「星の王子さま」の物語をなぞるコース料理で舌の世界旅行をした気分に…鎌倉「ナミザイモクザ」のものがたり食堂
集英社オンライン / 2023年9月2日 15時0分
鎌倉で育ち、今も鎌倉に住み、当地を愛し続ける作家の甘糟りり子氏。食に関するエッセイも多い氏が、鎌倉だから味わえる美味のあれこれをお届けする。今回は、月にたった3日か4日だけ提供される料理人のさわのめぐみさんの世界観を味わえるなかでも、「食べる読書感想文」ともいうべき「ものがたり食堂」がもたらす至福のひとときを。
擦り切れるくらい読んだ「星の王子さま」をコース料理で
ナミザイモクザは「何々料理の店」と定義することはできない。料理人のさわのめぐみさんの世界観を、料理を通して体験する空間であり、そこにいる時間が「ナミザイモクザ」である。彼女のアトリエでその時間が提供されるのは、月にたいてい三日もしくは四日。詳細はInstagramで発信され、応募者の中から抽選で当選者が決まる。目の前がオープンキッチンのカウンター席はわずか4席。なかなかの狭き門なのだ。
めぐみさんの存在を知らしめることになったのは季節の果物を使った美しいパフェだそうだが、それは後で触れるとして、彼女の真骨頂は、年に数回しか開催されない「ものがたり食堂」にあると思う。彼女の言葉を借りれば、誰もが知っている童話や小説、映画などを『食べる読書感想文』として、コース料理に変換したフードインスタレーションである。
先日、私が体験したのは「星の王子さま」。言わずと知れた、サン=テグジュペリが1943年に発表した小説だ。物語を読んだことがなくても、地球に立つ王子さまを描いた表紙を目にしたことがある人が多いはず。子供の頃、読書がいちばんの楽しみだった私は、本が擦り切れるぐらいに読んだ記憶がある。
主人公は操縦士の「ぼく」。サハラ砂漠に不時着し、小惑星からやってきた「王子」と出会う。王子は他の小惑星を旅し、先々で風変わりな人たちに会う。王子は最後には地球に戻ってくるのだが、王子とぼくには別れが来る…といったこの物語をどうやって料理に落とし込むのか、席に着くまでまったく予想がつかなかった。
テーブルには「星の王子さま」の文章を抜粋した小冊子が置かれていた。パラパラめくるだけでなつかしい気分になる。これに夢中になっている頃、私は大人になったら「おはなし作り家」になるなんていっていたなあ。夢が叶ったとはいえるけれど、あの頃のようにわくわくと物語と接していられているかは自信がない。そんなことを考えながら一皿目を待った。
王子の旅は、薔薇とけんかしてしまったことでスタートする。最初に供された皿はガラスの蓋で覆われており、中には真っ赤な薔薇があった。この薔薇は食用花、薔薇の下にはルバーブと山羊のチーズ。薔薇をかじりながら、チーズを味わう。二皿目も薔薇にまつわるもの。桃の白和えにハイビスカスとローズヒップの泡がかけられ、ローズビネガーが垂らされている。
物語にそって供される新鮮な味覚の体験
次はモロヘイヤのスープ。主人公の「ぼく」が不時着したのがサハラ砂漠なので、エジプト原産のモロヘイヤを使ったものというわけ。コリアンダーシードとドライミント、トマトオイルで仕上げてある。
それなりにいろいろ食べてきたはずだが、どの皿も初めて経験する味覚。エスニックなどという範疇に収まらない味わいだ。しかし、その新鮮な味わいの先には食材本来の味があって、それはやはり自分の見知ったものだったりする。彼女の料理には「塩」を感じることがほとんどない。なんというか、味覚に揺さぶりをかけられている気分。
次の皿からは、王子が旅先の惑星で出会った風変わりの人たちのキャラクターが料理で表現される。
二番目の星の住人は「自惚れ屋」。小冊子には、こうある。
――「ああ! 私を称えるものがやってきたな!」と、王子さまを見かけると遠くから大声で言った。うぬぼれ屋にとって、自分以外はみんな自分を称賛する存在なのだ。
めぐみさんはこの挿話を、ナルシスの語源となったギリシア神話のナルキッソスに紐付けた。自分が映る水面に見惚れ、やがては水仙になってしまった人物である。口にすると猛毒の水仙はヒガンバナ科の植物。そのヒガンバナ科の食べられる食材を集めてムースにした。玉ねぎ、長ネギ、にんにく。添えられたのは、アマゾンカカオ、カカオビネガー、ほぐした蟹、葱オイル。
