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国防は一部の官僚や専門家だけのものではない

集英社オンライン / 2023年7月28日 8時1分

アメリカの軍事力が絶対的なものでなくなり、北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、中国が急速に軍事力の近代化を進めている。日本もこれまで以上に安全保障や軍事について、当事者意識を持つ必要に迫られている。

#1

経済力も軍事力も大幅に中国に後れをとった日本がすべきこと

どれくらいの規模の防衛力が必要か、ともうひとつの論点として、外交と防衛の関係がある。

拙著『日本で軍事を語るということ -軍事分析入門』(中央公論新社)でも論じたが、防衛(軍事)はステートクラフトの1つの手段であり、外交や経済といった他の政策手段と並列の関係にある。

浜田靖一防衛大臣

ときどき誤解されるが、両者は「外交か、防衛か」といった二者択一の関係にはない。平時においては外交と防衛とは相互に補強し合う関係にあるし、ロシア・ウクライナ戦争において、ロシアもウクライナも積極的に外交を展開していることからわかるように、仮に戦争になったとしても、外交は機能し続ける。



必要なのは、「何ができて、何ができないのか」といった点を正確に理解し、両者を適切に使い分けていくことである。例えば、外交には「問題が悪化しないようにマネージする」「万一の有事に備えて味方を作る」といった機能がある。防衛には、「相手に強制外交や侵略をさせないように抑止する」「万一の有事には物理的に対処する」という機能がある。外交に何を期待し、防衛に何を期待するのか、議論を進めていく必要があるだろう。

なお、対中国政策の関係で、「問題が悪化しないようにマネージする」ことを抑止力の強化よりも重視すべきとの議論もあるが、留意しておかなければならない点がある。それは日本も米国も、冷戦終結以来、中国に積極的に関与し、「中国が強くなる前に変化させる」ことを目指す政策を既に展開してきたことである。しかし、それは失敗し、中国は、「変化する前に強く」なってしまった。

戦略は、「願望」と「能力」をバランスさせた上で追求しなければならない。中国との間で、「問題が悪化しないようにマネージする」外交を展開していくのは、「願望」としては理解できるが、2000年代、日本がまだ世界2位の経済大国であった時代にできなかったことを、中国に経済力で大幅に抜かれてしまい、軍事バランスでも劣勢に立たされた現在、実現する「能力」を十分に備えているのかについては冷徹な分析が必要であろう。

まずは軍事的な抑止力としての「能力」を強化していくことが必要ではないかという考え方こそが、「願望」と「能力」のバランスを取るためには必要ではないか。

外交によって「問題が悪化しないようにマネージする」のは当然としても、それを抑止力の強化「よりも」重視すべきだという議論は、「願望」と「能力」のバランスが欠如していると思われる。いずれにしても、外交と防衛をどのように組み合わせるのかについては、これからも議論を続けていく必要があろう。

核抑止と「核の傘」

第3に、最後の論点として、核抑止を挙げておきたい。

北朝鮮は核・ミサイルの開発と配備を進めている。既に日本を射程に収めた核ミサイルは配備されているとみられ、さらに米国を射程に収める長距離核ミサイルの開発も進めている。中国も質量両面で急激に核戦力を強化しており、2035年には、1500発の弾頭を保有するようになる可能性があるとみられている。これは、現在米露の新START条約での配備上限とされている1550発の弾頭とほぼ同数となる。

このように、核抑止は日本の安全保障にとって極めて重要な論点となっている。日本は米国の「核の傘」の元にあるが、これだけ状況が悪化してくると、これもまた「10年前と同じ」形で安全と言えるような状況ではなくなっている。

「核の傘」とは「拡大抑止」とも言われる。日本のケースで言うと、対象国(北朝鮮か中国)に対する抑止を、拡大抑止の受益国(日本)に対して、提供国(米国)が提供する、3角形から成立する戦略的な関係である。抑止が機能していると認識されている状態を「信頼性が高い」状態と言うが、この場合の抑止の信頼性は複雑な形で評価される。米国からしてみれば、中国や北朝鮮を抑止すると同時に、日本を安心させなければならないからである。

