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【防衛大告発文に石破元防衛大臣はなにを思う?】「国防を真剣に考え、改善策を口にすると、部内から疎んじられることがある。それが防衛省の一面です」

集英社オンライン / 2023年7月25日 11時1分

2023年6月30日に防衛大学校の等松春夫教授が衝撃的な告発を発表した。防大、防衛省の構造に警鐘を鳴らすこの論考を有識者たちはどのように読んだのだろうか。元防衛大臣の石破茂衆議院議員が語る。

「自衛隊を愛せば愛するほど、部内から疎んじられ苦労する」

私は論考を執筆した防衛大学の等松春夫教授とは一面識もありません。また、ここ数年、防衛大学を訪れたこともない。したがって、論考で言及されている内容の事実確認もできないわけで、無責任な発言はできません。今からお話することはあくまでも一般論にすぎないということをまず、お含みおきいただきたい。


元防衛大臣の石破茂議員

そのうえであえて申し述べるなら、等松教授の論考をただ無視することなく、この告発のなかで防衛大をよりよい組織に改善するために有用だと思われる点を謙虚に受け止め、適切な対応をとることが、防衛省には求められるだろうと考えます。

一連の告発内容についても早急に事実確認をして、事実と認められる点、あるいは指摘により改善が考えられる点については改善策を講じるべきでしょう。その際、個別対応のみに終始するのではなく、組織の構造的な問題に起因しているのではないかという観点からの点検も、これを契機として行うべきではないでしょうか。

防衛省・自衛隊という組織は、他の省庁に比べても、風通しが悪いところがあるのは事実です。私は防衛庁長官、防衛大臣を通算3年ほど務めましたが、国防を真剣に考え、防衛省や自衛隊の改善策などをあれこれと口にすると、部内から疎んじられてしまうこともありました。

防衛庁副長官時代、安全保障論の大家である吉原恒雄元拓大教授を副長官室にお招きして、お話を伺ったことがあります。その時、「自衛隊は好きですか?」と先生から問われて「好きです」と答えると、「だったら、あなたはこれから苦労しますよ」と言われたことがありました。

先生は「自衛隊を愛せば愛するほど、あれこれと改善案を口にされることでしょう。そうすると、あなたは部内から疎んじられ、苦労すると思います。残念ながら、防衛庁や自衛隊にはそんな風通しの悪さがあるのです」と私に忠告してくださったのです。私は農林水産大臣も務めましたが、農林水産省にはそこまでの風通しの悪さを感じたことはありませんでした。

おそらく等松教授もそんな風通しの悪さを感じて告発に踏み切ったのでしょう。だからこそ、告発の内容を吟味し、これを一つの契機として改善へと導くべきなのです。

たとえば、今回の告発には特定の政治的立場にある外部講師を招き、防衛大生の前で講演をさせているとの指摘があります。授業ではなく、記念式典などでの講演や祝辞にすぎず、目くじらを立てるほどのことではないのかもしれません。実際、防衛大内でも言論の自由や学問の自由は認められているわけですから。

等松教授の告発を契機として対応すべき理由

ただ、「軍隊」はふつうの団体とはちょっと違う、というのが国際法の常識です。警察や海保が束になってもかなわないほどの強力な実力を持った組織である「軍隊」が特定の政治思想や宗教に傾き、クーデターなどを起こせば、国が滅んでしまいかねません。だから、「軍隊」ほど政治や宗教などから距離を置き、常に中立を求められる組織はないのです。

「軍は国家に隷属し、警察は政府に隷属する」という言葉があるように、軍が仕えるべきは国家そのものであって、特定の政治勢力ではありません。このような中立の原則に照らせば、国際法上は「軍隊」として認められている自衛隊の教育を担う機関において、特定の思想的傾向を持つ人物を招き、学生たちの前で講演や祝辞をさせることは、一般論としてふさわしいものではないと思います。

ただ、私が心配するまでもなく、浜田靖一防衛大臣や人事教育局、さらには防衛大の久保文明学校長など、防衛省としても今次の問題については迅速な対応をすでに取っていると伺っています。私としてはその対応ぶりを信頼し、事態の推移を見守っています。

告発を契機として、なぜ、対応が求められるのか?

