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「好きな仕事に就くためにはどんな努力も惜しまない方がいい。しかし、かなわないことの方が圧倒的に多いのも事実」林真理子の仕事との向き合い方

集英社オンライン / 2023年9月21日 11時1分

学生の不祥事ニュースで世を騒がせた日本大学で理事長を務める作家の林真理子氏。最新の著書である『成熟スイッチ』では、慣れない理事長業務に奮闘する様子も記している。仕事に就いていて、たとえ打開策がなくてもポジティブに人生を楽しむことはできるはず……林さんが勇気をくれる一文。

キャパ超えを楽しむ

人間って変われるんだなあと実感します。

私は「お金、お金」と言うわりにはお金の細かい話が大の苦手で、うちの税理士さんの報告を聞くだけであまりにめんどうで、思わず身体をよじってしまうような人間でした。

しかし、日大の理事長になってからは毎日のように、財務の話、広報の話、さあ決裁します、なんていうことをやっている。わかりやすく説明してもらっているからですが、お金の話も身をよじらずにちゃんと聞けるようにもなりました(当たり前か)。



法令文を読む機会も多いのですが、作家として言わせてもらうと、とんでもない悪文中の悪文ばかり。最初は悲鳴をあげていましたが、その悪文にもだいぶ慣れてきました。

とはいえ、いきなり大企業のトップになってしまったようなもので、自分のキャパを超えていると思うこともしばしば。

思わず弱音をもらしたところ、大学の顧問を引き受けてくださっている宮内さん(宮内義彦氏)が、「僕なんかずーっとキャパ超えたことをやってきたんだよ。こんな経験は二度とないんだから、思いっきり楽しみながらやりなさいよ」と言ってくれました。

「楽しみながら」の一言のおかげで、張り詰めていた心がスッとラクになったのです。

理事長になったことに後悔はありませんが、仕事に慣れてくるほど、うわー大変、と思うことが増えていきます。目の前には壁がいっぱいあって、乗り越えなければいけない。こちらの考えている議案をなんとか通そうと、政治家みたいなことをしたり。

もし、こんなに大変だと知っていたら引き受けなかったかもしれません。でもやるとなったら、人間力を試されていると思って懸命にやるしかない。

背伸びなくして成長なし。この言葉を胸に真剣に働き続ける日々です。

人間力が鍛えられる

今やすっかり働き者のような顔をしていますが、少女時代の私は母から、「あなたみたいな怠け者は死んでいるのと同じ」とまで言われたほど、ぐうたらな人間でした。

そんな私を社会で最初に鍛えてくれたのは、若い頃に私を雇って働かせてくれた会社や仕事だと思っています。自分を鍛錬する力や向上心を植えつけてくれました。

ほんの2~3年でもいいので、どこかに勤める、もしくは所属して働くという経験は、確実に人を育ててくれると思います。最近はライターが人気職業だそうですが、最初から完全なるフリーランスを目指すというのは、人間の成長という意味では危なっかしく感じます。

この年になっても私は、大昔に勤めていた小さな広告代理店でのことを夜中に思い出しては、「ああ、恥ずかしい」と冷や汗が出てくることがあります。よくぞあんなダメ人間を会社は置いてくれていたなあと感謝するしかないのですが、それがわかるほどには成長したのでしょう。

自分がやるべきことを教えられ、それに真面目に取り組まなければ物事は進んでいかない。毎日毎日が修業のような勤め仕事をして身につけた基礎仕事力は、その後の人生の中でも、とても大きな拠(よ)り所となります。

作家でも、会社員の経験がある人はとても多い。個性とは、基礎仕事力の上に花開く能力でもあるからです。

また、仕事をするということは、いやなことがあっても耐え、自分を抑え、たとえ大嫌いな人とも折り合っていかなければならないということ。理不尽なことだっていっぱいある。