この点について、1960年代の英国の国防大臣であったデニス・ヒーリーが、「ロシア人を抑止するには5%の信頼性で十分だが、ヨーロッパ人を安心させるためには95%の信頼性が必要である」という言葉を残している。

つまり、敵であるロシア人を抑止するには、核兵器が使われる可能性が5%程度でもあれば抑止できるが、味方であるヨーロッパ人を安心させるためには、核兵器が95%の可能性で使われると信じていなければ安心できないという意味である。これは「ヒーリーの定理」とも呼ばれるが、拡大抑止を巡る米国と同盟国との認識ギャップを端的に要約した言葉としてしばしば引用される。

何をすれば「安心」できるかを決めるのは日本人

これは、現在の日本にも当てはまる。ただし、「95%の信頼性」はあくまで主観的なもので、これを測定する客観的な基準は存在しない。言い換えれば、「95%の信頼性」があるかどうかを判断するのは、拡大抑止の受益国である国民自身の主観的な認識によるのである。そのため、日本が「拡大抑止の信頼性が十分にあると安心できる」ために米国に何をしてほしいかは、日本人自身が議論して決めていかねばならないということでもある。



例えば、NATOで行っているような「核シェアリング」が日本でも必要であるという議論がある。核シェアリングの本質的な目的は、相手国を「抑止」することでは必ずしもない。「核シェアリング」は、核兵器の運用に一定程度関わることで、同盟国を「安心」させることを主眼とするものであり、抑止力はその「安心」を通じて強化される。ところが「安心」とは主観的なものであり、国民の人ひとりが考えた上で、「安心できるか、できないか」が決まってくるものである。

「核シェアリングがなければ安心できない」という人がいれば、「核シェアリングがなくても安心できる」という人もいるだろう。別の言い方をすれば、何をすれば国民が「安心」できるかについて単一の回答は存在しないということでもある。

必要なのは、1人ひとりが、何をすれば「安心」できるか、正確な情報に基づいて、自分で考え、議論を深め、本当に必要なことについて納得することである。その納得こそが、抑止力を本当の意味で支える。必要なのは、核兵器の脅威に対し、何があれば自分が「安心」できるのか、1人ひとりが考え抜いて答えを導き出していくことである。

国防に詳しい=『軍事オタク』ではない

長い間、日本において軍事はある種のタブーであった。

軍事に関心を持つのは自衛隊に関わる仕事をしているか、「軍事オタク」と見なされるごく一部の人で、政策論として幅広く議論されることはほとんどなかった。これは、第2次世界大戦後の日本が長い間、安全保障を米国に依存しきっていたために、安全保障や軍事を巡る問題を考えなくてもすむ時代が長く続いてきたことが大きな理由であろう。

しかし、グローバルなパワーバランスは変化し、米国の軍事力ももはや絶対的なものではなくなってきた。そして、日本周辺に安全保障上の対立が事実として存在しており、日本は、安全保障や軍事について、より当事者意識を持たなければならなくなっている。

そのため、日本人は、善とか悪とかといったことではなく、否が応でも「ステートクラフトとしての防衛力(軍事力)」を、価値中立的に考えなければならなくなってきている。そして、抑止力を強化した上で、安全保障上の対立が戦争にエスカレートしないように、危機管理に取り組んでいかなければならなくなっているのである。

そのためには、一部の官僚や専門家だけでなく、国民全体がある程度の軍事に関する知識を持つことが必要である。日本は民主主義国家であり、自衛隊といえども国の一機関である。ステートクラフトの手段として、自衛隊が戦争を抑止するために適切に整備され、運用されているのか。それを見守り、必要があれば別の意見を提示していくこと、それが納税者としての国民の権利であり、責任であり、義務でもあるのである。

『日本で軍事を語るということ -軍事分析入門』(中央公論新社)

高橋杉雄

2023年7月24日

1925円(税込み)

272ページ

ISBN:

978-4-12-005679-6

ウクライナ侵攻が露わにした「大国間大戦争」時代の到来。中国、北朝鮮――日本の安全保障環境が厳しさを増す中、いま必要な軍事知識とは。日本の防衛政策の第一人者による、軍事を理解するための入門書。

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