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「確実にいえるのは、人は生まれた瞬間から死に向かって近づいているということだ」池波正太郎の歴史小説に学んだ「死」と「お金」のこと。中学生で遺書を書き、今も心付けを忘れない今村将吾

集英社オンライン / 2023年8月30日 17時1分

“教養”を高めるために最も有効な手段は歴史を学ぶこと。その導入として最適なものが歴史小説である、と語るのは直木賞作家の今村翔吾氏。小学生の頃から歴史小説を読み込んできた筆者が、仕事や人生へのその活かし方を指南してくれる一冊『教養としての歴史小説』。本記事では池波正太郎に学ぶ「死」と「お金」についての章を一部抜粋して紹介する。

小説を読んで「死」について考えてみよう

2020年に起きたコロナショックは、はからずも日本人の死生観を浮き彫りにしました。恐らく第二次世界大戦後、日本人が今回のコロナ騒動以上に死に直面して動揺した事態はなかったと思います。

資料から読みとる限り、日本人は第二次世界大戦までは、死を身近に感じている民族でした。前述のように、かつては医療水準が低く、天然痘やコレラなどの疫病で多くの死者が出たこともありましたし、飢餓や飢饉も頻繁に起きていました。



あるいは、モンゴル人が中国を征服して鎌倉時代の日本を攻め込んだ「元寇」のように、外敵に脅かされる事態もあれば、内乱に巻き込まれて命を落とす可能性も多分にありました。

そんな中で、日本人は死を冷静に受け止めながらも必死で生き抜こうと頑張っていたわけです。

日本人の死生観が大きく変わったのは、第二次世界大戦後です。

幸いなことに戦後、日本人は75年にわたって平和で健康的な生活に恵まれ、死に直面する機会が極端に少なくなりました。その間、日本人からは死に対する免疫が少しずつ失われていったのだと思います。

そこに降って湧いたのが、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延です。2020年2月13日、新型コロナウイルスによる国内初の死者が報じられると、多くの日本人が動揺し、われ先にとマスクを買い求めたり、外出する人を感情的に批判したりする光景が繰り広げられました。

もちろん私は、新型コロナの被害を軽視しているわけではないですし、コロナごときでビクビクするなと言いたいわけでもありません。現実に新型コロナで亡くなった人がいて、それを悲しむ気持ちはあります。

ただ、天然痘やペスト、スペイン風邪といった過去に流行した感染症の致死率からすると、コロナの死者数は桁外れに少なかったはずなのに、日本人は当時と同等かそれ以上に動揺しました。

その様子から「日本人は死に対する免疫をここまで失っていたのか」と衝撃を受けたのです。善し悪しの問題ではなく、戦後の日本人からは「自分がいつ死ぬかわからない」という感覚が徹底的に失われたということを実感させられました。

ことさら死を怖がるのでもなく、命を軽んじるのでもなく、日本人はもっと死について考える必要があります。そのきっかけとなり得るのが歴史小説ではないかと考えています。

池波正太郎を読んで遺書を書いていた

武士の切腹や戦時中の特攻隊のイメージから、海外では日本人が「名誉の死を望む民族」と評されることがあります。しかし、日本人は死を望む民族だったわけではありません。

本心では死を怖がり忌避しつつも、避けて通れないものとして必死に受け入れようとしてきた民族ではないかと思うのです。

歴史に名を残す英雄も、死を意識しながら、自分の生を精一杯生き抜いた人たちでした。私たちはそんな人物をとり上げて物語にしているわけです。歴史小説が生と死を考えるテキストになるのも必然といえます。

歴史小説家の中でも、生と死を強く意識していた書き手として思い浮かぶのは、なんといっても池波正太郎です。池波正太郎は死をめぐって、しばしば次のようなことを書いています。

「頭の上に石がぶらさがっていて、いつ紐が切れて落ちてもおかしくない。そのように、昔の人は常に覚悟しながら生きていた」

「確実にいえるのは、人は生まれた瞬間から死に向かって近づいているということだ」


私自身、池波先生の死生観から多大な影響を受けています。作品を読み込んでいた中学生の頃から、いずれ死ぬなら自分はこの世界に何を残せるのだろうと考えるようになりました。

「このまま大人になっても、信長のように天下をとれるわけでもないだろう。だからといって、のうのうと生きて一生を終えてしまって本当にいいのだろうか」

一種の中二病かもしれませんが、本気で自問自答を繰り返していました。

今でも死ぬのは嫌ですし、死にたいと思っているわけではないですが、いつ死ぬかもわからないと思いながら毎日を生きています。

実際に同業者の中にはハードな仕事がたたって40代で命を落としている人もいます。他人事ではありません。

私は30歳をすぎて作家として活動を始めた頃、遺言書を書きました。

「今自分が死んだら、誰が著作権を管理することになるんだろうか」

あるときそう考え、いつ死んでも構わないように遺言書をのこしたのです。

歴史上の人物で、心底満足して一生をやり遂げた人間は、ほとんどいなかったのかもしれません。たとえば、葛飾北斎は90歳まで生きて絵を描きましたが、死ぬ際の様子が次のように記録されています。

