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後藤真希36歳の真実 Part.1 「芸能活動辞めようと思っても、いつも誰かしらが行き止まりを作ってくれる」

集英社オンライン / 2022年5月24日 8時1分

モーニング娘。を国民的アイドルへと大躍進させた立役者であり、アイドル界のレジェンドとも言える後藤真希。ライブ、写真集、YouTubeなど、精力的に活動を続ける彼女は、36歳を迎え、芸能界生活を20年以上過ごした今、なにを思うのか? 後藤真希の真の姿に迫る。

モーニング娘。からソロアイドル、移籍、そして…

そんなに長く芸能活動をやっているとは普段は思っていないんですよね。でも振り返ってみると、いろいろな思い出とか、やってきたことがたくさんあるから、後藤真希の歴史ってそれだけあるんだなとは感じますけど、芸能界に長くいるという感覚はないんです。
モーニング娘。に合格して初めての仕事、「LOVEマシーン」のジャケット撮影のことを思い出すと「そんなに前だっけ?」って思っちゃいますね。



――そんなに前とは思えないですよね。それはファンのみなさんも同じ感覚だと思います。

ですよね! ファンのみなさんも、本当に20年前と何も変わっていないですし。デビューした13歳の時には、こんなことになるとはまったく考えてなかったです。

――そりゃあもちろん、30代になった時のことなんて考えてないですよね。

30代になっても芸能界にいるなんて、思ってもいなかったです。


――30代になって、当時と一番変わっている部分はどこですか?

ライブでもなんでも、自分の意見を言えるようになりましたし、それを聞いてくれて、実現してくれるスタッフさんたちが周りにいることですかね。モーニング娘。の活動をしているときは、先輩たちもいっぱいいるし、自分の意見も言えなかったんです。インタビューでも、自分のことを語った記憶ってあまりないんですよね。
なのでモーニング娘。の活動をしているときは、スタッフのみなさんが考えてくれて、決めてくれたことを、アイドルとして全力でやっていました。

――なるほど、確かに現在はいわゆるアイドル活動とは違いますもんね。

モーニング娘。のライブは、つんく♂さんが考えてくださったことを表現しているという感じでしたから、いま考えると、ミュージカルを演じているようなそんな感覚でしたね。MCの台本も決まっていましたし、パフォーマンスも決められていた。もちろん、曲の中で自由にできるところは好きにやってましたけどね(笑)。
お客さんを見て、コミュニケーションを取ったり、そういうのが大好きだったんで。

――モーニング娘。を卒業して、ソロになってから、徐々にライブも自由にできるようになってきて、今はその延長線上にあるという感じですか?

そうですね。ハロー!プロジェクトにいた頃は、ソロのライブも基本ハロー!の歌って踊るという見せ方をやってきて、最初はつんく♂さんのプロデュースで、途中からライブの舞台監督さんと話しながら、自分の意見も入れてもらって作っていった感じでした。ライブに関しては、ある程度自由にさせてもらいましたね。
そして「G-Emotion」(「後藤真希 LIVE TOUR 2006 〜G-Emotion〜」、後藤真希に興味を持った人にはまず観てもらいたいライブ)から、いわば後藤真希主導という感じに、なんとなーくなっていったんです。

――その前のSECRET LIVE(シングル「ガラスのパンプス」封入のシリアルコードによる抽選で参加できた新木場STUDIO COASTでのライブ)が、そのお試しだったんですか?

結果、そんな感じになりましたね。それまではハロー!のライブで、ダンサーにメンズを入れることもなかったですけど、「ガラスのパンプス」は大人っぽい曲でしたし、これまでとイメージを変えたいなって思ったんですよ。
私はもともと、アイドルがやりたかったわけではないので。でも、ファンのみんなはアイドルの私を好きになってついてきてくれたわけだし、みんなついてこれるかな、ここまでだったらいいかな、とか考えていましたね。最初の「G-Emotion」でも、ファンのみんなの戸惑いがないような内容にしました。

――ハロー!のソロ時代は、そういう段階を経て、ちょっとずつ変えていったんですね。そこからエイベックスに移籍しましたが、またハロー!とはまったく違ったのではないですか?

