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〈レスリー・チャン没後20年〉家父長制の価値観が色濃く残る中華圏でゲイであることを公表していたレスリー。今なお悲劇を繰り返す、差別や偏見の存在

集英社オンライン / 2023年7月28日 12時1分

レスリー・チャン主演の名作『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』が7月28日より公開されるのを機に、彼の輝かしい足跡と、20年前の悲劇的な死の背景を振り返る。(トップ画像:Gamma Rapho/アフロ)

映画の中で今なお輝くレスリー・チャンの美しさ

『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』
©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.

昨年、ウォン・カーウァイ監督の代表作4Kレストア版特集上映“WKW 4K”が日本で開催され、名画の4K版上映では異例のスマッシュヒットを記録した。90年代ミニシアターブームを実際に体験した世代のみならず、若い世代にもリピーターが続出したという。

なかでも『ブエノスアイレス』(1997)でトニー・レオンとともにW主演したレスリー・チャンの儚げな美しさに魅了された人は多かった。



そんな彼の代表作ともいえる『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)の4Kレストア版がいよいよ公開となる。ここで、レスリー・チャンが香港明星、中華圏のスターの中でも、ほんとうに特別な存在だったということをひも解いていきたい。

そもそもアイドル歌手としてデビューしたレスリー・チャン。吉川晃司の『モニカ』を広東語カバーし、大ファンだったという山口百恵の『さよならの向こう側』のカバーもヒットさせた。

そんな彼が、アイドルから俳優への本格的なキャリア転向のチャンスをつかんだのは、大親友アニタ・ムイと共演したスタンリー・クワン監督作『ルージュ』(1987)であることは、そのアニタの半生を描いた伝記シリーズ『アニタ:ディレクターズカット』(ディズニープラスで独占配信中)でも描かれているとおり。

以降、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987)シリーズや、ウォン・カーウァイ監督との出会いを経て、香港映画がアジア芸能文化の中心だった時代を象徴するスターのひとりとなった。

『ブエノスアイレス』公開後に自身のセクシュアリティを公表

『ブエノスアイレス』でカップルを演じたレスリー(右)とトニー・レオン
Collection Christophel/アフロ

少年のような可愛らしさとともに、艶やかな美しさを携え、演技力も文句なし。三拍子揃った大スターの彼は、中華圏俳優では珍しい、ゲイであることを公言したスターでもあった。といっても、その立ち居振る舞いはとても彼らしい。
『ブエノスアイレス』の公開後にセクシュアリティを公に明かしたのだが、それ以降はことさらに自身がゲイであることをアピールしなかったのだ。

今、もし著名人が性的マイノリティのみならず、なんらかのマイノリティであることを公にしたならば、あらゆる差別や偏見をなくすための矢面に立つ存在になることに直結するだろう。
本人だけでなく、他の当事者にとっても生きやすい社会を作る代表になるケースが非常に多く見受けられる。だが、当時の彼はそうはしなかったし、多くのファンもそれ以上の情報を望まず、静かに彼を応援するのみだった。

そもそも彼は、約20年にわたるパートナー、ダフィー・トンとの関係がファン公認だった。それゆえに、カミングアウト以降は大っぴらにゲイであることを主張することを控えていたと思われる。

ところが、当時は今のように、セクシュアリティを個性として受け止める土壌は育っておらず、有名人がゲイであることをアピールすると、仕事に影響してしまうことも避けられない。それどころか、ゴシップ文化花盛りの90年代香港においてのカミングアウトは、マイナスの効果を招いてしまう可能性のほうが大きかった。

レスリーはその状況を理解したうえで、常につきまとう「ゲイ疑惑」の「疑惑」部分を取り除き、自分はパートナーと幸せだということをファンに知ってもらいたい一心でカミングアウトしたのだろう。

