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自殺を企てた本人にその記憶がまったくない…「物忘れ」では説明のつかない解離性障害はなぜ引き起こされるのか?

集英社オンライン / 2023年9月4日 17時1分

強いストレスへの自己防衛として、一時的に「自分が自分でない状態」になる障害を解離性障害といい、とくに被虐待者は発症しやすいとの説もある。この心の異常状態はどのように引き起こされるのか? 植原亮太氏の『ルポ 虐待サバイバー』より一部を抜粋、再構成してお届けする。

繰り返される記憶の空白

これから取りあげるのは、解離性障害の事例である。これを入り口にして、“虐待サバイバー”の心に深く刻まれた虐待の傷あとを理解していく。

解離性障害は、重大なストレスによって生じる「一時的な自我の破綻」である。虐待を受けていると必発するわけではないが、とくに被虐待者は発症しやすいのではないかと私は思っている(ジュディス・L・ハーマンは著書『心的外傷と回復』で、友田明美は論文『被虐待者の脳科学研究』で、児童虐待と精神疾患の深い関連を指摘している)。



そして、一般に行われている治療だけでは、効果は十分ではないとも感じている。その理由は、ふたつある。

ひとつ目は、今日の精神科で行われている治療の主体が薬物療法であることだ。心の傷によって発症した心の病には、精神科薬の効果が薄いことが少なくない。

ふたつ目は、心理療法(体系化された理論を用いて行う心の治療の総称)では、どうしても治療者の主観が入り込んでしまって、被虐待者の特殊な心理を捉えていくことが難しいことである。

それゆえ、これらの問題を理解しないで治療を行った結果、かえって彼らを追いつめてしまっていることがある。

彼らへの治療が、なぜ、うまくいかないのかを私なりの視点で記していく。そして、彼らとの関わりから見えてきた精神科医療の問題点も取りあげていく。

以下で紹介するのは、聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような悲惨な虐待を生き延びてきた女性である。それによって負った心の傷が、大人になって解離性障害として現れた。精神科病院に通院し、生活保護を勧められた。

彼女のこれまでの人生を知れば、虐待というものがどれだけ心に深い傷を負わせるのかがわかるだろう。そして、虐待する側の異常性も見えてくるだろう。しかし、ときにその異常性を、専門家ですら見落としてしまうことがある。

丸山由佳子(まるやまゆかこ)さん(35歳)の話を聞くようになったのは、ある事件がきっかけだった。それは、――自殺未遂事件である。だが、自殺を企てたはずの当の本人に、その記憶がまったくない。

気づいたら知らない町にいた、そこは交番だった、それから、彼女の担当ケースワーカーが迎えにきた。記憶にあるのは、それだけ。しかも、直近3日間の記憶自体が、すっぽりと欠落しているというのである。

「記憶がないあいだに、なにか変なことをしていたらどうしようと思って怖いです。数時間、記憶がなくて、気がつくと買い物していたり、道路の真ん中に立っていたり。自分がおかしくなってしまったんじゃないのかと思って怖い。この前は、踏切のなかにいたみたいだし……」

吸い込まれるように踏切のなかへ……

穏やかな平日の朝。丸山さんは彼女が住む町から電車でどんなに早くても2時間はかかる静かな町にいた。沿岸部に位置するその町は、都市と都市との中間に位置していて、列車の往来はそこそこに多い。小さな駅舎からは海が見える。

急行列車が往来する踏切の前に、見知らぬ女性が佇んでいた。その姿を近くで商店を営む男性が目撃していた。きっと、近所では見たことのない顔だと思ったのだろう。

踏切が開いても渡ろうとすることなく、ただその場にじっとしているだけの彼女を怪訝に思っていたそのとき、轟音とともに列車が踏切に進入してきた。彼女は、踏切のなかへ吸い寄せられるように向かっていった。

間一髪のところ、必死に駆け寄った店主によって彼女は踏切から引きずりだされた。その光景を見ていた周りの通行人らが集まって、ちょっとした騒動になった。それに気がついて、近くの交番の警察官が駆けつけた。