だからこそ何よりも人を成長させ、人間力を鍛えてくれるのは、仕事なんです。

よく「子育てで、自分が成長した」という人がいますが、その言い方が私は大嫌いです。よっぽどの例外を除いて、親は子どもを愛しているし、子どもは親を愛してくれる。そんな相思相愛の関係で自分が成長したというのは少し恥ずかしいことだと思います。

たしかに、子育てというものは、自分がせいいっぱい愛している相手が、自分をどんどん裏切っていく驚きの連続でもある。時折、悲しくなったり、無力感も感じるけれど、それもまたいろいろなことを教えてくれる。子育てでの挫折や苦労は結局、家族の内輪話でしかありません。

逆に、仕事をしている人は「自分は真面目に働いているんだ」という事実に、無条件にもっと自信を持っていい。私は心からそう思います。

「好きな時間」をくれる

最近はどんどん女性誌が休刊してしまい寂しいかぎりですが、若い人向けの女性誌のインタビューを受けると、「毎日、やりがいのない仕事ばかりしている」という類いの悩み相談への答えを求められることがたびたびあります。そういう時に私は、

「地道に仕事を続けていられるということは、それだけでとても素晴らしいこと。日々の仕事があなたを確実に成長させてくれていますよ」と答えるようにしています。

きれい事ばかり言って……。そう思う人や、あるいは、「結局ハヤシさんは作家という自分の好きな仕事をやれているんだから、つまらない仕事をしている人に何を言っても説得力ない」と、しらけてしまう人もいるでしょう。

私がたびたび引用する言葉、「好きな仕事に就けるということは、人生の幸せの8割を得たということ」

これは本当にその通りだと思います。仕事には「お金を得られる」と「生きがいを得られる」という2つの利点がありますが、その2つとも得られている人はほんのひと握り。私もありがたいことにその一人です。

好きな仕事に就くためにはどんな努力も惜しまない方がいい。しかし、かなわないことの方が圧倒的に多いのも事実です。

生きていくため、お金を稼ぐために仕事をするのは、呼吸をするように当たり前のこと。最近では定年後だってイヤでも働かなくてはならない人もたくさんいます。

もし、自分はつまらない仕事をしているが、もう好きな仕事に転職するなどの打開策はないと確信しているのなら、仕事はお金を稼ぐ手段としてパッと割り切って考えることも、人生を面白くするためには大事なことかと思います。

私はどこにも就職できないまま大学を卒業した後、アルバイトをして食いつないでいた時期がありました。

仕事が5時で終わった後、大判焼き屋さんで大判焼きを2個買って、その隣の貸本屋さんで剣豪小説や『オール讀物』を借りてアパートに帰ります。アパートはトイレ共同、風呂なしの4畳半でしたが、パジャマに着替えて、大判焼きを頬張りながら好きな本にどっぷりと浸かる至福といったら……それは最高のストレス解消でもあり、間違いなく幸せな時間だったのです。

「きっかり5時で終わる仕事とは、自分の好きな時間をくれる仕事なんだ」そう思ったら、つまらない仕事をつまらないとは思わなくなりました。

「お金を稼ぐ手段」と言ってしまうとストレートすぎてあまりに情緒がないですが、「好きな時間をくれる仕事」と思ってみる。それも人生を面白がるための一つの大事な才能だと思います。

文/林真理子
写真/shutterstock

『成熟スイッチ』(講談社現代新書)

林真理子

2022年11月7日

840円

192 ページ

ISBN:

978-4065302743

昨日とは少し違う自分になる「成熟スイッチ」はすぐそこにある――。ベストセラー『野心のすすめ』から9年、人気作家が成熟世代におくる待望の人生論新書。

日大理事長就任、「老い」との近づき方など、自身の成熟の現在地を明かしながら、「人間関係の心得」「世間を渡る作法」ほか四つの成熟のテーマについて綴っていく。

先輩・後輩世代とのつき合い方、自分の株が上がる「お礼」の方法、
会話を面白くする「毒」の入れ方など、著者ならではの成熟テクニックが詰まった一冊!

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