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〈西川きよし芸能生活60周年〉吉本の新人芸人だった西川きよしが人気女優・ヘレンと急接近できた大幸運の出来事とは。ダイヤモンド婚を迎える夫婦の馴れ初め

集英社オンライン / 2023年8月8日 11時1分

昭和39年に、松竹から吉本興業に移籍した西川潔(きよし・西川きよしの本名)。師匠の身の回りの世話ばかりの日々、舞台に上がる時はクマの着ぐるみ…そんな西川に「男」としての転機が訪れる。先輩芸人で、本来なら手の届かない人気女優「ヘレン姉さん」との急接近──2人の距離を縮めた出来事とその後を、『小さなことからコツコツと 西川きよし自伝』(文藝春秋)より、一部抜粋、再構成してお届けする。〈サムネイル写真(左)/文藝春秋、サムネイル写真(右)/吉本興業提供〉

5ヶ月先輩「ヘレン杉本」との出会い

私が吉本に入る5カ月前に、一人の金髪碧眼の女性が入団しました。5カ月とはいえ先輩は先輩なので、私はその女性のことを「ヘレン姉さん」と呼び、彼女は私を「キー坊」と呼びます。読者諸賢お察しの通り、いまの女房・西川ヘレンのことで、当時彼女は「ヘレン杉本」と名乗っていたのです。



舞台での場面は違えど、彼女のセリフは毎回同じです。

「ワタシガイジンヤカラ、ニホンゴ、ワッカリマセーン」

青い目の女の子(年齢は私より3カ月下)が、コテコテの関西弁で放つギャグに、割れんばかりの大爆笑が起きます。

昭和38年(1963年)、石井均に弟子入りし、翌年、吉本新喜劇に移籍した西川潔(きよし)〈写真/吉本興業提供〉

ヘレンはアイルランド系アメリカ人の父と京都生まれの母の間に生まれた一人娘。京都にある佛教大学の系列校・華頂(かちょう)女子高校を中退してすぐに吉本に入社し、「スチャラカ社員」の4代目女性事務員役として人気急上昇中の若手女優でした。

彼女は想像を絶するほどの苦労人です。小さなころから、歌、踊り、タップダンス、英語、ピアノを習う才女ですが、周囲からは偏見の目で見られることが少なくなかったのです。周囲には戦争で家族を失った人たちもいましたから、外見だけで「敵国の少女」と見られてしまう。

傷痍(しょうい)軍人の募金にお金を入れようとしたら手を叩かれて、「お前の金などいらん」と怒鳴りつけられたこともあったといいます。子どものころからそんな苦労を経験しているだけに、自分の努力で独り立ちしたいという向上心が誰よりも強かったのです。

もちろん、そんな彼女の苦労話を当時の私は知る由もありません。後になってお付き合いするようになってから少しずつ知ることになるのですが、たった5カ月の入社の差なのに、「通行人A」から「クマの着ぐるみ」に昇格して喜んでいる私の目に、彼女が眩しいばかりの大スターに映っていたのは確かです。

ヘレン姉さんとの急接近

そんなある日、うめだ花月の稽古場でのこと。私は吉本の偉い人から呼ばれてこう言われました。

「西川、お前の家でヘレンをちょっと休ませてやってくれんか」

聞けば、ヘレン姉さんは扁桃腺を腫らしているものの病院に行くほどではない、とのこと。

稽古場から一番近くに住んでいる私の家で、一晩面倒を見てやってほしいというのです。

当時、私の父親はモータープール(駐車場)の管理人をしており、その管理事務所に一家で住んでいました。6畳間と10畳間の2部屋で、6畳間に両親、10畳間に子どもたちが暮らしています。吉本に移ってからは私も住み込みではなく“通いの身”だったのです。

私はうれしかった。売れっ子女優に自分の実家で療養してもらえるのもさることながら、会社の上層部が下っ端の私を「西川」と名前で呼び、しかも私の実家がそこから近いところにあることまで知っていてくれたことに感動しました。

断る理由などありません。私は40度の熱に苦しむヘレン姉さんをタクシーに乗せると、ワンメーターの距離のところにある実家に連れて行きました。

平成25年(2017年)に金婚式、2027年にはダイヤモンド婚式を迎える西川夫妻〈写真/文藝春秋提供〉

普段テレビで観ている女優さんが突然やって来た我が家は、上を下への大騒ぎです。私はとりあえず10畳の部屋に彼女を寝かせ、父親は氷枕と氷を買ってきてカチワリを作り、母親は「おかゆさん」をこしらえて梅干しを添えて彼女に食べさせる。そうこうするうちに姉や兄らが帰ってきて、総勢7人の西川家は、6畳間にまさにすし詰め状態で一夜を明かしたのです。

翌朝、ヘレン姉さんは熱も下がって、家族一同ひと安心。そこに彼女のお母さんが生八つ橋 を手土産に、京都から迎えにやって来ました。

ヘレン姉さんは母一人娘一人の母子家庭ですから、我が家のように狭い家に7人もの家族が暮らす姿に驚いたようです。それでもそこに「家族の温かみ」のようなものを感じたようでもありました。特に彼女は私の姉たちとすぐに打ち解けて、仲良く話をしている姿が印象に残っています。一人っ子の彼女には私の姉が「お姉さん」のように思えたのでしょう。そんな姿を見て、私も喜びを隠せないでいました。

この一件以来、ヘレン姉さんとの間は急速に近づいていきます。先輩後輩の間柄は変わらないものの、細かなことが少しずつ変わっていったのです。

「牛乳2本とパン2個」深まる2人の仲

朝、姉さんの楽屋を訪ねて、
「おはようございます」と挨拶をする。
以前だったら、
「おはよう。キー坊、牛乳とパン買(こ)うてきて」
となるところが、
「牛乳2本とパン2個買うてきて」に変わったのです。

もちろん増えた「1本」と「1個」は私の分。彼女との距離が近づいた喜びもありましたが、恥ずかしながら「1食浮く」という喜びのほうが大きかった。次第に私も厚かましくなり、2人の間では100円を借りたり返したり、ということも……。人気コメディエンヌと付き人のような関係が急速に縮まり、いつしか呼び方も「姉さん」から「ヘレン」へと変わっていく。自然な流れで2人の仲は深まっていきました。

昭和42年(1967年)、先輩芸人だった杉本ヘレンと同棲を経て結婚〈写真/吉本興業提供〉

職場結婚を嫌う吉本のこと。まして売れっ子女優の人気が下がることは何としても避けたいところです。2人の間にあった高い障壁は、いつしか2人の将来に立ちふさがるようになっていました。

それでも若い2人にはその壁を乗り越える覚悟がありました。西成にアパートを借りて、同棲を始めたのです。

アパートの名前は「熱海荘」。六畳一間のささやかな愛の巣でした。



文/西川きよし
写真/文藝春秋、吉本興業提供

『小さなことからコツコツと 西川きよし自伝』

2023年6月28日

1,760円

192ページ

ISBN:

94763140609

17歳で喜劇役者の石井均に弟子入りし、翌年に吉本新喜劇へ。ヘレン夫人との出会い、歴代総理との交流など秘話満載。

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