次の惑星の住人は「飲み助」。酒浸りの男は何かを忘れるために酒を飲み続けている。王子さまが、何を忘れるためかと問うと、恥じているのを忘れるため、と答え、何を恥じているのかと問うと、酒を飲んでいることと答える。この挿話から作られたのは、紹興酒に漬けた白身魚と生の帆立と酸味の強い林檎。ペアリングで供されたワインは、クリスチャンビネールの「si rose」。フランス語で肝硬変を意味する「cirrhose」とかけた駄洒落にもなっている。
まるで舌だけで旅行したような気分にもなる
次の惑星の住人は「実業家」はとんぶりを使った一皿で、数を数えるのが大変な食材を使いたかったそう。誰かの確かな想像力を体験するのは最高の娯楽だ。
圧巻だったのは「点燈夫」。小惑星の点燈夫は毎朝街灯をつけ、夜になると消す。ただそれだけを繰り返している。毎年、星の自転が早くなって、挙句に星の一日は一分になり、彼は絶えずつけたり消したりしていなければならなくなった。なんだかやたらとサイクルが早くなってあくせくしている現代の私たちのようだ。
テーブルにはおだやかな灯りを放つ蝋燭が置かれた。まあ、ここまでは想像の範疇。頼りない火は時々消えてしまったりもする。アロマキャンドルか何かかと思ったら、なんとこれは香草バターでできた蝋燭だったのだ。メインの皿は伊勢海老のリゾットで、このバターをかけて、味を変化させるという仕掛けである。
最後の星に住んでいたのは「地理学者」。ここでは季節の食材による甘くないパフェ。パフェグラスには、底からパプリカのムース、枝豆、海老出汁のジュレ、じゅんさい、雲丹、ガタイフ、とうもろこしのジェラード、オレガノメレンゲが地層に見立てて重なっている。
惑星の旅から戻った王子は砂漠の美しさに気づく。「砂漠が美しいのは、どこかに一つ井戸を隠しているからだよ」。この挿話からは二品。ラマダン明けに食べると美味しいと言われている中東の料理「イマル パユルドゥ」。舌を噛みそうな名前はトルコ語でお坊さんの気絶を意味し(それぐらい美味ということ)、茄子とトマトの煮込み料理。このコースでは豚肉に添えてあった。もう一皿は桃とゴルゴンゾーラのカッペリーニ。桃のみずみずしさは砂漠の井戸水のよう。
デザートは「困ったバオバブの木の芽」を見立てたもの。豆苗、ブラックココアのクッキー、アプリコットジェラード、種から作った杏仁豆腐、さくらんぼの寒天、プラム。
コースのあちこちにインスピレーションが散りばめられていて、次はどんな皿が来るのだろうと待ち遠しくなった。世界各国の料理が源になっており、舌だけで旅行したような気分にもなる。
大人になってしまった自分に少しの寂しさも感じて
「星の王子さま」には世の中のさまざまな矛盾が描かれている。小惑星の風変わりな住人たちは、実はたいていの人に当てはまる側面が強調されたキャラクターだ。せっかくの機会だから本を再読してからこのコースを味わえば良かったとも思う。「食べること」を通して、かつて夢中になった物語を改めて読むことができて気分が高揚した。同時に、自分もすっかりあきらめることやうやむやにすることを覚えた大人なのだとも感じ、少し寂しくもなった。
めぐみさんが都内から活動の拠点を鎌倉に移したのは2021年の春。季節の果物を主役にした美しいパフェはすぐに巷の噂になった。「ものがたり食堂」の他、パフェが中心のコース「休日喫茶室」やアラカルトメニュー、パフェだけの日などもある。
私は、最初に彼女の小宇宙のようなパフェを口にした時、この人の作る料理をもっと知りたい!と思った。食べたいというより、知りたいという欲求だった。私たち「おはなし作り家」は、「読者にもっとこの人の頭の中を知りたいと思われなくちゃだめですよ」と編集者に言われる。
私も、めぐみさんの「ものがたり食堂」みたいな作品を書きたいなあと決意を新たにしたのでした。
写真・文/甘糟りり子
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