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又吉直樹「火花を書いた時はエゴサをしました」…タレントが小説を書くということ。永遠につきまとう「作品性」か「作家性」かの問題

集英社オンライン / 2023年8月5日 10時1分

人気お笑いコンビ・ラランドのニシダが今夏、初めての小説集『不器用で』を刊行。これを受けての芸人であり作家でもある先輩・又吉直樹との対談前編は、ニシダが大緊張の中、小説を書くという行為について語り合った。後編は、作品を世に出すことの不安について、ニシダが又吉に尋ねる。

#1

「火花」を書いたとき、又吉直樹もエゴサした

又吉 ニシダくんはそれこそ『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「読書芸人」でも川端康成とか大江健三郎とか、とんでもない大作家を好きだと公言してるでしょう。そこから小説書くって、結構怖いよね。

ニシダ 怖いです…!

又吉 「小説あんまり読まないですけど書いてみました」って人だと、下手でも「頑張って書いたんやな」ってなる。でも僕もそうやけど、散々「好き」って言ってるとちょっと違う怖さがあるよね。これはあんまりみんなはわからない気持ちなのかもしれないけど。



ニシダ 今回、『不器用で』のキャッチコピーに「年間100 冊を読破、無類の読書好きとして知られるニシダが」って書いてあるんです。見るたびに「どこでハードル上げてるんだろう」って毎回思ってしまってます。

又吉 (笑)。でも読む側からしたら「それだけ本を読んでる人はどんなものを書くんやろう」って興味はあるんでしょうしね。

ニシダ ひとつ気になってるのは、太宰が好きだといろんなところで言っていると、僕が書いたものを読んだ人が文章の中に太宰のエッセンスを探すんですよね。「太宰が好きだからこう書いたんだな」って理解のしかたをされることがあるというか。又吉さんもそういう反応は感じますか?

又吉 それはあるでしょうね。僕は人の反応を自分から取りに行かないから、そういう感想に触れる機会は多くないんですよ。でも僕が見てないだけで言われてるんやと思います。

ニシダ 自分は死ぬほどエゴサするんですけど、しないですか?

又吉 『火花』を書いたときは少ししました。お笑いの場合だとライブでウケたとかウケへんかったとか、なんとなく体感でわかるじゃないですか。だけど小説の場合は笑い声が聞こえてくるわけじゃないから、どういう反応なのかちょっとだけ見ようと思って。でもやっぱ見ないほうがいいなって思ってます。嫌なこと言われてたときに、僕は結構心が乱されるタイプやから。

ニシダ 本になるとき、何度も読み返したり直したりしてるうちに、本当に面白いのかどうか人の評価にあたらないと自分が保てない感じがあったんです。又吉さんは書いていて、人の評価じゃなく自分の基準で「これは面白い」と思える軸がありますか?

又吉 それがいいことかわからないんですけど、僕はありますね。多分もともとイタさというか独りよがりな部分があって。みんな寝る前に読むように枕元に好きな本を置くじゃないですか。

あんまり言いたくないんですけど、僕、それが自分の本なんですよ。寝る前に自分の本を開いて読んで「面白いな」って(笑)。小説は読み返すのに気合い入れないと怖さがあるから、エッセイですけどね。でも発表するときは、誰が「おもんない」って言ったとしてもこれは面白いはずだって勝手に思ってしまってるかもしれないですね。

ニシダ それは初めて小説を書いたときからずっとそうですか?

又吉 そうですね。「ふつう、人間ってどれくらい謙遜するんかな」とか考えて、「いや、自信ないです」って振る舞うようにはするけど、基本的には自分の作るものは結構好きというか。

もちろん「これで完璧や」とはまったく思わないし、他者が読んだときに面白いと評価してくれるかどうか、不安はあります。でもそれとは別個で、自分が作ったものを自分で面白いと思えるというところだけはわりと保ててるかもしれない。それは僕の中では別なんですよね。

「作品性か作家性か」
永遠につきまとう問題とどう付き合うか

ニシダ 受け入れられるかとはまた別の部分で、自分で「面白い」とは思えるんですね。

又吉 そうですね。たとえば中学校のときとか、クラスの中でどっちかといったら暗かったし気持ち悪がられたりしてたけど、人気者の男子と自分を比べて「俺はダメなやつなんだ」と思ってはなかったんですよ。そのときくらいに、誰がなんて言おうが自分のこのスタイルや考え方は誰かによって規定されるものではないという意識が芽生えたんじゃないかな。そういうふうに世間の評価軸とはまた違うところに軸が一個あるかもしれない。

ニシダ めちゃくちゃうらやましいというか、ものを作る上ではそれが健全なんだろうなと思いました。ネタも書いてないので、自分が考えたことを創作物として発表すること自体が初めてだったんです。だから小説を出すとき、めちゃくちゃ怖くて「面白いのかな」って不安になってしまって。でもその感覚はなくなったほうが絶対いいんだろうなと思ってます。

又吉 それが完全になくなるのは難しいかもしれないですね。僕も怖いのは怖いし、みんなに「全然おもんないです、嫌いです」って言われる可能性はあるよな、ってどっかで思ってて。せっかく作ったものは人にちゃんと読んで喜んでもらいたいって気持ちも、やっぱりどこかにはあるから。でもそうなったときに発動する自分の軸みたいなものと、両方ある感じでしょうね。

――又吉さんやニシダさんの作品は、顔や名前を知った状態で読んでいる人が多いと思います。「文芸誌の新人賞を獲ってデビューしました」というかたとは事前の情報量がまったく違うわけですよね。そこはどう折り合いをつけてますか?

ニシダ 又吉さんは、そこはもう乗り越えたところですか?

