広島・巨人で活躍した左腕エースはなぜ60歳を過ぎて故郷・鳥取への地方移住を決意したのか?
集英社オンライン / 2023年8月30日 18時1分
元プロ野球選手の川口和久氏は還暦を過ぎて、故郷の鳥取に移住した。なぜ川口氏は地元で晩年を過ごすことを決意したのか。『「我がまち」からの地方創生』(平凡社)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
母の葬儀をきっかけに
コロナ禍が全国に広がっていた2020年11月のこと。
かつてプロ野球広島カープと読売ジャイアンツの投手として活躍し、引退後はジャイアンツのピッチングコーチも務めた川口和久氏(当時60歳)は、母の葬儀に出席するために一家で故郷の鳥取市に帰省していた。
そこには、家族仲の良さを物語るように、一族約40人がしめやかな中にも和やかな雰囲気で集まっていた。そのフランクなやりとりを聞いていて、川口氏の妻淳子さんには、感じるものがあった。
「改めて家族っていいなと思ったんです。お義母さんの生前ももちろん皆仲良かったし、私にもよくしてくれました。みなさん鳥取を中心に生活されていて、いつもこんな調子で集まっているんだろうなと羨ましく思いました。こんな親戚との関係を娘たちにも味わわせてあげたい。そう思って、思わず夫にこう言ったんです」
――ねぇお父さん、私たち鳥取に移住しない?
淳子さんは思い切って、夫の故郷の鳥取への移住を提案したのだ。一般的に言って、妻から夫の「故郷移住」の提案をしてくるのは珍しい。普通は夫が故郷へ戻りたいと思っても、妻が反対して計画が流れることが多いと言われている。日頃の夫婦仲の良さがこう言わせたのだろうか。
とはいえ、驚いたのは川口氏だった。
確かに故郷に戻れるのは嬉しいけれど、高校を卒業して以来ずっと広島県と東京圏(神奈川県川崎市)で生活してきたから、故郷鳥取の生活に馴染めるのか?
そう思った川口氏は、そのときから月に一度、夫婦2人と愛犬・愛猫とともに、愛車で8時間かけて鳥取に実験的に帰省するようになる。
はたして還暦を過ぎて故郷で暮らしていけるのか―—。不安も大きかったという。
ところが。18歳の高校卒業以来四十数年ぶりの故郷鳥取は、刺激に満ちていた。これまでも実家に帰省することはたびたびあったが、それは「旅人感覚」の訪問だった。今回「生活者目線」で故郷のまちに戻ってみると、親戚との付き合いだけでなく見るもの・やることが全て新鮮だったのだ。
夏は家から5分で、水着のままで海水浴に行ける。趣味のゴルフも海釣りも、移動の渋滞なしですぐにできる。もちろん満員電車に乗る必要もないし、そもそも満員電車が走っていない。
広島、巨人のエースを待っていた第3の人生
食べ物は、お米も野菜も魚も果物も全て美味しい。
ノドグロ、マツバガニなど東京では高級な食材も地元では激安だ。さらには牛肉も、全国的に見て鳥取和牛は肉質ナンバーワンと言われている。実は鳥取は古くから和牛の産地として知られ、全国各地のブランド牛の始祖になっているのも、鳥取の種雄牛(しゅゆうぎゅう)なのだ。
これだけ美味しい食事をとりながら、生活費は都内の3分の1もかからない。
問題は、都内に残した仕事だった。シーズン中は野球の解説が月に数回あり、雑誌への執筆等もある。はたして移住しても、これらの仕事には支障は出ないだろうか。けれどそれも杞憂だった。鳥取に来てみれば空港まで車で10分。駐車場も格安だ。そこから飛行機に乗り込めば、約2時間後には都心を歩いている。
たとえば千葉にあるZOZOマリンスタジアムまでは、川崎市の自宅からは車で往復3時間かかっていた。ところがいまではナイターの仕事が終わってから都内で一泊し、翌日の早朝6時台の飛行機に乗れば8時台には自宅に戻ることができる。すぐに身支度すれば、遊びにも行けるし、後述するように田んぼに出ることもできる。
もちろん交通費と宿泊費はかかるけれど、満員電車や車の渋滞でストレスを感じることもない。
「これならほとんど問題はないな」
川口氏がそう思うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。ほどなくして、発想は逆転していた。
「なぜいままで都心で暮らしていたんだろう? 鳥取のほうが生活しやすいのに」
こうして母の葬儀から11か月後の2021年10月、2人は鳥取市内に大きな駐車場のある中古住宅を買って、鳥取県民になった。
それは川口氏にとって、第3の人生だという。18歳以前の故郷で暮らした第1の人生と、社会人、プロ野球選手、解説者として都心で暮らした第2の人生。そして還暦を過ぎてからの第3の人生。
「野球界の大物の移住」
川口氏の決断を知って、地元の新聞はこう書いた。
「故郷鳥取に移住した川口和久さん、人生終盤の「メークドラマ」に挑む」
記事はこう続く。
―—55万人の人口が四七都道府県で最も少ない鳥取県に強力なリリーフが現れた。一九八一〜98年にプロ野球の広島、巨人で投手として活躍し、一三九勝を挙げた川口和久さん(六二)。昨年秋に巨人時代から住む川崎市から妻、三女と一家3人で故郷の鳥取市にUターンし、県から移住のPR大使を委嘱された。(中略)野球解説や雑誌のコラム執筆などは従来通り。東京の会社で働く三女は家でテレワークを続ける。ライフスタイル重視の、今ふうの移住なのである。(読売新聞オンライン、2022年3月21日)
1996年、最大11.5のゲーム差をひっくり返して優勝した長嶋ジャイアンツ。そのときの胴上げ投手でリリーフエースだった川口氏の存在を、長嶋監督の「メークドラマ」という言葉にもじって伝えているタイトルだ。マスコミ的には、それほど大きな「野球界の大物の移住」というニュースだったのだ。
ところが鳥取に戻ると、友人や知人たちはそんな騒ぎとは無関係だった。誰もが「和ちゃん、淳子ちゃん」と呼んでくれる。野球界では「カワ」、「グッチ」と呼ばれていたが、その呼び名よりもはるかに解放された日常がある。
川口夫妻に躊躇なかった。62歳の川口氏は、家族とともに鳥取で第3の人生を謳歌し始めた。
文/神山典士
『「我がまち」からの地方創生』(平凡社)
石破茂 神山典士
2023年8月16日
¥1,012
200ページ
978-4-582-86035-1
コロナ禍以降、東京二三区(特別区)で転出超過となるなど、急速に地方分散へと動き始めている日本社会。
こうした東京一極集中から地方分散型社会へと向かう流れの中で、「自分たちがつくる未来」への意識を止めないために、シニア世代、女性、ロック歌手、元プロ野球選手など、さまざまな来歴を持つプレイヤーの活躍を通して、地方創生の本質・真髄とは何かを改めて問う。
全国各地の「希望の点」を「線」や「面」へと広げるために、初代地方創生大臣・石破茂が語る!
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