彼女の手荷物を確認した警察官が、福祉事務所に連絡し、担当のケースワーカーが迎えに行った。

「気づいたら交番にいて、え! ここどこ! って。そうしたらお巡りさんが『ようやっと気づいた、よかったよかった。なにを話しても反応しないし、ただ涙だけ流すし、心配したんだから。いま、福祉事務所の担当の人が向かっているからね』って。ケースワーカーさんにも申し訳なくて。あのまま電車に轢かれていてもよかったんですけど……」

自分の身に起きたことのはずなのに、どこか遠くの出来事を語るような客観的な口調だったことが、やけに印象的だった。

「物忘れ」では説明のつかない心の異常事態

記憶がない。――まるで物忘れのような報告を聞いて、私は最初に認知症を疑った。

しかし彼女の場合は、認知症にしては記憶の途切れ方(なくなり方)が明確だった。それに、記憶がないということを自分で認識している。そして、ある一定期間、ある部分だけの記憶があきらかに欠落している。よく考えると、話す言葉の選び方、その行間からにじみ出る緊張感は、いずれも認知症のそれとは異なっていた。

彼女の話す内容から、その症状は解離性障害に違いなさそうだった。

たとえてみよう。ある日、あなたが道を歩いていると大きな爆発音を聞いた。一体、なにが遠くで起きたのかを確認しようと、あなたは一歩ずつ、爆心地と思われるほうへと進んで行った。すると、景色は徐々に一変してきた。

瓦礫(がれき)が散乱している。どこからともなく呻き声が聞こえる。目に飛び込んできたのは、痛々しい姿で横たわる人々だった。

――それから気がつくと、あなたは仮設テントのなかにいた。保護されたらしい。肩に毛布をかけられて椅子に座っていた。思いだせるのは、大きな爆発音を聞いてその方向へ行ったこと、そして、かすかに残る悲惨な光景の残像だった。

あなたを保護した人の話によると、爆心地付近をふらふらと力なく歩いており、「助けなきゃ、助けなきゃ」と繰り返していたという。ところが一向に思いだせない。

このとき、あなたに起きている症状が解離性障害である。心に重大なストレスがくわわった結果、心があなたから離れた。この間の記憶はない。

解離性障害は、「同一性の破綻」によって「自己感覚や意志作用感のあきらかな不連続を意味し(註:いつもの自分が途切れてしまっていること)、感情、行動、意識、記憶、知覚、認知および/または感覚運動機能の変容を伴う」とされ、「これらの徴候や症状は他の人により報告される場合もあれば、本人から報告される」場合もあり、自己の連続性が途切れている点が特徴である。

解離性障害は、重大なストレスによって引き起こされることが多い。たとえば、大事件や大災害など自分の力ではどうしようもできない圧倒的な出来事である。巻き込まれたら、心(自我)が押しつぶされて誰でも解離性障害が起こるかもしれない。

これは、あくまでも心理的に起きた異常事態から自分を守るために起こる防衛機制である。ボクサーがノックアウトされた瞬間を思いだせないなど、物理的な衝撃が脳にくわわったことによる一時的な健忘とは異なる。

事件や事故、または災害などに巻き込まれて解離性障害を起こしている人は、きっかけや原因を自覚できていることが多い。しかし反対に、自覚できていない場合には、私は幼少期からの虐待を疑う。虐待が慢性的に続くと、これが当たりまえになってしまい、虐待であると認識することができなくなるからだ。

私は彼女にたずねた。

「なぜ記憶がなくなってしまうのかの、心あたりはありますか?」

「……わからないです」

私は、どのような幼少期だったのかを聞いていった。

#2に続く

文/植原亮太 写真/shutterstock

『ルポ虐待サバイバー』

植原 亮太

2022年11月17日発売

1,045円(税込)

新書判/256ページ

ISBN:

978-4-08-721240-2


田中優子氏・茂木健一郎氏推薦!
第18回開高健ノンフィクション賞で議論を呼んだ、最終候補作

生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。
重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。
虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。
「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。
彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。
そして、我々の社会が見落としているものの正体とは?
第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!

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