又吉 うーん、どうなんですかね。今までも何度かそういうことを指摘されたこともあるけど、いいようにとらえてるかもしれないです。

作品性か作家性かみたいな話って永遠につきまとう問題ではあるけど、そこを無にはできないというか。俳句なら、十七音の作品があってその下に「芭蕉」って入って初めてその一句が作品化するという考えがある。

無記名で出してどの句がいちばんよかったか選ぶのが健全なんじゃないかという考えもあるけど、でもそこに名前があるのはその人の人生が乗っかってたり、その人が責任を持って自分の判子を押しているというところも含んだ作品やと思う。知られていようが知られていまいが、書いていったら作家性ってものは絶対誰かに語られ始めるんですよね。

出版社の大社長の息子として生まれてきて、生まれた瞬間から本を出版することが許されてる人間やったら気にするかもしれないけど、全員同じ条件で生まれてきて同じように書店に行って本を買って読んで、書きたいと思ったあるいは誰かに書くように言われたタイミングがやってきてるわけだから、そこは一緒なんちゃうかな。

そういうふうに考えてるけど、でもたしかに同業者の先輩や友達から「読んでるとどうしても主人公を又吉らしき人間で想像してしまう」とか「又吉がこんなこと考えてるんだと思って読みにくい」とか言われたことはありますね。

「俺は今、"無免許”で小説を書いてるんじゃないか」

ニシダ 難しいですよね。僕らはもともと2019年の『M-1グランプリ』敗者復活戦で初めてテレビに出られて、そこで知ってもらえて仕事が増えていった経緯があります。だから、敗者復活戦で何か免許みたいなものをもらえたような感覚がなんとなくあるんです。それでいうと小説に関しては、たまに「俺は今、無免許でやってるんじゃないか」と思ってしまうときがあって。

今後もずっと書き続けたいし書きたいこともいっぱいある中で、やっぱりなんらかの形で評価されたら、それが“免許”になるんじゃないかって思っちゃうんです。

――それはたとえば文学賞を獲るとか?

ニシダ
いちばんわかりやすいところだと、そうですね。罪悪感とまではいかないですけど、そういうふうにいつも思ってしまって。

又吉 そっか。同じように小説を書きたいと思って書いて、新人賞に応募しているけれどなかなか認めてもらえないって人たちからしたら、僕とかニシダくんを「芸人やから書けてるんやろ」って思う人もいるでしょうね。


ニシダ 又吉さんは自分とは全然違うと思うんですけど、でもそう思われてるんじゃないかっていう感覚は常にあります。

又吉 僕にしても多分いると思いますよ。そうか、そう思ってしまう人はしんどいでしょうね。

ニシダ 「うるせぇ」とも思うけど、でも「そうか」とも思ってしまうんですよね…。

又吉 たとえば同期の芸人が自分たちより先にテレビに出て評価されたときに、それを「うらやましい」と思う気持ちはどこかにありますよね。でもさっき言ったのと一緒で、そいつらが誰かに賄賂を渡したわけでもなく、生まれたときから持っている特別な関係性によるものでもない限り、嫉妬してもしゃあないというか。

条件は一緒やねんから、生まれてきて自分の表現をしたいなら覚悟を決めてやるしかないし、もっと多くの人に受け入れられたりまた次の本が出せるようにしたいと思うんだったら、それはやっぱり自分でなんとかするしかないんじゃないかなと僕は思うんです。

「嫌やな」と思ったら不満も言うし暴論みたいなことも言うけど、それをずっと言ってるとなかなか次のものを生み出せなくなるからずっとは言わないというか。「いや、あの人はあの人で何かしらの理由があって認められているわけやから、じゃあ自分には何ができるんやろ」って考えるようにしてますね。

ニシダ そうですよね。どうしてもたまに気になってしまって、よくないところです。

又吉 以前に編集者に話を聞きに行くテレビのロケがあったとき、誰かが「どういう人が作家に向いているんですか?」って質問したら、相手の人がすごい投げやりに「タレント、タレント」って言ったんですよ。そのときに「この人、俺らのこと嫌なんやろうな」って思って。そういう人と会ったりすると、ニシダくんみたいに気にしてしまうのはありますね。

でも僕はそのとき、「この人は本にかかわっているのにロマンがないから、面白い本を作るのは不可能やろうな」って思いました。この人が作る本、読みたくないなって。「タレントが書いたら読まれるから」って思ってる人がタレントと本作ったら嫌じゃないですか。そうじゃなくて、ニシダくんの人間性とか持ってるものを活かして本を書いたら面白いんじゃないかって考えた人と一緒に作りたくないですか?

ニシダ そうですね…。

又吉 外側のことは、たまに気になるけどあんまり気にしすぎずに、作る作品の中ですべてを表現するのがいちばん健全なのかなと思います。僕が言われすぎて感覚がおかしくなってるのかもしれないですけど(笑)。

取材・文/斎藤岬 写真/松木宏祐

不器用で

ニシダ

2023年7月24日

1,760円

208ページ

ISBN:

978-4041131138

鬱屈した日常を送るすべての人に突き刺さる、ラランド・ニシダの初小説!
年間100 冊を読破、無類の読書好きとして知られるニシダがついに小説を執筆。
繊細な観察眼と表現力が光る珠玉の5篇。

月と散文

又吉直樹

2023年3月24日

1,760円

360ページ

ISBN:

9784048971317

センチメンタルが生み出す爆発力、ナイーブがもたらす激情。
いろんなものが失くなってしまった日常だけれど、窓の外の夜空には月は出ていて、書き掛けの散文だけは確かにあった―― 16万部超のベストセラー『東京百景』から10年。又吉直樹の新作エッセイ集が待望の発売!

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