仕事をして臨時の収入が入った時は、どう使おうか考えた末に、胸にタトゥーを彫った。だが、職場でそれが見えて上司や同僚に知られると、白い目で見られた。自分の好きなことをしても否定され、周りの視線や雰囲気に合わせ仕事をする日々が繰り返された。

1年ほど働いた19歳のある時、立花さんは心を病んで休職した。「公務員としてこうあるべきという枠にきちっと入らなければと思えば思うほど、自分の心を削っていっていたのだと思います」。

閉鎖病棟で3カ月間、自分と向き合い…

躁(そう)状態の時は、ストレス解消や現実逃避のため、デパートで好きな服を大量に買った。しかし、家に帰ると、いつのまにか買い物をした記憶がなくなっている。

一方、気持ちが沈んでいる時は、「死にたい。トラックが突っ込んできてほしい」と願う。
精神科に行った。「うつ病」「解離性遁走(とんそう)」と診断された。突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。しまいには知らない場所で警察に保護されていた。

「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、外で生きられない患者たちの姿を目の当たりにした。外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。

今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた。

自分が本当に好きなことは何か、自分にとって大事な人は誰か、本来の自分とは何者か。突き詰めて考えた。

哲学や宇宙など、自分が興味のある話を、とことん人と語り合える時間が最も楽しい。 そんな気の合う人たちとの時間を大切にしたい。自分の気持ちを抑えつけるのはやめようと決めた。

写真/AC

まず、区役所をやめた。自分を偽り、親が望む人間になろうという思いも捨て、退院後に身を寄せていた実家も出た。渋谷駅のハチ公前で、ストリートアートをしていた人たちに話しかけた。自分も一緒に描いたり、路上ミュージシャンと友達になったり。どんどん周りに自分の好きな人たちが増えていった。すると、ライターや撮影、ヘアメイクなどの仕事がフリーでできるようになっていった。

ある日、新宿ゴールデン街のバーでアルバイトしていた時のこと。ミニスカートに網タイツの女装をした男性客が入ってきた。

派手なだけではなく、自分らしさを表現していて、センスがいい。聞くと、IT関連の仕事をしながら、夜は自分の好きな格好で楽しんでいるという。「自分が好きなことをする人」の姿はやっぱり素敵だと感じた。これだと思った。

27歳で、女装専門の写真スタジオを立ち上げた。そのころはまだ、世の中に「女装=変態趣味」というイメージが強く、女装したい男性たちはこっそり、隠れながら、好きな格好をしているようだった。

そんな価値観をぶっ壊したい。立花さんは思った。女性の視点からきれいな女装のコーディネートを提案したり、女装タレントのプロデュースをしたり。ひげの濃い中年男性のかわいらしさを引き出すにはどうしたらいいかを追求したこともあった。

「自由で素敵な女装の人がたくさん街にいれば、女装が特別なことではなくなるはず。そんな世の中にしたいと思っていました」

発達障害を疑い…ようやく解けた「本当の私」

実家の父から久しぶりに電話がかかってきたのは、2019年。36歳になっていた。1歳下の弟が、知能検査を受け、発達障害だと診断されたとのことだった。立花さん自身も、自分が発達障害やADD(注意欠陥障害)かもしれないと思っていたため、一度検査を受けてみることにした。

「WAIS‒IV」という知能検査を受けた。その結果、全般的なIQ(知能指数)が平均を大きく超える137だった。また、同検査の四つの指標のうち、ことばの理解力や推理力、思考力を示す「言語理解」はIQ130、目で見た情報から形を把握し推理する「知覚推理」はIQ128、情報を一時的に記憶する力の「ワーキングメモリー」がIQ131、作業の速度を測る「処理速度」がIQ130と、指標のすべてが平均を超える高い数値となっていた。

驚いた。臨床心理士からは「発達障害の可能性はほぼない。単に、知能が世の中の人より高いだけの健常者ですね」と言われた。立花さんはそれまで、自分の生きづらさは発達障害のせいだ、となんとなく思っていたが、それは間違っていたことがはっきりした。この時、初めて自分の特性が何なのかを知りたい、と思った。

週1回、新宿ゴールデン街のバーで開く「サロン・ド・ギフテッド」の集まりで友人らと話す奈央子さん(右)〈写真/朝日新聞社〉

結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。

特徴として書かれていた「情報を素早く理解」「いつも何かにのめり込み徹底的に調べる」という良さだけでなく、「注意散漫に見える」「同級生との関係づくりが下手」といった弱点までが、いちいち自分に当てはまった。「これ私のことだ」と思うと、胸がすっとした。

普通と違う私。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた私。子どものころから、本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした。「パズルのピースがはまるような感覚だった」という。

立花さんは言う。「私は、自分のことを『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるのだということがわかりました。そのせいで、これまで息苦しさや孤独を抱えていたのだと理解できて本当に良かったです」。

文/伊藤和行
写真/朝日新聞社提供、photoAC

『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』

2023/5/19

1,540円

208ページ

ISBN:

978-4022519078

没頭しやすい、情報処理が速い、関係づくりが苦手…
高IQが「生きづらい」のはなぜ?

特異な才能の一方で、繊細さや強いこだわりを併せ持つ「ギフテッド」。
なぜ彼らは困難を抱えるのか? なぜ教育はその才能を伸ばさないのか?
朝日新聞デジタルで500万PVを超え、大反響の連載がついに書籍化!

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