ですね。エイベックスに入ってからはスタッフのみなさんと一緒に作っていく体制が、最初からできていました。作詞もやり始めたり、振り付けも、ジャケットも、ミュージックビデオも自分の意見を取り入れてもらって。ライブだけじゃなく、作品作りにすごい関わるようになった。
ハロー!の頃は、レコーディングといったら歌入れだけでおしまいだったんですが、ミックス(楽曲の各トラックの音量やバランスを確認する作業)にも立ち会うようになって…そこで、すごく耳が鍛えられましたね。

――それまでやっていなかった作品作りに、いきなり関わるようになって、戸惑いはなかったですか。

案外すんなり、出来た…気がする。なんででしょうね(笑)。これまでやってなかったことなのにね。でも昔からそういうことをやりたいというような、感覚はあったのかもしれない。ずっとブリトニー・スピアーズとかの作品作りを映像で見ていたりして、「いいな」って思ってました。音楽の見せ方とかは、ライブを作ってきたんで、その経験から、自然とできたのかもしれないです。

芸能界を引退しようとしたことは何度もあった

――ここで聞いちゃいますが、これまで、完全に芸能界を引退しようと思ったことは、なかったんですか?

う〜ん、思うことはあるんですよ…時々。でも芸能活動辞めようと思っても、いつも誰かしらが、これ以上先にいっちゃ駄目みたいな行き止まりを作ってくれる。

――行き止まりですか?

行き止まり! 私の中ではここの線を越えたら引退〜みたいな線があるんだけど、行こうとしても誰かしらそこにいて、行き止まりになってるんですよ(笑)。


――そういう感覚なんですね。ハロー!を出たときは、芸能活動を辞めようとは思ってなかったんですか?

どこの事務所に行ったとしても、一生私は自分のやりたいことをやれないかも知れない、舵を取るのが自分じゃないかも知れない、だから芸能界を辞めたほうがいいかも…ともすごい思ってたんですよ。
そうしたら、松浦社長、現在の会長が「うちに入らなくてもいいから、とりあえずLAに行ってダンスレッスンとかしてみれば」「…じゃあ、行ってみます」って、そんなノリだったんですよ(笑)。

――そんな感じで、ロサンゼルスに行ったんですね。

LAでダンスレッスンとかボイトレをやっていく中で、もうね、すごい打ちのめされたんです…今まで私がやってきた活動が、ものすごいちっぽけに感じて。もう一気に、広い世界を見てしまって、視野が広がったんですよね。もっとできることあった、手を出してこなかった部分いっぱいあった、と思って、そのままの流れでavexに入り、いい感じになったという。
だから、その時の行き止まりは、松浦会長です。松浦会長がああいう風に言ってくれなかったら、芸能界引退していたかも知れない(笑)。

――なるほど、そうだったんですね。それ以前に、行き止まりになってくれた人は?

一番はやっぱり家族なんですけれども、モーニング時代にも「もう辞めてやる!」っていう大きなのがあったんですよ。ちょうど「I WISH」の頃ですね。シドニーオリンピックの応援に行く時に「私は行きません。飛行機に乗りません。このまま辞めます」って、その時のマネージャーの和田さん(和田薫。モーニング娘。の初代マネージャー。現在はハーモニープロモーション代表取締役社長)に言ったんですけど、なかったことにされて、いつの間にかシドニーに行ってました。

――!!(笑)。

多分和田さんの所で止まってて、完全にスルーされた(笑)。まあそうしてくれなければ、現在の私はないでしょうから、いま考えるとありがたいです。

現在の活動について語るPart.2へ続く

撮影/キンマサタカ
取材・文/岩岡としえ

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