「競艇選手になるためにプロボクサーになった」世界王者・寺地拳四朗のモチベーション。高校インターハイ決勝で井上尚弥に負けてうれしかった理由とは…
集英社オンライン / 2023年9月16日 11時1分
日本ボクシング界を代表する世界王者・寺地拳四朗。2団体王者の絶対的強さを誇る拳四朗の次戦が9月18日に行われる。「ボクシングは好きではなかった」といつものように屈託のない笑顔で話す彼のボクシング人生について聞いた。(前後編の前編)
「行ける高校がない」と面談で言われてボクシングを始める
作家・稲垣足穂に「花を愛するのに植物学は不要である」という言葉がある。
では逆に、「植物学を追究するために花への愛は不要」は成立するのか。追求の対象が肉体を酷使するボクシングなら、やっぱり競技愛がなければ無理じゃないか。
寺地拳四朗(以降拳四朗)の話を聞いていてそんな疑問が浮かんだ。
「いや、ボクシングは別に好きではなかったっすよ。世界チャンピオンになったときも。仕事やしと思ってました」
拳四朗がボクシングを始めたきっかけは中学3年の夏、三者面談のあとだった。
「僕、勉強が全然でけへんかったんで、進路面談のときに一般入試ではどこも無理やと言われたんですよ。で、お父さんのツテで奈良朱雀高校の高見(公明。1984年ロサンゼルス五輪バンタム級日本代表)先生に話を通して、ボクシング推薦で奈良朱雀高校に入学できることになったんすよ」
「スポーツ推薦枠」と聞くと、全国や地域大会での入賞経験者などが対象となるイメージがある。しかし拳四朗の場合は、この面談のあとで、高校に入学するために初めてボクシングを始めた。しかも元日本と東洋太平洋王者でボクシングジムの代表を務める父を持ちながら、「ボクシングには一切興味がなかった」とあっけらかんと話す。
「それまではソフトテニス部でしたし、自信もモチベーションもクソもない(笑)。高校入学せえへんかったら、アメリカにいるお父さんの知り合いの飲食店で働け言われてたんですけど、そんなん一人で行くの怖いじゃないですか。だから『高校行けるし、ボクシングやってもええか』くらいの気持ちで、お父さんのジムで練習を始めました」
井上尚弥とインハイ決勝で対決
高校のボクシング部で指導を受けた高見先生は、のちに2016年リオデジャネイロ五輪ボクシング日本代表監督も務めた、業界では厳しいことで有名な「先生」である。拳四朗は怖くて、練習についていくのに必死だった。
だが、推薦で入学した以上、ボクシングをやめるという選択肢はない。練習の成果が実り、高校3年の時はインターハイ決勝まで進んだ。決勝の相手は2学年下の井上尚弥だった。
「普通に強かったっすよ。負けたんですけど、ただ、ほとんどそのころのこと覚えてないんですよ。もちろん悔しさもあったっすけど、そもそも好きじゃなくて部活としてやっているし。
あとアマチュアのときは勝ち続けると連日減量なんで、その時は『ああ減量終わったー!』って喜びのほうがめっちゃ強かったっすね」
ボクシング部では模範生だったのか、高校3年のときは主将も務めている。しかし拳四朗は、「僕、なんもしてないっすよ」と言う。
「だいたい副主将が、主将の仕事をする係で。先生に怒られるのも副主将(笑)。僕はボクシングだけやって…」
強くて自由な先輩として、後輩に慕われたりとかはなかった?
「ないっす。聞かれたらちゃんとアドバイスはしてましたけど。逆に叱ったこととか1回もないっすね。別に練習やらへんのやったら、俺に関係ないしって(笑)。そいつのモチベーションしだいじゃないですか、あんまそのへん興味なかったっすね」
どうして主将を任されたのでしょうか?
「なんでやろ。全然やりたくなかったっす。でも、自分はボクシングの成績だけはよかったんすよ。それでみんな言うこと聞いてくれたんかなあ、どうやろ……みんなどうやってモチベーション保ってたんやろう」
そう話す拳四朗の表情は、本当に不思議そうだ。
競艇選手を目指してプロボクサーに
高校でボクシングをやめるつもりだったが、大学もスポーツ推薦で声がかかり、関西大学のボクシング部に入部する。
あいかわらずボクシングにはまったく興味を持つことができない一方で、将来の夢が別にあった。従兄弟が競艇選手をしていたことで、自分も体が小さくて適性があると思ったこと、高収入であること、選手生命が長いことなど、話を聞いているうちに目指してみたいと思った。
「高校と大学時代に一度ずつボートレーサー養成所の試験に落ちたんですよ。大学2年のときに受験したときは、『受かったら大学辞めたろ』って思てたんですけど、不合格になって。
かといってスポーツ推薦なんで、ボクシング部辞めたら大学も辞めなあかんかったし。せっかく大学に入ったし、もったいないんで卒業までとりあえず続けて、それからまた競艇選手の道を目指そうと」
キャンパスライフはボクシング漬けだった。単位は「周りの人に支えてもらいながら」なんとか取得した。「こいつら好きなもん食えてええなあ」と他の学生を見てうらやましく思うこともあった。
「単なる部活ですから」と言いつつ、彼の端倪すべからざるところは、どんどん成果をあげていくところだ。在学時は3度の関西リーグ優勝に貢献し、大学4年のときに出場した国体でも団体の部で優勝。井上尚弥のプロ転向後、同階級で五輪代表候補と目されていた柏崎刀翔選手には及ばなかったが、世界選手権の日本代表選考会や全日本選手権でアマチュアボクシング界のトップを争う存在となっていた。
「でも、まだ競艇選手になる夢はあきらめてなかったですから。就活はいっさいやってません。ボクシングの日本ランカー5位以内になったら、競艇学校の推薦がもらえるんですよ。だから大学卒業後はとりあえずプロボクサーになってランカーになって、それから競艇選手になろうと」
プロとして初めてリングに上がったのは2014年。夢の競艇選手への道が始まった。
#2へつづく
取材・文/田中雅大 撮影/青木章(fort)
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