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スイッチ、ア・ストア・ロボット、上海タイムズ…当時のサブカル少年にとっての夢の館。1987年の新宿アルタへタイムリープしてみたら

集英社オンライン / 2023年8月6日 12時1分

もしも1時間だけタイムリープが可能だとしたら、いつの時代のどこへいく? そんなしょうもない妄想が楽しめるのも大人になった証拠なのかもしれない。

1時間限定のタイムリープなら、「1987年の、新宿アルタに行きます!」

もしもお好きな時間と場所にタイムリープができるとしたら、あなたはどこへ行くだろうか?

ただし、許されるのはきっかり1時間だけ。
しかも行けるのは、40年以内の過去のみ。
自分自身はもちろん、家族や友人をはじめ自分にかかわる人物との接触はいっさいNG。
また、歴史に刻まれた有名な事件や事故の現場へ行くのも見るのも御法度。
公共交通機関を使うのもダメ、移動は徒歩のみに限られる。

そんな、本稿筆者がこれから書きたいことに合わせた、ご都合主義的設定があったとしたら。



僕なら変化の激しい大都会・東京の街で、時間いっぱい買い物をして過ごすだろう。
それにしても、ただの筆者のお手盛り設定とはいえ、1時間はあまりに短い!
複数のショップを訪ねようと街中をあちらこちらへ歩いていたら、ロスタイムが多すぎてあっという間に時間切れになってしまいそうだ。

だったらもう、あそこしかあるまい。
僕はこう宣言する。
「1987年の、新宿アルタに行きます!」と。

新宿アルタとは、1980年に開業した東京・新宿駅東口前のファッションビル。
地上8階建てと、大規模な建物がひしめく新宿の中ではさほど大きくもない平凡なビルだが、7〜8階に設置された多目的スタジオ(スタジオアルタ)で、1982年からあの国民的番組『笑っていいとも!』の公開生放送がおこなわれていたため、その名は全国に響き渡った。
『笑っていいとも!』は2014年に最終回を迎え、スタジオ自体も役割を終えて2016年に閉鎖したが、地下2階〜地上6階のショッピング&飲食ゾーンは変わらず営業を続けている。

現在はどちらかというと女性専門の衣料品店や雑貨店が軒を連ねるアルタのショッピングゾーンだが、1980年代当時、特に3階と4階の2フロアは、個性派スタイルが好きなサブカル少年少女にとってファッションの聖地となっていた。パンクやニューウェーブが大好きだった高校生の僕も、よく新宿アルタに通っていたものだ。

昔も今も新宿東口のランドマークな新宿アルタ。Photo:AC

アルタに入っている店の多くは渋谷や原宿に本店があり、アルタ店はサテライトショップ的な役割だったが、高校生にとっては本店よりもずっと親しみやすかった。
小遣いが乏しく、主に“見る”専門で、たまに財布を出しても鼻くそみたいな小さくて安い小物しか買えなかった僕のようなガキンチョにとって、路面店である本店よりもビル内にあったアルタ店の方が気兼ねなく入ることができたのだ。

そういうわけで、1987年の新宿アルタへGO!
あの頃は買いたくても買えなかったモノを漁りに行くとしましょう。

モッズ御用達の『スイッチ』から、パンクス御用達の『ア・ストア・ロボット』へ

アクセサリーショップやファンシーショップが多かった1階や、レディス中心の2階には目もくれず、建物内左手のエスカレーターで3階へ一目散。

まずは『スイッチ』を攻めるのだ。
スイッチとは、原宿・表参道奥に本店があった有名モッズショップ。
1960年代のオリジナルモッズスタイル、1970年代のネオモッズスタイルといったロンドンファッションを決めたければ、ここへ行くのが一番だった。
ロンズデールのスウェットやキャバーンのモッズスーツ、ベンシャーマンやメルクのボタンダウンシャツなど、当時は指をくわえて見ていることしかできなかったロンドンファッションアイテムを、今こそ大人買いしよう。
このお店にはそうした有名ブランドもの以外にも、比較的安価に設定したショップオリジナルウェアや、バッジ、ワッペンなど小物類も充実していたので、当時はそっちばかり買っていた。

さらに個人的なことを言えば、大学生になってバイト代で懐が潤った僕は、原宿のスイッチ本店へ行き、憧れだったキャバーンの超細身モッズスーツを買ったものだ。
今より20kg弱痩せていた当時でもキツく感じるくらいピッタピタなスーツで、今だったら足一本通せないだろうが、とても懐かしい。