翁死に臨み、大息し「天我をして十年の命を長らわしめば」といい、暫くして更に謂いて曰く、「天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし」と、言訖りて死す。(『葛飾北斎伝』飯島虚心著、鈴木重三校注、岩波文庫、P169〜170)

「あと10年、いやあと5年長生きできたら、本当の絵描きになれたのに」と言いながら絶命したというのです。何歳まで生きようが、どういう生き方をしようが、人間とはそう思う生き物なのでしょう。

人生はゴールのない道を歩いているようなもの。だからこそ面白いといえますし、面白いと思えることで人間として成熟できるのではないかと思うのです。

池波正太郎に学んだお金の使い方

歴史小説には、作者の人生哲学も投影されており、私たちは物語を通じて人としてのあり方や振る舞いを学ぶことができます。

先ほど、池波先生の話を出したので、続けて池波先生の例を挙げてみましょう。

池波正太郎の作品には、主人公がしばしば仕事の中で身銭を切る姿が描写されます。池波先生自身、エッセイなどでチップの習慣についてたびたび言及しています。

タクシーに乗ってメーターが500円だったら600円を渡す。たった100円でも、渡せば自分が気持ちいいし、もらったほうもいい気分になれます。

それが社会全体に広がっていけば、私たちが住む世界はもっと良くなるというわけです。

池波先生は、旅館などに泊まるときは、心づけを先に渡すと書いていました。最初に渡せば、サービスが良くなって快適に滞在できるからです。

それを読んでいた私は高校の卒業旅行の際、ポチ袋に1000円札を入れて旅館の仲居さんに渡したことがあります。

ずいぶんませた高校生です。仲居さんにびっくりされ、「ご両親が立派な教育をされているんですね」と言われたので、「いえいえ、池波正太郎先生の教えです」と答えた記憶があります。

今でも「身銭を切る」ことを心がけています。

旅館に宿泊するときには必ずポチ袋を持参しますし、タクシーではお札で渡してお釣りをもらわないようにしています。電子決済が普及した今では、それも難しくなってきたのですが……。

あるとき、地元で利用したタクシーの車内に忘れ物をしてしまい、直接持ってきてもらったことがあります。運転手さんからは「無料でいいです」と言われたのですが、「これでコーヒーかタバコでも買ってください」と心づけを渡しました。

運転手さんは思った以上に喜んでくれ、「つかまらへんときとか、いつでも行くんで」といい、名刺を渡してくれました。

今、東京出張のため早朝に出発することもあるのですが、滋賀県はタクシーが少ないので、駅までの足に困るケースが多々あります。そんなときに電話をすると、その運転手さんが駆けつけてくれます。もはや専属タクシーみたいなものです。

ある年末、子育てをしているわが社のスタッフにお年玉を渡したら、年明けにそのスタッフから動画が送られてきました。

見ると、幼稚園児と小学生の女の子2人が正座をしながら「今村先生、お年玉ありがとう」と挨拶をしていました。本当にいいお金の使い方をしたと思ったものです。

私は1円でも無駄なお金を使いたくない性分ですが、生きたお金なら惜しまずに使おうと思っています。稼ぎのあるなしとか金額の大小にかかわらず、生きたお金を使うことの大切さを池波正太郎から教えてもらったのです。

文/今村翔吾
写真/すべてshutterstock

教養としての歴史小説(ダイヤモンド社)

今村 翔吾

2023年8月30日発売

¥1,760

282ページ

ISBN:

978-4478118528

【著者累計180万部突破】
ビジネスパーソン必読の書

直木賞作家が本気で教える仕事と人生に効く歴史小説

学校では絶対に教えてくれない歴史の学び方

教養を高める最も有力な手段は、歴史を学ぶこと。なにしろ歴史には、これまでの人類の営みが凝縮されているのだ。
政治も経済も芸術も宗教も、すべて歴史を通じて参照できる。一方で、歴史というと、なんとなく、とっつきにくい印象を抱く人が多いのも事実。

そんな人は、ほとんどの場合、年号や歴史上の人物を暗記させるような学校の授業が、「つまらない」と感じて離脱している。

しかし、好きな「時代」や「人物」から興味を広げていけば、確実に歴史を好きになれる。そして、その導入として最適なのが「歴史小説」なのだ。

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