実際にカミングアウト後は仕事にも影響を及ぼし、ゴシップ誌にあることないこと書かれても、レスリーは反応せずに毅然とした態度を貫いていた。

彼の突然の死を悼み、当時ホテル前には多くのファンが詰めかけた
ロイター/アフロ

そんなレスリーは、SARSパンデミックの真っ最中だった2003年4月1日、マンダリン・オリエンタル・ホテルの高層階から飛び降り、46歳の若さで亡くなってしまった。

彼の死にまつわるエピソード――別の男も愛してしまい2人のうちのどちらかを選ぶことができない苦悩や、それに伴うゴシップ報道の加熱など――は、ファンの間ではあまりにも有名なため割愛するが、彼が死を選ばなければならなかった背景のひとつは、おおよそ見当がつく。

昔も今も変わらない、当事者以外からの偏見だ。

キャリアの頂点といわれる『さらば、わが愛/覇王別姫』

『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』
©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.

家父長制の価値観が色濃く残る中華圏では、今でもセクシュアル・マイノリティは異端視される。もちろん今を生きる若者世代の多くは、それがナンセンスなことも承知している。だが「伝統」という縛りを重んじる世代においては、いまだ理解が進まないことは確かだ。そのため、中華圏でLGBTQ+がカミングアウトすることは、かなり厳しい。

その抑圧が、当事者たちにどういう影響を与えるかということを、今一度考えてもらいたい。悲しいことに、それは今の日本で現在進行中だ。抑圧さえなければ起きなかっただろう事件は、最近ではryuchellさんの訃報が記憶に新しい。彼を追い詰めたことのひとつが、差別や偏見による抑圧だ。

このような事件が起こった際、多くの当事者の間では、事件そのもののショックとともに、「悲劇にピリオドが打たれるのはいつなのか」、といった声も多くあがる。彼らの自死のトリガーはさまざまな理由が取り沙汰されている。しかし、性的マイノリティだからといって批判されない差別や偏見のない世の中だったとしたら、結果が違っていたことは明らかだ。

民間レベルでは、同性婚への過半数を超える賛同を得られていると言われている今の日本でもコレなのだから、レスリーが命を絶った当時の香港でなら……想像に易いだろう。

彼が亡くなったとき、ファンはもちろん、それまで彼のプライベートを揶揄していたことがあるだろう香港の芸能関係者を含め、誰もが彼の死を悲しみ、悼んだ。だが、死んでからでは遅い。

彼を滅ぼしたのは、抑圧を受ける者に対して無理解な世の中であり、それは今もなお続き、悲劇の連鎖は止まっていない。彼が亡くなって20年という今こそ、考えなければいけないはずだ。

『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』
©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.

このタイミングで、彼の代表作であり、カンヌ国際映画祭で中国語映画初のカンヌ国際映画祭パルムドールをもたらした『さらば、わが愛/覇王別姫』が4K版でスクリーン上映されるというのは、運命的ではないだろうか。

レスリーのキャリアの中でも頂点といわれるこの作品をきっかけに、人を愛することの慈しみ深さ、ジェンダーやセクシュアリティにとらわれない自由、そして差別や偏見の醜悪さについて見つめ直したい。

文/よしひろまさみち

『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』(1993)覇王別姫 上映時間:2時間32分/中国・香港・台湾

京劇の俳優養成所で兄弟のように互いを支え合い、厳しい稽古に耐えてきた2人の少年。成長した彼らは、程蝶衣(レスリー・チャン)と段小樓(チャン・フォンイー)として人気の演目『覇王別姫』を演じるスターに。女形の蝶衣は覇王を演じる小樓に秘かに思いを寄せていたが、小樓は娼婦の菊仙(コン・リー)と結婚してしまう。やがて彼らは激動の時代にのまれ、苛酷な運命に翻弄されていく……。カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞し、世界中を感動の渦に巻き込んだ伝説の傑作が、公開30周年、レスリー・チャン没後20年特別企画として4Kで鮮やかに蘇る!

©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.
配給:KADOKAWA

7/28(金) より上映
公式サイト:https://cinemakadokawa.jp/hbk4k/

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