酷暑の夏。甘糟りり子が生き残るために始めた“スパイス”活動、鎌倉にてカレー三昧の日々
集英社オンライン / 2023年7月29日 11時0分
鎌倉で育ち、今も鎌倉に住み、当地を愛し続ける作家の甘糟りり子氏。食に関するエッセイも多い氏が、鎌倉だから味わえる美味のあれこれをお届けする。今回は、うだるような暑さが続くなか、刺激と暑気払いを求めて始めた「スパイス活動」〜鎌倉カレー三昧の様子をお届けする。
「暑い…」という言葉を自分に禁じてみるものの
暑い。という言葉を自分に禁止しているのだけれど、それでもつぶやいてしまう。暑い、暑―いぃ。災害級ともいわれる酷暑の夏、三日とあけずにスパイス料理を食べている。味覚的にというより、生き残るために身体がスパイスを欲している気がするのだ。
この夏のスパイス活動を記録した。
とある暑い日。
極楽寺の「アナン邸」に行く。1958年開業、3代に渡ってインド人が経営するスパイス専門店。鎌倉のスーパーではたいてい「カレーブック」と名付けられた黄色いパッケージのこちらのスパイスセットが売られていて、馴染みのある人は多い。私は高校生までインドからの輸入品だと思っていたので、鎌倉発と知った時はおどろいた。
極楽寺橋のほど近く、築百年の日本家屋で営む店には、いろんな種類のスパイスはもちろん、チャイのセットやオリジナルの塩、カレー出汁にインディカ米、豆などインド料理に関するものがずらりと並んでいる。レシピ本もある。
この日はターメリックの大きなボトルを買いに来たのだけれど、目移りしてしまう。本屋と同じでこういう無駄な目移りが楽しいし、そこから新しい自分の好みやセンスが生まれるものだ。カレー出汁を迷ってやめ、ターメリックとチャイのセットを購入。とはいえ、気になってしようがないから、きっと私は近いうちにカレー出汁を買いに行くだろう。専門店めぐりは楽しい。
見た目も味もかなりクセのあるカレー
とあるもっと暑い日。
友人への暑中見舞いにお気に入りのカレーを送る約束をしていたので、ランチがてら大町は農協近くにある「極楽カリー」を訪問。こちらは冷凍で販売もしているので、時々、ありきたりな美味に飽きている人に「ちょっとしたお返し」をしたい時に使う。見た目も味もかなりクセのあるカレーで、ハマる人はハマるけれどそうでない人にとってはよくわからない代物かもしれない。
私はたまに、このカリーが頭に浮かぶと、食べたくて食べたくて仕方がなくなり、他のものを口にしても上の空になってしまう。ある友人は「最初はビジュアルにちょっと引いた」といいつつも堪能してくれたというし、ある友人はゆで卵を添えて楽しんでくれた。また別の友人は「私はおいしかった」そうだが、どうやらパートナーの口には合わなかったみたい。角度のついたカレーだから、そんなこともたまにある。
冷凍のカレーを湯煎して、濾してから食べるのだが、その際、濾したオイルも取っておいて炒めものに使う。キャベツが私のおすすめだ。その際、キャベツは包丁を使わず、手でちぎる。
こちらのカレーは骨付きのチキンを何種類ものスパイスとトマト、ニンニク、玉葱、生姜で煮こんだもの。スープではなくルウでもなく、ほろっほろに解けたチキンを味わうカレーである。焦茶色になった鶏肉の集合体なので、「映え」はない。水は一切使わず、味付けは塩のみで、パキスタンのスタイルだそう。使われているスパイスは、ウコン、グローブ、クミン、コリアンダー、シナモン、カルダモン、ブラックペッパー。味は濃いのだけれど、意外と辛さはそれほどでもなく、かなりオイリー。食べ終わる頃には身体が内側からぽかぽかしてくる。これぞスパイスの醍醐味。
店でのメニューもこの極楽カリーのセットのみ。サラダとデザートが付いてくる。営業時間は12時から30食のみ。営業直後は並んでいることも多く、タイミングを逃すともうクローズしていることも少なくない。この日は炎天下の中数人ほど行列ができていて迷ったが、並んだ。サラダもデザートもしっかりおいしいので、並んででもいく価値あり。
高円寺からやってきた、ごく自然に本来の循環を体現しているお店
さらにもっともっともっと暑い日。
東京より友人来る。夜はコース料理の予定だったので、ランチは軽めにヴィーガンカレーにしようと、材木座の「香菜軒 寓」。2016年に高円寺から移転してきた。知り合いの編集者に「僕が大好きだったカレー屋さんが鎌倉に越しちゃったんですよ。ぜひ、行ってみてください。きっと気に入ると思うので」と教えてもらい、その名を知った。
場所は材木座の住宅街。手作りっぽい看板を入ると、簡素な小屋が三つ。一番の奥のキッチンがある小屋以外エアコンはない。私たちは真ん中の小屋に通される。扇風機のみ。おしゃれなインテリアなんかとは無縁。海のそばというより山奥が似合いそうな雰囲気で、「ポツンと一軒家」の世界。