それは自衛隊がわが国最強の実力組織として、日本国の独立を守る存在だからです。国の独立とは国家主権そのもの、つまり領土、国民、統治システムです。国家の独立が侵されると、言論の自由や表現の自由といった国民一人ひとりの基本的人権も保障できなくなってしまいます。

「軍隊」は外部勢力に国家主権が侵害されようとしている時、自らの危険を顧みることなく、この侵害を排除するための実力組織であり、国際法上は我が国の自衛隊も「軍隊」にあたります。つまり、基本的人権を守るための最後の砦であり、国民の負託に応える実力組織なのです。

防衛大はその自衛隊の幹部を養成するところですから、そこで不祥事が多発するようでは自衛隊の機能が阻害され、国の独立が守れないということにつながりかねません。だからこそ、些細な欠陥でも迅速に改善されないといけないし、不断の改善が求められるのです。

しかし、我が国にはその前提が欠けたままという大きな問題があります。日本国憲法9条2項は「陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めており、そのため、自衛隊はここでいう「戦力」にはあたらない、すなわち「軍隊」ではない、という解釈をずっと続けてきました。

では何なのかと言えば、それは「自衛のために必要最小限の実力組織」である、としているのです。私がここまで「国際法上は『軍隊』にあたる」と言ってきたのは、裏を返せば国内法上は「軍隊」とは認めていないからです。我が国の独立と主権を守るための組織をこんな不明瞭な法的地位に置いたままにするまやかしは、もうやめるべきです。

「軍隊」と呼べない自衛隊の現状

自衛隊が名実ともに日本の独立、国民一人ひとりの人権を守る組織になるためには、憲法を改正して自衛隊を「軍隊」として明確に位置付けることがなによりも必要です。そうしてこそ、政治的中立を維持することや、厳正な規律を求めることができるのです。そうでなければ、真の意味でのシビリアン・コントロールの体制を作ることも、最高裁判所のもとで厳正な規律を担保する軍法会議を設置することもできません。

かつて「自衛隊は日陰の存在であるべきだ」と訓示した防衛大学校長がいました。

たしかに軍国主義の国のように、軍人が肩で風を切って歩くような社会は好ましいものではないでしょう。だからといっていつまでも自衛隊を「必要最小限の実力組織」と言い繕ったり、「日陰の存在」と呼び続けることがよいこととは思いません。

国家主権を守り抜く組織として厳正な規律が求められる一方で、いつまでも日陰者扱いでは、自衛隊員として自分の任務に誇りや使命感を持つことは難しいでしょう。我が国における正式な「軍隊」と憲法上認めるということは、むしろ国民の側の覚悟が求められることでもあるのです。

現在、日本には軍隊や戦争の歴史について学ぶ施設はありません。どこの国にもその国が関わってきた戦争や、その戦争で軍隊が果たした役割などを学ぶ軍事博物館、戦争博物館があります。日本がなぜ、アメリカとの勝ち目のない戦争に突入していったのかといった教訓なども、本来ならそうした施設でしっかりと学ぶべきでしょう。なのに、日本にはそういった軍事博物館もない。これでは国民が国防に関心を持つことも難しいのではないでしょうか。

今回の等松教授の論考も、一過性だと過小評価しないことです。個人の異論にすぎないと軽視せずに、また防衛大の教授会といった内部で議論される前になぜ外部への告発となったのかについても、さまざまな視点から調査するべきです。

実際にこのところ、防衛省・自衛隊では不祥事が立て続けに起きています。射撃場で自衛官候補生が上官を射殺したり、師団長を乗せたヘリが沖縄の海上で墜落したり、呉を母港とする護衛艦が自分の「庭先」であるはずの瀬戸内海で座礁したり――。変調は防衛大に限ったことではありません。

だからこそ、今回の告発を機に、防衛省・自衛隊という組織の構造的な問題を疑い、点検すべきです。そして、軍隊であるのに「軍隊」と呼べない自衛隊の現状について、国民的な議論を行うべき時期に来ていると思います。


※「集英社オンライン」では、本記事や防衛大学校に関しての取材対象者や情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。


メールアドレス:shueisha.online@gmail.com
Twitter:@shueisha_online

撮影/村上庄吾

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