Photo:AC

4階に移動し、パンク&ニューウェーブ系サブカルボーイ直撃の憧れショップ、『ア・ストア・ロボット』へ。
ア・ストア・ロボットの本店は千駄ヶ谷に近い原宿の外れにあって、今も現役で営業を続けている。
1980年代当時、伝説のクラブ『ピテカントロプス・エレクトス』至近でもあるこのあたりは、感度の高いおしゃれピープルが集う最先端エリアで、ア・ストア・ロボット本店の敷居の高さも尋常じゃなかった。
店の前の道路ではいつもおしゃれな人たちがたむろし、スケボーで遊んでいたりしたので、僕なんかは何度も“今日こそ!”と思って近づきながら、そういう人たちの視線が気になり「ああダメだ」と引き返していた。今思うと、あの中に藤原ヒロシや高木完もいたはずなのだ。なんだか感慨深い。

そんなア・ストア・ロボット新宿アルタ店では何を買おうか。やっぱ、あれしかないだろう。ジョージコックスとロボット(ロンドン・キングスロードにあった本家のショップ『ロボット』)のダブルネームラバーソールだ。
当時のア・ストア・ロボットで展開していた商品は、セディショナリーズやセックスなどのヴィヴィアン・ウェストウッド直系なオリジナルパンクアイテムが中心だったが、とにかく当時の高校生には、どれもこれも高すぎて全然買えなかった。
今こそ、あの頃の恨みを晴らすのだ。

懐事情の厳しい高校生にも優しかったから思い出深い
『デプト・ストア』『上海タイムズ』『プープ・マクニン』

そして次は、同じ4階にある『デプト・ストア』である。
とはいえデプトは、原宿・明治通り沿いの地下にあった本店の方にも、高校生当時からよく行っていた。
原宿本店は広くていつもお客さんが多く、また買いやすい価格の古着を中心に小物なども多く扱っていたので、この手の最先端ショップの中では唯一と言っていいほど、高校生でも気軽に入れたのだ。
1987年当時、ヒップホップやスケーターのファッションアイテムを、いち早く取り揃えていたのもデプトだった。
最先端すぎて高校生にはついていけない部分もあったが、いま見たら懐かしくて涙が出るアイテムが揃っていそうだ。
ここではRUN DMC風の中折れハットや、西海岸風のド派手なスケートデッキでも買おうかな。
今も普通に買えるけど、アディダスのスーパースターを敢えてここで買い、その場で紐をひっこ抜いて履いてみるのもいいかもしれない。

そして次は『上海タイムズ』へ。
キッチュな中国雑貨で有名な、渋谷にあった『宇宙百貨』の姉妹店だ。
ここに並ぶのは、数百円というチープな価格設定の小物ばかりだったので、高校生当時から入り浸っていた。
多分、1987年の新宿アルタショップ群の中で、結局一番お金を落としていたのはここだったと思うので、大人買いができる今、敢えて行くこともないのかもしれない。
だけど、中国製品といえば激安なバッタモンばかりで、そこが逆に魅力的で面白かった1980年代と、中国が躍進を遂げた現在では感覚がまったく違うから、いろいろ新鮮かもしれない。
確か1000円前後だったカンフーシューズや、パッと見はいかついけど細部はチープな数千円のアンティーク調旅行用トランクなど買ってみたいかも。

待ち合わせする人も多い新宿アルタ前。Photo:Hikosaemon/flickr

そして最後は『プープ・マクニン』。
当時のアルタの中でも異彩を放っていたここは、沖縄に本店がある米軍放出品中心のサープラスショップで、品数の多さでは日本一を自負していたお店だ。
サープラスショップの商品も、高校生でも割と買いやすい値段だったので、当時の僕は、地元である東京・東久留米市に本店、渋谷に支店があった『東京ファントム』やこのプープ・マクニンであれこれ買っていた。
今日は、モッズ御用達の通称“モッズコート”M-51と、スキンヘッズ御用達のMA-1を一気買いするのだ。
80年代当時はチャラチャラしたヤツしか付けてなかったので避けてたけど、映画「トップガン」公開以降、異常に流行っていた米軍認識票を買ってもいいな。

ああ、楽しかった。
え?
もう、残り1分!?
時間が余ったらアルタを出てダッシュで帝都無線へ行き、インディーズバンドのレコードも買い漁りたかったんだけど、それはまた次の機会に。

文/佐藤誠二朗

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