メニューに魚や海老のカレーはあるが、肉、卵、乳製品、添加物、化学調味料、白砂糖は不使用。野菜は藤沢の柿右衛門農園のもの。柿右衛門農園では化学肥料や農薬は一切使用していない。店の一角では柿右衛門農園の野菜を無人販売している。「野菜カレー」「豆カレー」「カツオのスモークとキャベツのカレー」「天然エビのカレー」。「野菜」と「天然エビ」を選び、野菜の定食のセットで注文する。
ビーツのポタージュ、野菜の春巻き、漬物など盛りだくさんの野菜料理を食べ、ぷうっと膨らんだインドの揚げパン・プーリーを食べ、玄米とカレーも完食して、お腹がいっぱいになったはずだけれど、膨満感は皆無。普段、いかに余計なものを食べているのか思い知らされる。生き物としての正しさを少しだけでも取り戻せたのかしらん(何しろ単純なもので)。
ファッションとしての、あるいはアピールとしての SDGSではなく、ごく自然に本来の循環を体現しているお店。汗だくになって店を出る頃、私のような消費型バブル人間は申し訳ない気持ちにもなった。
流行の店ではなく、アットホームな食堂、そこがいい
まだまださらに暑いある日。
夕方、買い出しのついでに御成通りから少し外れた場所にあるその名の「スパイスハウス ぺぺ」に行く。ここはジャンルを超えてスパイスを使った料理を提供している。メニューには、カレーはもちろん、激辛坦々麺やメキシカンライス、麻婆豆腐もある。
看板メニュー「マサラライス」を注文。鶏のモモ、ムネ、ハツ、レバー、砂肝を16種類のスパイスで煮込んだもの。ここはとにかく一皿の量が多いので、食べ切れず。スパイスケーキには辿り着けなかった。隣のテーブルには子供二人の家族連れ。流行のスパイス料理の店ではなく、アットホームな食堂で、そこがいい。
さらっとしたルウを楽しむカレー
立ちくらみがしそうに暑いある日。
母の病院の付き添いのかえりにまだ未訪だった「勝沼亭」。同名の西麻布のフレンチレストランが2017年にカレー専門店として鎌倉で復活したのがここだ。由比ヶ浜の駅から徒歩十五歩くらいに位置している。クラシックな佇まいの外観はカレー専門店というより、客層の良いビストロといった印象である。こじんまりとした店内も同様の雰囲気。壁には、1974年4月のJAPAN TIMESの記事が飾ってある。西麻布の勝沼亭が初めて掲載されたものだとか。
ライスを小盛りで代表的メニューのポークカレーを注文。羅臼昆布の出汁を使っているというカレーはあっさりと品がいい。当然のことながらスパイスが強調されたものではなく、さらっとしたルウを楽しむカレー。89歳の母もおいしく食べられた。
ラッシーが救いの神になる辛さ
やけになりそうなぐらい暑いある日。
ジムの帰りに「旧ヤム邸」。大阪が本店のこちらはスパイスカレーのブームに火付け役的存在だとか。大阪に3店舗、都内にも3店舗ある。鎌倉店は古い日本家屋が使われており、由比ヶ浜通り沿いにある。大仏からも長谷観音からも歩いて数分というロケーション。
鎌倉はきちんと作られた古い家が住む人がいなくて朽ちていき、結局取り壊されることが少なくない。こうして店舗として利用されているとほっとする。
そばちょこに入った月替りのスープカレーにキーマカレーがセットになるスタイル。色とりどりの野菜が添えられていて映える一皿。日本家屋と相まって女子受けしそうだなーなどと油断していたら、けっこう辛い。いや、かなり辛い。ラッシーが救いの神に思えた。
奥のテーブルには小学校低学年と思しき女の子と両親らしき男女がカレーを食べていた。時々女性が何かを尋ねると、その都度「大丈夫っ」と元気よく返事している。多分、辛くないか確認されているのだろう。
お会計の際、スタッフに小さな女の子も同じメニューだったのかを尋ねると、子供向けのカレーは用意がないそう。「元気よく、おいしかったです!といってくれたんですよ」とのこと。
将来有望だ。両親の外食について行きたがり、大人の食べるものに興味津々だった昔の自分を見たような気がする。
そして、この夏、絶対に食べようと思っているのは、「露座」のカレー蕎麦。大仏近くのビルの2階で鎌倉出身の男性が営む、かなり本気度の高いスパイスの店だ。販売機で食券を買うスタイルもおもしろい。ふだんはカレーのみだけれど予約して頼んでおけば、インドの混ぜご飯「ビリヤニ」も可能。
私は、ここで初めてビリヤニを食べ、折り重なるようにやってくるさまざまなスパイスの味わいに圧倒された。スパイス・ハイボールなんていうものがあるかと思えば、朝営業もやっていたり、スパイスという縦軸に自由自在が絡まっている感じなのだ。どれぐらい自由かというと夏限定で冷たいカレー蕎麦があるぐらい。
カレー蕎麦をあてにスパイスハイボールを予定しているのだけれど、そんなことしたらその日は原稿も家事もできなくなりそう。ま、いっか。
だって毎日暑過ぎるんだもん。
写真・文/甘糟りり子
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